これからの自助努力は、普通の自助努力ではいけない。
セルプヘルプを越えたセルプヘルプを神は臨んでいる。
天において、このような自助努力を私の転生において、したことがないと天使に思ってもらわなければ、異次元の他力など臨むと簡単に思ってはいけないだろう。
かつて、こんな自助努力をした人間は見てことがないと思わせなくてはならない。
たやすく、何かを成し遂げるに当たっても、霊の力を得ようとも単純に考えてはならないと思う。
天使が驚くような自助努力をすることが、未来を切り開く。
デモーニッシュな努力とは、天使もたちうちできないと思わせる努力である。
天使でさえも、この努力の地獄からは、救いようがないと思わせる努力が必要だ。
それなりの自助努力やそれなりのコツコツ型努力で安易に成功しても、人生は楽しくないだろう。
中道という言葉があるが、最初から中ほどを歩いても、中道の有り難さは分からない。
心的態度においては、限りなく透明で、限りなく深いデモーニッシュな努力が個人のクオンタムリープを為すと信じて、何事にも、打ち込まなくてはならない。
そうしなければ、1万時間も努力できないのである。
気ままに、私はできると思っても、人はそこまで努力できない。
人類の未来は私にかかっているというデモーニッシュな勘違いこそ、愛し、信じた者に、女神が膝まつくのである。
努力において、悪魔を恐怖に陥れ、悪魔を陥落させる。
何もしない、何事も決断しないことを悪魔はもっとも喜ぶ。
何かを進める、何事も決断することを悪魔は嫌う。
しかし、悪魔が恐れるのは、デモーニッシュな自助努力である。
それは、天使も畏敬の念を抱くであろう。
天上の天使に畏敬されなければ、その人生はたいした人生でなかったと基本的に思わなくてはならない。