angoの世の中フラリフラリと -295ページ目

古新聞

昨日の報道だったけれど
持ち越した

このとんでもなさがどれだけ世の中に通じるのか
どれだけ波紋を広げるのか暫く様子を見ても良い様に思ったけれど
言い訳ももう分かっているし
言い訳にはならないが平気な顔で当たり前に振舞うだろう
そもそもこんな事を取り上げて質問したり
迫ったりする報道屋が居るかどうかも疑問だ

した方とされた方には共通点がある事が誰かに通じればいいのだろうし
余りの変さに慣れっこになっているかも知れないし
意見も感想も出てこないし

早く選挙してその結果を見て永遠に諦めるかどうか
その判断をすれば良いんじゃないのかな

昨日からの予約更新だ
日曜日はいつでもニュースが少ない
自分の事を優先して政局の造り手を擁護する風潮の中で何が起きなくても驚かない



菅首相側、北の拉致容疑者親族の周辺団体に6250万円献金

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2011.5.27 12:05
 

 北朝鮮による拉致被害者家族の支援組織「救う会」のメンバーは27日、石川県能登町宇出津(うしつ)の海岸で拉致された久米裕さん=拉致当時(52)=の事件に関与したとされる東京都在住の男(71)を国外移送目的略取罪で、警視庁に告発した。


 告発状などによると、男は昭和52年9月、北朝鮮工作員、金世鎬容疑者(82)=国外移送目的誘拐容疑で国際手配=の指示で久米さんをゴムボートに乗せ、別の工作員に身柄を引き渡したとされる。


 石川県警は失跡した海岸近くで、外国人登録法違反容疑で男を現行犯逮捕し、自宅から乱数表などを押収。男は関与を認めたが、起訴猶予となっている。


Au bal de la chance

盛り上がった未練の話し 

タイの一番古い友人
最近来ないがメッセージ無しで色々写真だけポンと送って来ていた男と話しをした

彼は4月の始めにある土地を買うかもしれないよと言って来たが
気に入った土地だったけれど
4月のタイ正月以後急に事務所が忙しくなって
買いに行けず他の人に売られてしまったそうだ

400㎡で邦貨50万ほどだったそうだ
日本の自然農法ここのブログで言うとムーさんの遣り方をどこかで知ってそれを遣りたかったのだそうだ
肥料も使わず除虫もせず草の様に野菜を作って
それをポツポツ売りながらその一角に住んで普段は絵を描く田舎生活での隠居の予行演習用にと考えていた様だ

彼曰く
実際には1600㎡ほどを用意して
畑とじか掘りの池と家を建てる計画だ
池には魚を飼うし野菜は畑から
自分の土地の仲で小さなサイクルを造って住めば快適だろうと

それで家を何で作るかと言う話になった
彼の理想は日干し煉瓦に泥を塗った家
外壁内壁総て日干しで積み上げ壁を同じ泥で仕上げると厚み20cmほどで十分強度が取れ
しかも中はいつでも涼しいのだそうだ
床だけは予め組んだ木製にするからかなり快適そうだ
小屋組みは木で屋根には厚い藁葺き断熱高価抜群のエコハウス

次のオプションは藁の家
これは木組みに対して藁の壁が組まれるそうだが
その厚みは70cm程でこれはこれで快適で静か
断熱もいい 問題は内装の壁は藁と言うのにやや問題らしきものを感じて
やはり泥がいいという事になった

タイでならできるある面白い夢の様な話だけれど
これを既に遣った仲間が一人居る
残念な事に彼の場合は泥で手頃な大きさのロッジを作り
自分は8角形の屋か床のアトリエ兼住処を建て
其処に来た絵描き連中を泊めてワイワイ遣っていたものだが
ある年想定外の洪水で
自分の部屋の窓から魚を釣っている内に
ロッジが溶けてなくなってしまった

田舎の長雨は畑には良いらしいが度を過ぎると付き物の洪水を警戒しなくてはいけない

なかなか夢の広がる高台の畑と日干し煉瓦の話しであったが
話している内に他人に買われてしまった土地の事を思い出して
やや落ち込みながら
今度は共生自然農法の極意ムーさんの話を始めた
虫が居て鳥が来て鳥が住めば卵も少しもらえるぞ
そういう農業はまだタイには無いらしく
盛り上がったが
やっぱりあの土地の事を思い出してしまう

激しく降る雨の中どっか他に麦酒のみに行こうと言い出した
それだけはムゲに断った

実は昨日
空腹にカツカレーの大盛りを詰め込んだ反動で急性胃潰瘍のような症状で
私の鳩尾は猛烈な鼓動と痛みが走っていた

何だか奴は急に落ち込んで
そうなのかぁタクシー拾って帰る・・・・かな

背中に小さな畑が見えた





買う本買わない本 私の場合

私は広く作家を知らない
さまざまなジャンルを読むかというとそうでもない
偏っている

まず出版社で振り分けがある

好きな人でも想定や活字が嫌いだと舞う事がない

小説は殆ど読まない

元々最近古い物に興味を持った様な人なので
最近のベストセラー等になる様な活躍中の人は一人も読んだ事が無くて
最近ませ村上春樹と言う人は村上龍の顔だと思っていた
全然違うと気が付いたのは2年に満たない位前の事だった

対談形式の本も絶対に読まない

行の上にある表札が五月蝿くてイライラするのだ

文体はモンギリ形であるほうが気持ちが良い

物書きの癖に
ではないでしょうか
とか
そう思いませんか
とか
思うのですが
とかいう言い方は良くない
何かを想起してくれ 
そんな書き方はこれまたイライラする

ですます調も好きではない

文字になると何だか余分に思えるですとます
そんな書き方なら言葉を録音しなさいという感じがする

そんなにゴチャゴチャ言っても

そうでない本はいくらでもあって
丸の前に だ た う い 
そういう文字で終わる気持ちのいいのがちゃんとある

やはり一番の興味は今に役に立つ物ではなく

それを踏まえて将来に役立つ様なものでは無い歴史物がいい
最近見つけたイヒヒ~は本の登場人物は
ジャンヌダルク
チェーザレ・ボルジア
パラケルスス
モーツァルト
鉄仮面
ナポレオン
カスパール・ハウザー
ルイ17世
ルードビッヒ二世
マタ・ハリ
アナスタシア
これらの人に纏わる今までの歴史上の真実とされていた物を覆す資料について

澁澤龍彦は未来という物は絶対に学問にならない

未来学などと言うのは有り得ないと言ったのは正しい
過去に詰まったものはだから面白い
それをどう知ったところで
ディバイダーを返す様に将来に置き換える事も出来ないところが何とも好いのだ

こういう類の本は買わなきゃいけない本に分類される



三浦半島のブイアベース

三浦半島の根元付近だろうか
上大岡と言うところがある

そこに住んでいた骨董屋設計の専務の家があって
ある夏社長と三人で其処に泊まって週末は更に先へ当ても無く行って何処だったかの海岸へ行った
磯の多いところだった

普段から大酒飲みの三人で磯で獲物をしとめようと言う事になったのだ
その晩はその家に戻って
専務が一人で料理をする

社長は女の人だが料理が面倒な人で
私も同じなのだ

まずはムラサキ貝

これは簡単が逃げもしないし
少し深く潜ればいい大きさの物が取れる
絡まりを引きちぎる位の事は社長でも出来るので
岩の上でむしっている
適当に海藻もむしる
岩の隙間にドライバーなど突っ込んで他の貝もとる
魚は釣る

近所にあるものは何でも採る
他の人が器用に蛸を捕まえて来たけれど適わず

何がどれだけ取れたか良く覚えていないけれど
あの辺り実は色々居る

夕方を待たずいそいそと戻りワインをたっぷり仕込んで
私達は飲みながら 
組立て途中の自転車などを観察しながら待ち
専務は飲みながらせっせとブイアベースを作り

あの頃はパンとバターがあればワインを飲める頃だったので
その日は豪勢であった

相当に出来上がったシェフは
かなりいけるのを仕上げて
当時覚えたての自転車の話しばかりになり
物凄い凝り性なので
部品を選択してスポークも入れ替えて
7キロほどの重さでロードバイクを仕上げた

次に
社長が的になり
軽量のイタリア製ミキストフレームなど使ってやはりロードバイクを組む事になった
社長はこれが出来てから自転車に乗る練習をしたのでした
始めてならという事でタイヤのチューブは24ミリで決めた
甘く造ったつもりだろけどこれは綱渡りである
次に私の番が来ていたらしく知らない内に出来た
タイヤは21ミリで軽量のフレームは余りの高価で手が出なかったけれど軽快であった

こうして三人の行動範囲が広まると
昼休みのちりじりにどこかへ行っては
どうだこれは!
と言うワインを探す競争が始まった
高級品ではいけない 
3本以上買ってはいけないと言うのがルールー

これを週に二度ほど遣る
夜になると事務所で勝負が始まる
冷蔵庫には私が釣って来た太刀魚や鱸が入っている
潮加減が良ければ 勝手に会社のバンを使って
こっそり釣りに行って良い事になっていたのだ
夜中に冷蔵庫に収めて
次の晩が何が何でも勝負の日になる

料理が順番製になって
みんな良かった良かったなのでした

床が絨毯だったし冬でも寝袋まであって
そういう環境でいいのじゃないのと思ったので
ちゃんとした社会の人に離れないのでした

しわ寄せなんかあったて面白い方がいいってもんだ


 





乃木坂のイタリアン

25の頃
気に入っていた仕事場を一週間無断欠勤して
釣りのに出た
十分にばつが悪くなった頃
ひょいと会社に行って
好きな仕事で面白いけど続かないよ

と言う理由で辞める事を社長と専務に伝えた
事務所は5人だけで設計は私と専務だけだ
専務はとても変わった人で面白いいい人だったけれど
あぁ また俺と気が会わないのかな~と勘違いしていたようで
全然そうでは無いけど
違うとは言わなかった

社長はあんたが居れば私達引退出来るんだからさ~
等と言ってくれたけれど
会社への行き来が苦手で仕事が好きでもこまるっしょ
と言う事でその後の数日夜な夜な飲み食いした挙句
退職金までタンマリくれて
よく訳の分からないまま退職したのでした

仕事場で揃えた骨董家具の中で
ぼんやりと釣りの日々を始めて
暫く無職を楽しんでいると

その会社での繋がりのあった人があれこれ仕事をくれる様になって
数年を過ぎた頃

当時買ったマンションの世話をしてくれたある財閥系の会社の人の叔母さんが店を開くと言うので声が掛かった
イタリアンで場所も乃木坂
近いじゃん!
遣る遣る!

それで当時の昼夜反転仲間の二人で
まともなレストラン計画で出来た店だ

オーナーは上品な人で
シェフが何だか凄いらしい
凄いシェフの厨房は大変なのだ

さっぱり立派でトイレに異常に気を使った造りは
なかなか良かったと思う

今は昔の地下から
2階に引っ越してしまったらしいし

様子を見る限り
友達とはデザインテイストが違う
別の人が遣ったのだろう

何時までもあると思っても何時か無くなってしまうのがこの仕事の不満と言えば不満なのでした
ホームページがあったです

今のお店の方のHP


昔の方

入り口は行ってすぐ右の景色だ
何故その先の左の景色がないのだろ
カクテルカウンターがカッコいいのに





六本木の桟橋と船

嘗て六本木に小さな桟橋があって
小さな船がいつでもあった

記憶を辿って探したらもう無かった
外苑東通りを飯倉片町に向かって
六本木交差点を過ぎると今はドンキホーテと言うのがあるらしい
それが何だか知らないけど
その裏にある路地の向こうはぐっと低くなった墓地である
その土手の様な所に突き出した桟橋がセイゼイ4メートルほどの桟橋の突先に丸い小さな砲金の船窓の付いたドアーがあって
その中が船だった
小さなバーだ

夜のお墓は海で
だから小さな窓の外は夜の海だった
7、8人位は入れたかも知れない
当時はお墓の向こうは赤坂で高いビルは殆ど無かったから
遠くに対岸の街があった

その店は
ある人が六本木の小さなビルの小さな空間に
店を開くその設計をしていた頃
面白いところがあるから行くべぇと言う事に成って始めていった

あの店は何にも無いからと言う事で瀬里奈でしゃぶしゃぶを詰め込んで後
行ったのだと思う

散々褒めた後
後日 横浜にあったピア・ブランカと言う矢鱈とでかい店への
様子見と飲み食いに発展するのであった

昼近くまでの遅刻しながら骨董の山の中で設計しながら
夜中まで仕事と称して
あちこちブラブラしていた頃の話だ

散々舟の感じの店を見たけれど
出来た店はそんな物の欠片も無かった
20坪もない店だったけれど
ピアノ一台とメイプルの一枚板のカウンター
それだけがオーナーの希望だったのだ

その店のオープンの日は
全国から招待の300人近く詰め掛けて
大騒ぎになった

それは兎も角
六本木の桟橋はもう無い様だ


 

開化亭

バスの事を書こうと話を纏めようとぼ~ッとしていたら
急に開化亭の事を思い出した

六本木の交差点から渋谷に向かって左側の歩道をブラブラ行くと
左側の半地下にある
と思っていたらトンでもなく違うようだ
リンクの地図を信じるべし
四半世紀以上前の記憶のブレだろう
半世紀生きればこういう事は日常茶飯事であるのです

骨董屋兼設計事務所の頃の思い出だからもう30年ほど前の昨日の事で
まだあるのだろうかとふと思ったのだ

オーナーは30年前おばさんだったから今はお婆さんかも知れないけれど
元気ならそれでよし
店は店なのか骨董品の倉庫なのか分からないな様相で
何時でも其処にあるか家具も飾りも何でも買える
テーブルや椅子やなんでも暗号で値段が張ってあった

売ってしまうと 
すぐその時から席が減ったり
壁面の家具が無くなったりたまにはレジカウンターが無くなったりするので

私が居た店に来て補充する事になっていた
そんなイギリス骨董家具の店支那料理だった
ビクトリアンの頃の骨董だから差ほど古くも無く
手頃な値段だった

チャランポランが好きな私は当然配達を挟みながら
自分の所の倉庫に行ったりしながら
設計なんか平気で中断したりしていい時間を過したものだった


たまに勝手にコッチデ設計に組み込んで
開化亭の知らない内に売ってしまってその補充をしたりもあったと思う
それで これ この間売っちゃったんで
何か良いの見に来てね
の報告を兼ねて時々行ったのでした


別に何がうまいぞとか言う様な印象は無かったけれど
何でも旨かった 厨房にはなぞの支那人が居た

もう 
このテーブル下さいってのは出来ないのかも知れないけど
どうなのだろう

昔の支那料理 開化亭

L'Homme au Piano

バックアップ

原子炉の建設が決まると
水力や火力の発電所も同時進行で増えるそうな

原子炉が使えない時間は長いからでしょうね
それで何で足りなくなるのか

正常は時は発電コストが安いかも知れないけど
派手な事故の代償はその安さなどふっとばす
安定してやや高いのとハラハラして安くて何時がドンと来るのと

と言う話し?

CO2は植物の酸素
植物の吐き出すものが人間や動物の酸素

計画停電の時の火力発電所は稼動させるまで
地震で故障だった筈が実は点検で
もう完了!が
あっ もうちょっとで数日追加で
そういう不思議とエネルギー供給・・・


あっ電話 ちょっと出掛けないと・・・



おしまい