天&皆さんこんにちは!!


 天「当日誌の主天狐です。」


 ツ「相棒のツッチーです。」


 天「今回は一年の締めにふさわしい、感動する話を紹介するよ!」


 ツ「怪しい……あなたの感動話は当てになりませんからね……」


 天「酷くないかい?でも今回は本当だよ。ところでツッチーは熊についてどんなイメージがある?」


 ツ「人を襲う危険な動物だと思ってますが……どうかしましたか?」


 天「あながち間違いじゃない。日本でもたまに凄惨な事件が起きているからね。


 しかし、本来熊はとても臆病で知能が高い動物。脅かさなければあまり危険はないし、仁王立ちするのも人が怖いからなんだ。


 ちなみに今の熊は鈴等をつけると近づいて来ることもあるらしいよ。」


 ツ「よく鈴とかラジオは熊よけとしてつけている方も見かけますね。なんで寄って来るんですか?」


 天「人間が持ってくるお菓子等の味を覚えてしまったらしい。


 『コイツらは安全で上手い物を持っている』と学習して近づいて来るんだね。」


 ツ「学習能力が高いんですね。」


 天「そう!なんと外国には英雄になった熊がいるくらいだからね。」


 ツ「英雄!?熊がですか?……なにか敵を倒したとか?」


 天「その熊は砲弾を運び、補給係として活躍。伍長の位まで貰った立派な軍人なんだよ。」


 ツ「なんで熊が軍隊にいるんですか?」


 天「じゃあ、早速本題に入ろうか。」


 天&それでは皆さん!!


赤い夢へようこそ……



   •出会い


 時は1942年、第二次世界大戦真っ只中のイラン西武の都市ハマダーン付近で、ある少年が親を猟師に殺されたシリアヒグマの赤ん坊を発見しました。


 その後この子熊は肉の缶詰と引き換えにポーランド難民に引き取られたのですが、難民に熊を育てるのは厳しく、子熊は現地に駐屯していたポーランド第二軍に引き取られたのです。



 子熊は軍の皆に可愛がられ、粉ミルクなどを与えられてすくすく成長。



 ポーランド人の一般的な男性の名前であるヴォイテク(戦士)と名付けられました。


 成長したヴォイテクはポーランド亡命軍のマスコット的なものとして親しまれ、よく兵士達とプロレス等をして遊ぶように。


 そしてその評判を耳にしたポーランド陸軍はなんとヴォイテクを軍人として徴兵、ヴォイテクはポーランド陸軍第2軍団第22弾補給中隊に配属され、正式に配属することになったのです……




 ツ「いや熊とレスリングは危ないですって!」

 

 天「そう思って当然だよね。ただ、レスリングの結果は兵士と互角か負ける事が多かったんだよ。


 つまりヴォイテクは手加減することを覚えていたと言われている。」


 ツ「随分と賢い熊ですね。」


 天「きっと仲間を傷つけたく無かったんだろうね……」


 史上初の熊軍人となったヴォイテクは所属していた補給中隊と一緒にイラクに移動、その後1943年にこれまでいた中東から南イタリアに入ることになりましたが、ここで一つ問題が。


 当時の輸送船では動物を運ぶ事は禁止されており、このままでは連れていけない事になってしまったのです。


 そこでポーランド軍指揮官の一人ヴアディスワフ•アンデルス中将がこう言いました。


 「ならヴォイテクに階級を与えてしまえば良いじゃないか!」


 かくしてヴォイテクは軍の最下級の位伍長へと昇進。正式に軍籍番号と軍隊手帳が与えられて船に乗ることができるように。



 そんな事がありながら、ヴォイテクを含めた第二十二弾薬補給中隊は無事に南イタリアに着陣を済ませると、連合軍によるローマ開放作戦であるモンテ・カッシーノの戦いに連合国の一員としてポーランド軍も参加しました。


 この戦いの中でヴォイテクは人間では運べないような砲弾を山岳地帯等足場が悪い所でも一度も落とさず軽々運ぶ等、補給中隊の一員として大活躍!




 そしてヴォイテクの活躍もあり、約4ヶ月後にモンテ・カッシーノの戦いは連合国軍側の勝利に終わりました。


 またこの戦いの直後、ヴォイテクの働きが認められ、この砲弾を運ぶ熊がポーランド陸軍によって第二十二中隊のシンボルマークとして定められたのです。




 ツ「遂にヴォイテクがポーランドの象徴になったんですね。」


 天「ヴォイテクはその人間離れしたパワーや体格を最大限活かして、勝利に貢献したんだね。」


 ツ「入り方はかなり強引ですけどねw」


 天「同乗したイギリス軍には『少し毛深いヤツが乗るから驚かないでくれ』としか伝えてなかったらしく、船に熊が乗って来たときは凄い驚かれたらしい。」




 ツ「熊が来るとは思いませんからね……」


 天「更にヴォイテクは伍長という階級があるから、ちゃんと給料が支払われていたんだ。」


 ツ「熊が何に使うんですか?というか使えるんですか?」


 天「ヴォイテクはあるときは自分の給料で蜂蜜やマーマレード、果物を食べ、ある時は仲間と共にビールを飲み大騒ぎ、更には愛煙家のヴォイテクは仲間に火を付けて貰う事で煙草を吸う、もしくは食べるなんて事をやっていたみたいだね。」




 ツ「いや中身が甘党のオッサンじゃないですか。」


 天「もしかしたら、前世は酒と煙草好きで甘党のおっさんだったのかもねw」



 時は流れ一年後の1945年、ドイツは連合国に降伏、約4年間続いた太平洋戦争は終わりを告げました。

 これによりヴォイテク達第二十二中隊はイギリス北部スコットランドのハッソン村に駐屯することに。

 実はポーランドは戦争に勝ったものの、1944年のワルシャワ蜂起に失敗して壊滅し、戦後ロシアの傀儡政権が出来上がり、そのポーランド新政府はロシアと共同歩調を宣言。

 米英仏と対立していた為に、仏英寄りだった多くのポーランド軍の方が帰国を許されなかったのです。

 そんな不運に見舞われイギリス在住になったヴォイテクですが、イランの時のように瞬く間に付近の住民の人気者になり、度々取材を受けてはテレビに出演、またスコットランド•ポーランド文化協会の名誉会員にもなりました。

 そしてその後の1947年に補給中隊が武装解除されるとヴォイテクは軍人を引退、イギリス北部のエジンバラ動物園に入園、ここで余生を過ごしました。


 しかし、これまで人間と暮らしてきたヴォイテクが他の熊てあ馴染む事は出来ず園内で孤立してしまいます。

 しかしヴォイテクはポーランド軍時代の思い出を忘れる事は終ぞ無く、ポーランド軍時代の同僚が会いに来た際には、好物であった煙草の差し入れを食べ、しばしの再開を喜び会いました。



 その後も寂しげながらも平和な余生を過ごしていたヴォイテクですが、1963年にリウマチを発症し苦しい日々を過ごす事に。 

 これを重く見た園はヴォイテクを苦しみから開放する為、1963年12月2日、安楽死を決行

 ヴォイテクは平均的な熊の半分程度になる、僅か20年でこの世を去りました。


 ツ「最期まで豪快で愉快な、心優しい熊でしたね。」

 天「実際ヴォイテクは園内でポーランド語が話されると強く反応していたらしく、ポーランド語と他の言葉の違いを理解していたと言われているね。」

 ツ「だとしたら、熊の中では超天才ですね。」

 天「現在ではスコットランドやポーランドでは銅像が建てられていて、ポーランドの英雄として今もなお皆から愛されているヴォイテク。




 彼の同僚達もヴォイテクとまたレスリングがしたいと笑っているとかいないとか……」

 ツ「きっと天国で皆を待っているでしょうね。」



 天「今回のお話はこれまで!次回は番外編として、アニメの名言を紹介しようと思う。」

 天&それでは皆さん!!



いずれまた、赤い夢の中で……