『あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量りが与えられるであろう。』
イエス・キリストの山上の垂訓の言葉です。
自らの裁きで、自身が裁かれるのです。
自身の量るはかりで、自らが量られるのです。
自らが発した言葉は自らに戻り、身を焦がし、自身を傷つけます。
自らが発した言葉で、人を貶めるなら、その言葉で自らが貶められるのです。
言葉だけでなく、心持ちでも、同じことが言えるのではないかと思います。
そうであるならば、人を裁くのではなく、自らの過ちを神に、主に許しを請うべきです。
裁く者が、裁かれ、量るものが、量られるというのが、真の黄金律だと思います。
できうるなら、良き言葉で、明るい未来を築きたいものですね。