2回目は、不思議なことを書きましたが、真実は真実としか言いようがありません。
嘘でしょう?冗談でしょう?ごまかしでしょう?と言われる方は、一生そのようなことを言い続けてもかまいません。
ですが、必ずその態度に対しては代償は伴うことは忘れない方がいいと思います。
ちょっと厳しいことを言いましたが、不信というのは、信仰だけでなく、真実をくらますことも、不信というのだということです。
自分の立場を守るあまり、同じ信仰をもっている人の真実をねじ曲げることも、それ、不信ということを知ってほしいと思います。
まかり間違っても、正月探求しているところのご本尊を下賜されていない方が、下賜されている信仰者の篤い信仰に嫉妬して、それをアンチに仕立て上げることはしてはなりません。
はっきりといいます。
それは、あなたのためにならないと。
さて、家庭ご本尊の功徳について④です。
④光によって家庭や地域が護られます。
主は、御法話信仰と本尊についてで、
『家庭ご本尊は仏の光を体現しているので、その光により、家庭や地域が浄化され。悪しき波動を退け、不幸や災難から護られるようになります。』
と述べられています。
阪神大震災、東北大震災を例にとっても、護られた家庭は数多くあり、地域をも浄化し、災害から免れる地域があることも報告され、交通事故や犯罪が少なくなったりする事例も多数報告されているようです。
これについて、もっともっと検証が必要なところがありますが、確かにと思われる事例は私として、確認しています。
これを焦点にした事例集があればいいと思いますね。
つまり、ご本尊を下賜することは、自分のためでなく、地域のためにもなるのです。
家庭ご本尊の功徳について
⑤布施の功徳があります。
ご本尊の下賜に先立ちて布施の行為があります。
この布施の行為は、そのまますべて功徳となり、天の蔵に10倍になって積み立てられると書籍ダイナマイト思考に記載されています。
御法話信仰と本尊についてでも、
布施の行為によって、自らの執着を取り去る修行となります。そして、尊きものに金銭を差し出す喜捨の行為によって、良きカルマが形成されますと仰ってくれています。
これは、2回目で言ったとおり修行が進むにリンクします。
なぜ、修行するか?
それは執着を取り除き、良きカルマを得ることです。
そして、今の修行課題である智慧をも得る手伝いになることでしょう。
布施の功徳については、後に一本記事を書こうと思います。
家庭ご本尊の功徳について
⑥自宅に家庭ご本尊をお迎えすると自宅がいわゆる教会、社、神殿と同様の意味合いを持ちます。
なぜか?
主は書籍三宝帰依と何かの104ページに、
『ご本尊は、主エル・カンターレとエル・カンターレ系霊団への光の入り口を自宅につくります。』
と記載されました。
これは、家庭ご本尊が安置されている家庭は、天国への門があるといえるでしょう。
しかも、それは、主エル・カンターレとその主エル・カンターレを奉ずるエル・カンターレ系霊団への入り口なのです。
それが自宅にあることになるのです。
主エル・カンターレへの光の入り口がある教会はどこにあるでしょう?
エル・カンターレ系霊団への光の入り口がある寺社はどこにあるでしょう?
皆さんは、初詣に行かれたことと思います。
例えば、明治神宮。
明治神宮に、主エル・カンターレとエル・カンターレ系霊団への光の入り口があるでしょうか?
ありはしないでしょう。
祀られているのは、明治大帝です。
それも、参拝と言っても、一年に一回の方が多いでしょう。
翻って、家庭ご本尊の場合は、毎日、毎日、主エル・カンターレと相対している同じといえるでしょう。
それが、どれだけ尊いことになるでしょうか?
こうしてみると、教会や寺社と同様の意味合い以上といえます。
正月探求 家庭ご本尊についてでした。
ありがとうございました。