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みそ汁の具

明治朝廷をぶった切る 蹴散らし 叩き潰し ぺちゃんこにする為 強記する!!『たまに更新します』

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三条実美は国賊です。



明治維新の英雄とされる輩共は全員国賊です。その中でも三条実美は国賊の中の国賊です。その訳は…、



その前にもう一つお知らせ!!ココログの『いがぐり歴史資料館』が、FC2ブログに引っ越ししました。新たに『いがぐり史料館』http://igagurisiryoukan.blog.fc2.com/ としてぱわーあっぷして生まれ代わりました。どうぞよろしく!!只今、『京都守護職始末 山川浩著 平凡社』の書き起こし終了、で『会津戊辰戦史 日本史蹟協会 東京大学出版会』の書き起こしに手をつけてます。勝ち組である体制(西南政府)の大きな声に掻き消されてしまった本当の幕末史に興味のある方必見!!


ところでせっかく書いたこのエントリーである『三条実美」記事が操作ミスによって消えてしまいましたあせる


国・国民に対し憂へること際限なく、天皇史上最も心温まる言葉が残されている孝明天皇のその勅叡慮(天皇の考えの記録)と共に一方、その孝明天皇により激しく断罪をされ、名指しで国賊売国奴扱いをされていたのが公家三条実美や長州人やその周辺にいる浪人共でした。その事を書いた会心の記事が消えてしまいました、残念あせる同じものを二度は書けないんで…ハハあせる


その孝明天皇の勅叡慮に興味のある方は…、大変でしょうが『いがぐり史料館』http://igagurisiryoukan.blog.fc2.com/ で『京都守護職始末』をお読みください!孝明天皇の国賊に対する怒りや、国民に対する憂へや優しさが懇々といくらでも述べつづられています。この書籍は「孝明天皇の叡慮本」といっても過言ではないくらいです。本当の幕末史が垣間見れますょ。ということで…でわ!


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天皇を死後、神として祀る風習は日本には元来存在しません。天皇はあくまでも神を祭祀する立場であっても、祀られるものではありませんでした。ただ例外として神として祀る方法もあります。その方法は、先週の記事で述べた通りです。神仏習合をさせる事で、仏を本地とし、その垂迹神として、この世に権現させる事で、天皇を神として祀る事はしてきました。ただこの有史以来持ち続けてきた類まれない素晴らしい本地垂迹信仰が明治朝廷の手によって破壊されてしまいますと、それと同時に明治朝廷の都合によって恐れ多くも天皇を直接に神として祀ってしまうという信仰へと変わり果ててしまいました。そうつまり日本文化が、和風文化へと変化してしまったのです。明治以降はあくまでも『風』でしかないのです。明治朝廷のやらかした廃仏毀釈 ・神仏分離とは、いったいどのような野心をもった侵略的な構図が隠されているものなのかとを、ちゃんとした視点で探っていかなければ、日本民族はいつの日か、この『和風』でしかない成り済まし共の支配体制である明治朝廷の手によってむざむざと浄化されてしまう運命となってしまう事でしょう。

明治朝廷によって神とされてしまった天皇で一番有名なのが明治神宮で祀られてる明治天皇である事は言うまでもありません。明治天皇は、幕末以降から没するまで明治朝廷により好き散々利用されたので言わずもがなの存在ですが、他にどのような天皇が、神とされるようになったのかとを見て行きましょう。

露骨にも分かりやすく典型的な例として二人居ます。

一人は明治23年創建、奈良の橿原神宮の祭神、架空の初代天皇である九州島の神武天皇です。この天皇は、神武東征というフィクション小説物語である近畿制圧物語で有名な天皇ですが、こちらも明治以降に神となった天皇です。神武は明治以降となってから突如として脇の祭神として多くの神社で祀り始められた
ものでしかないはずなのだが、神社本殿の建築物自体がそこそこ古かったりするものなので、あたかも古くから祀られているものと勘違いをさせられてしまってます。が、あくまでも直接に天皇を祀るというこの和風信仰形態は、明治以降に始まった新興宗教形態でしかありません。また九州島には宮崎神宮という神武を祀った神社が古くからあるとされているが、何度も言うように神仏習合しないまま天皇が直接に神として祀られる信仰は、日本には、元来、存在しないものなので、これも神社建築物としてはそこそこ古くから存在するものとしても、その元来居た祭神は、神武ではなく違う神仏であった可能性が高いでしょう。が、真実は焚書されてる事でしょうから、いくら真実を追求しようとしても残念ながら無駄なあがきかもしれません。ただ少なくとも儒教国家の性質丸出しでもって廃仏毀釈をした、このとてつもなく醜くく汚れきった体制政府の喧伝する事に対しては、嘘・寝言の類として切り捨ててればよいであろうといった判断をする思考程度は日本人であるのならば良心として持つべき事であろうとだけは言っておく。それと神武の他にもう一人が、明治28年創建、京都平安神宮の祭神桓武天皇です。こちらも神武同様、明治以降に神とされ、やたらと特別視されている天皇です。その業績は、史実としてある蝦夷征伐ですが、つまり東北の征圧です。


明治時代となると突如として明治朝廷は、この二人を特別扱いし、唐突に祀り始めました。…ハイ!ここまで述べただけで明治朝廷のどす黒い悪意を読み取った人は、の日本人です!!

八幡権現の垂迹神として有史以来愛され続けてきた九州・朝鮮征伐の象徴である武門の英雄神応神天皇は、明治時代となると廃仏毀釈の犠牲により日本各地で石つぶてをぶつけられ、糞尿をかけられては破壊され燃やされてしまったが、新たに体制政府によって作られた英雄神は、架空の九州人の神武と、朝鮮半島に出自の由来があるとされる桓武です。この桓武の出自に関して今上天皇明仁が、今流行りの戦前回帰・共生同化政策を美化し遂行する為かどうかとは測りかねるがこう発言をしています。『私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています』との発言を2001年12月18日、誕生日に際する記者会見にて発しています。ご覧の通り神話を史実として語ると言う、やってはいけないはずの過ちを冒した内容となってますね。この事から見ても分かる通り、明治以降、常に日本民族が立たされている危険な立場と言うものが判断出来るのではないかと思います。戦前のような言論の自由が無い時代であったならば間違いなくこの天皇の一言により日本民族はあらぬ方向へと導かれては朝鮮人との同化政策の為のカンフル剤として利用されていた事でしょうが、戦後日本人は戦前日本人とは違いますのでそう簡単には洗脳されません。それにしても日本民族を陥れるでしかない危険なこの言動は、今上天皇本人による叡慮であろうか、それとも強制的に言わされた言葉であろうか、詮索するのが嫌であろうと言うのであったとしても、今上天皇には西南地方の帰化人を代表する薩摩島津家の血が流れている事実、この事は日本人であるものならば心の片隅にでも置いとかなければならない事であろうとだけは言っておく。悪魔(西南人)が、悪行多い自分たちへ対する矛先をそらす為におこなった罪深いこの所業(皇室浄化)、この罪を許容し続ける限り、新たな悪魔(朝鮮人等)を呼び込んでしまう事となるであろう、そして更なる無慈悲な所業が日本人を襲うであろう。日本人は矛を収めてはいけない。同じ民族だと言っては最恵国待遇でもって朝鮮を持ち上げ甘やかしては、それとの同化政策を美化する一方、ずうずうしくも近畿征伐と東北征伐を永遠にしつこく飽きる事もなく美化して止むことのない姿勢を保有し続けるこの悪魔(西南人)により作られた、この近代以降の日本の体制のどす黒い悪意を打ち砕いた時こそ日本民族の未来に光明がさす事は絶対であるといえよう!!

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応神天皇とは、生まれる前から天皇の地位が約束されていた特別な天皇であり、九州征伐神話の大英雄仲哀天皇を父に、朝鮮征伐神話の大英雄神功天皇を母に持つ超絶大英雄として日本民族、特に武門の神として崇められてきた関西出身の実在の天皇です。

日本人の信仰心は、
元来、有史以降から江戸時代が終わるまでは、天皇を直接神格化する事はありませんでした。理由は色々と考えられるが、日本の建国神話は国譲り神話を頂点にしています。つまり征服者の子孫とされる天皇による非征服者である大国主命に対する配慮からか、皇室自身が自らを自画自賛する信仰が無かったものと考えられるのですが、それが日本民族全体の信仰心として育っていったとも考えられます。なので天皇である応神を信仰したい場合は、『本地垂迹』を利用するのです。つまり神仏習合をさせる事で間接的としてしまう訳です。仏(阿弥陀如来)と神(応神天皇)を合わせる事でワンクッションを置く事が出来る下地が作れるのです。で、仏を本地とし、この応神天皇を八幡菩薩の垂迹神とする事で天皇(応神)を祀り崇めてきたんです(説明分かりにくい?そんな事はない?)。これを『本地垂迹』と言います。


このように『本地垂迹』信仰からは、如何にもといった感じの日本人らしい奥ゆかしさと知恵を感じるものです。この信仰心こそが本当の日本民族の信仰心であり、天皇家の信仰心でもあると思います。また、この奥ゆかしさがあったからこそ天皇は、権力が無くなってからも権威を保ててこれたのであろう。

ただそんな日本に転機が訪れる。

明治となり、九州を中心とした西南地方の民族が主権を持つ近代体制が誕生する事となると、日本全国で政府の命令によって神仏習合に対する全否定が強制されていきます。そう、廃仏毀釈政策が行わていったのです。廃仏毀釈とは、儒教国家の基本政策ですので、これを見てみても西南人のその出自が知れるという事です。で、最も政府に敵視をされた神仏が、八幡菩薩、つまり応神天皇です。

で、明治の世、突如として神として西南神話と一緒に降臨してきたのが九州出身で架空の天皇である神武天皇です。

それまで神武天皇の存在を日本人は殆ど誰も知りませんでした。この神武天皇を祀る神社は、明治以降に葦原神社が突如として奈良に創建された以外では、九州辺りにチョロッと何社かあったと言う事になっている模様ですが、それすらも本当の処、何時から存在するかといった根拠が一切ありません。たぶん幕末辺りに新しく勧請されたのでしょうか?謎です。どちらにせよ廃仏毀釈や焚書坑儒を行った西南体制の喧伝してる神話ですので、そのようなものに信用の値を求めるべきではないでしょう。

結局のところ、この西南人は、自身の姿を、この神武天皇と重ね合わせる事によって東征(侵略)を美化したいだけでしかないのです。おまけに神武東征などといったものが、史実として存在した形跡は一切ないのが現実ですので、そこを考慮してみれば、果たしてこの神武東征といった神話自体すらも明治以前の過去の日本において本当にあったのであろうか?疑わしいばかりですが、無論、くどいようですが、儒教国家丸出しで廃仏毀釈や焚書坑儒を行うこの厚かましい邪悪な西南体制にとって都合の良いだけでしかない西南神話を信用するべきでは無い!と言う事は、くどくどとでも言い続けなければいけない事であると思います。


この存在自体の疑わしい神武という架空の天皇を登場させる事によって、西南人による日本侵略を美化するだけに留まる事なく、『八紘一宇(八紘=世界、一宇=同化)』と銘を打っては、朝鮮人や台湾人や満州人といった民族に対して日本国籍を無償で与え、その一方、日本民族からは、その生命財産を無尽蔵に搾取し、挙げ句に東北地方のインフラ整備をする事も無く、これら特定アジア諸国に対し、最恵国待遇でもって湯水の如く日本民族のその生命財産を使いインフラ整備をしてきました。且つ、日本民族と、この特定アジア民族との間で同化政策をも強制され推し進められてきました。


ご覧くた゛さい今のこの日本のこの醜い現状を、100年以上にも及び甘やかされ在日特権を与え続けられてきた者達による横暴極まりない姿を、成り済まし日本人による凶悪犯罪の数々を、この悪逆の全てが、西南人が喧伝する神武神話を美化する処からが根源となって発生している腐臭なのです。日本人はそろそろこのイカレきった西南神話を破棄し、誠の日本神話を受け継いできた神仏習合神である八幡様(応神天皇)こそを、日本民族が一丸となって信仰する時が来ているのではないであろうか。つくづくそう思う。でないと、この腐臭は、具現化され、腐臭物となり無尽蔵に繁殖し、日本の隅々まで覆い尽くしてしまう事となってしまうであろう。



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