angoの世の中フラリフラリと -265ページ目

原子力安全庁

参議院予算委員会
恐らくではあるけれど
菅内閣での審議は最後だろうと言われたそれで

此れまでの原子力に関する組織の不都合を事故が起きるまで静観したのは何故かと言う質問があった

何かが起こってからでしか解からない事があるという様な答弁で逃げたが
日本の原子力関連組織の不備は当初より海外から指摘があったし
当時指摘していた人の目に映る今回の事故後の経過は当然の成り行きに見えている

原発に対し熱心な反対運動を展開してきた組織の人間が何を根拠に反対し何を指摘すべきか知らなかったと言う話には頷けない
事実民主党は従来の組織に対する不都合を指摘した事があるはずだ

その意味では
この何故静観したのかと言う質問は有る意味鋭いと思った
ところが
起きてみないとという答弁の後なんらの追及も無く
次に移った
始めから質問する必要の無い様な遣り取りは他にも幾らでも見つけられる

重要な質疑応答にはある種裁判めいたところがあるけれど
検察が被告に聞く
被告はいいえと答える
検察はそうですかと引き下がる
そんな感触だ

今日 原子力保安庁が環境省の外局として
という閣議決定がされたようだ
環境省は直に原子力を扱った経験が無いのでは?

元よりの組織がお話にならない物であったことは当然だが
今後はもっとおかしな組織に委ねる事になるように思うのは私の無知か

内閣府に置けばという案がいとも簡単に却下になった理由が
誰も納得できる物では無いと思う
矢張り世の中一事が万事と言う言葉があるようにと言うことなら
何かがよき方向に動いたと言う認識で安心すべきではないのではないか


原子力安全庁 環境省の外局で大丈夫か

戦後合格者

残念ながら特になんでもないのです
そうだと言うのでそうかなと思って

その頃の好きなものを二つ
玉音放送のショックなど知る由もなく
戦前戦中の天皇の様子など知る由も無く

単に昭和天皇と言う人の風貌が好きであるので
矢張り此れだろう

敗戦となった時に
泣き崩れた姿に坂口安吾は
嘘を付け喜んでいたくせに
何故泣き崩れて見せなければいけないのだ
と後に書いたが

そうだろなと思いたい





戦後の作家としては矢張りこの人が良い訳で
コウナルト内容がどうこうではなく
テンポなのです
紋切り型というのだろう

物書きが同意を求めるような書き方をして恥ずかしくないのも居るが
そういうのは嫌い
文字でそうですよねと言う遣り方は卑怯である
勧誘してはいけない



戦後合格者
坂口安吾
昭和26年2月1日


 敗戦後の日本に現れたニューフェースの筆頭は公認された日本共産党であったろう。
しかし、これぐらい内容拙劣なニューフェースは他に例がなかった。完全なる無内容、それに加うるにいたずらなる喧嘩ずき、まるで人間の文化以前の欠点だけを集成して見せつけられているようであった。

 彼らのやった仕事の総量は、事毎に牙をむいて吠えたがる野犬の行跡に酷似しているが、人間のなすべき事には全く似たところがない。「なすべき」というのは、知識と責任を背景にしたところの、という意で、政党と政党員には当然必要とすべき条件をさすのである。

 彼らのやった仕事の主なるものはと云えば、ナホトカからスクラムをくんで祖国へ敵前上陸の筋金入りの人達をたきつけて益々ダダをこねさせたり、坐りこませたりすることである。
尤もこれに対しては、かくの如くに教育して敵前上陸せしめた海の彼方の本店を咎めることが先でなければならないが、本店の押しつける無法な仕打を修正して受け入れるだけの識見がない無能な三太夫(さんだゆう)ぶりというものは、どこの国の共産党にくらべてもこれ以下のものは見当らない。
この三太夫は本店の殿様の手打になるのをビクビクしているだけである。

 彼らが行った政策の唯一のことは、他に対する不協力ということである。反対のための反対。
漸進的なるものに対する拒否。同じことでも自分が主導してやるのでなければイヤだという全体主義であるが、それも単に否定し反対するだけの破壊的な方策によって全体主義の性格を誇示したにすぎないのである。

 占領軍の指図による農地解放などは、古今東西の歴史に照しても大革命の一種である。これを利用したならば、農村の新秩序をたて、生活を改善し、共同的な作業法や、相互扶助の方法を与え、農村に文明の恩沢や文化生活を導入することもできたろうと思う。
そんなことは何一つやってやしない。
やる能力がないのだ。
事に当って利用し善用すべき研究も素養も持ち合せていなかったのだ。
彼らは空想的な革命家、もしくは英雄好みの冒険愛好家であるにすぎなくて、祖国の農村の歴史や現実に就て着実な考察や設計などは所有していなかった。
そして彼らが同じころ政策のスローガンにかかげたことはと云えば、隠退蔵物資のテキハツだの遊休大邸宅の解放などと、スパイの中でも三下奴(さんしたやっこ)がやるようなことしかやれなかったのである。

 現在も尚(なお)追放文士の一人である武者小路実篤は何十年前にともかく新しい村という空想的ではあっても彼の精一杯の設計を現実にやったが、共産党ときては、大きな図体をして、その理想のモデルたる部落も工場も設計して真価を世に問うてみるだけの内容も実力もなかった。
前進座という党員を座員に組織された相当に有能な劇団も、その敬服すべき努力も忍耐も組織も座員の個人的なもので、党による文化運動の見るべきものなどは一つもない。
ただ文化指導者同士の血で血を洗う内紛をさらけだしただけである。建設的な施策に於て、公平な第三者を納得させるような成果は、まったく一つも行うことができなかったのである。

 三鷹事件の真相がどうあろうとも、惨事の起った直後、血まみれの現場に立ってアジ演説に利用した党員の品性の低さはやりきれないではないか。
そんな時に主義も主張もあるものか。万人相ともに、傷者を助け、死者を搬出するために精魂傾けるのが当然の人道ではないか。
私は党が、三鷹事件を法廷戦術に利用した事実は何ヵ月間イヤというほど見せつけられたが、党員の品性の低さを悲しみ、その品性を高めるように指令し、努力したという事実については知るところがない。

 共産党の全てが、共産主義というものが、みんなこのように無内容で、品性下劣なわけではないだろう。
日本共産党というものの悲しむべき特性であるらしい。
しかし、ナホトカで特殊教育をうけ筋金を入れてもらって祖国へ敵前上陸する新特攻隊を見ると、共産党の本家も、その品性の低さ貧しさに於て日本支店の本店たるにふさわしく、人間の良識が求めているものには逆行的であるようだ。

 だが、新聞の報道から推察するに、中共などは、よほどマシなようである。
朝鮮戦線からのニュースでも、彼らの軍規は見るべきものがあり、捕虜に対する取扱いなどは紳士的ですらあるように見える。
それも政略ではあるが、本家や日本支店の舞鶴上陸やテキハツ隊や法廷戦術の品性の低さも政略なのだから、その差は甚しい。

 だいたい人間の良識というものは相互の打算的なもの、政略的なもの、その作用を利用して、中正や相互的な幸福安定の度を高める働きと見てもよかろう。
政略といってもバカにはならぬ。
指導者の理想設計図の心棒がしっかりして、日常の行き届いた教育や指導がなければ、事に当って多少とも紳士的な兵隊などを作ることはできない筈だ。
日本を見よ。
相当に年季を入れて兵隊を仕込んでいながら、決して紳士的な兵隊を作ることはできなかったではないか。
中共はシナに生れ、シナへ攻めこんだ兵隊の中で、最も優秀な品格をそなえているようだ。

 だから本家ソビエットの共産主義政府が壊滅しても、中共だけは栄えるかも知れない。
なぜなら、中国の国民がそれを求め、それを選ぶかも知れないから。

 日本共産党の如きは、公平な第三者に支持されるに足る内容や品性は何一ツ示すことができなかった。
彼らの性能の見るべきものは、スパイ性や地下のもぐり方の組織的なこと位で、新しきものの必須条件たる古きものよりも秀でた実質上の高さというものは、全面的に見かけられない。

 思いがけず牢屋から出され公認された当座の一年二年は戸惑いしても、三年四年とたつうちには相当なことができなければならないはずだ。
ヤミ屋のチッポケな親分でも、一年のうちに繁華な中心街を建設し、葬式の無料奉仕だのリンタク奉仕を開業している有様だ。彼らは思想も設計も持たず、ただ敗戦後の焼跡と混乱に対処してドサクサまぎれの出たとこ勝負をやったお方にすぎないのである。
共産党はそうではない。
過去現在への幾多の検討は常時なされていなければならない筈で、何事に処しても確乎たる設計が施されるだけの充分な素養が当然なければならない筈である。
しかし彼らは空想的な理想家革命好きであることをバクロしたにすぎず、内容も品性もゼロであった。
マーケットのアンチャンは右であり、共産党は左であり、その中間の大多数は何でも真に良きものならば喜んでそれを選びとる人たちであるが、右も左も、中間の大多数に選ばれるために真に良き仕事や品性を高めようと努力するところはミジンもなく、事あらば暴力によって大多数を征服し、有無を云わさず号令をかける絶対君主におさまる片リンを示し、威脅しているにすぎない。
その隣人たる中共は呪うべき内戦の辛苦を克服しつつ、品性の高さによって、万人にかなう正義によって、自然に民衆に選ばれ推される本当の内容を生み育てつつあるが、日本共産党は恵まれた平和な建設時代に処して、品性を高め仕事を推進することもできず、ただ牙をむき、刀をといで、武力による征服だけを当にしているのである。
全くアベコベではないか。

 日本共産党は云うかも知れない。
オレは武力征服などという暴力はとらない。
ただ「愛される兵隊」になって、真に民衆のカッサイを博し選ばれるのだ、と。
この笑うべきバカバカしい論理を実際彼らは信奉しているとしか思われない。
つまり彼らは平和失格者なのである。
恵まれた平和時代に、良き品性と良き仕事によって真に民衆の友となり選ばれる実力は全くないが、戦争して人を殺したり物をこわしたりしながら、かねてのヤミ屋の手腕によって、東条や吉田よりもマシな公平な最低生活を配給してカッサイされる自信だけはある、と思っているようだ。

 つまり彼らの政治は「最低生活」の配給へひき下って、そこで競争する以外に手を知らず、品性や秩序も「最低生活」なみのもの、つまり自分のレベルまでひき下げないと統率ができない仕組みであるらしい。
他により高く恵まれた生活のモデルや、より高い品性のモデルや、より高い秩序のモデルがあっては、都合がわるいのである。

 公平な最低生活を配給するぐらいカンタンなことはありやしない。
それはすでに東条がやった。
もしも日本共産党が、東条がやったよりも、もうちょッとマシな方法でやれる手際を見せて、共産党の真価を発揮しようというなら、それ以上に無能な政治はないと知るべきである。

 自給自足の不可能なこの資源貧困な国土で、しかし、共産党の天下になれば、よその共産党がタダで物資をくれるとでも思っているのか。
そんな虫のよいサモシイ料簡ではまさかないと思うが、しかし日本共産党の品性の低さを見ると、実際それぐらいサモシイ料簡のように思われて仕方がないのである。

 資源貧困、自給自足でロクな生活のできない日本は、工業を起し、貿易によって生活水準を高める以外に仕方がない。
いつ、いかなる時でもそうにきまったものである。

 日本共産党は率先して近隣の共産党国家と友好的な貿易を促進し、日本人を、又隣人をうるおして、その真に仕事の良さによって、日本人に愛され選ばれるように努力すべきであった。

 中共は現に戦争しつつあるから、やむなく掠奪暴行強姦をしないというような最低の善行に於て国民党軍と真価を争っているのであろうが、現に戦争しているから、そうせざるを得ないだけのことである。
戦争中に掠奪暴行しないというのは、人間の最も不幸な状態に於ける最低の善行にすぎない。
わざわざ人間を最も不幸な状態において、最低の善行を押しつけて、真価を誇示されてはやりきれるものではない。

 恵まれた平和な時に於て、外交に貿易に工場経営に農地経営に医療施設に文化施設に、良き実際の仕事を行って真価を問い、大多数の中間人を納得させることこそ、本当にやらねばならぬことではないか。
共産党が政権をとらなくともできるのだ。
一介のヤミ屋のボスすらマーケットをたて、土木を起し、工場を経営し、慈善事業をやったりすることができるではないか。
建設的な仕事の面で真価を争い、他の政党にまさる実力を示して世の信用を博すのが、ひいては政党そのものの本当の実力の示し方でもある。
しかし、日本共産党はその本当の内容に欠けているのである。
そして国民を最も不幸な状態にひき下げて、最低の善行を施す程度の最も無能な内容だけしか持たないのである。

 政治というものは共産主義の理論でもないし、陰謀でもない。
本店から金を貰うことでもない。
そういうことは当てにすべきことではないし、そんなことを予定に入れて政治をやられては堪ったものではない。

 日本の資源はこれこれというハッキリした限界が政治の基礎である。
日本共産党の場合にしても、政治の本当の基礎は、共産主義ではなくて、日本の資源という限界なのである。
又、それに伴う他との協力協定でもある。
自分の都合だけではいかない。
人の都合もある。
共産主義だろうと何主義だろうと、政治というものは主義や理論ではなくて、こういう限定の上に立つものだ。
アナーキズムの理想社会というものは、空想や理想の上には有り得ても、実際としては先ず実現の見込みはない。又、万人が過不足なく公平に幸福だということも決して有りうべきことではない。
 
私は共産主義や共産党に本質的な敵意をもつものではないが、ソビエット本店と日本支店は品性の低さ、下の下である。
私は日本共産党というニューフェースの出現には、すくなくともマーケットや土建の何々組の出現よりはよほど期待をかけたのであるが、まったくマーケットの右に相応する左でしかなかったのである。
その品性に於て同列であり、三十名も代議士を送りだした図体の大きさから云えば、施策や内容の貧困は何々組以下であったと云わなければならない。
徒(いたずら)に吠えただけである。

 戦後ニューフェース筆頭の大物でありながら、同時に最大の落第生失格者たるものは日本共産党であったが、この反対に、ニューフェースの及第生は何ものであろうか。

 いろいろのことが云えるであろうが、私の意見では、芸術がわりあいに一般の人々の身近かなものになり、多少とも生活の伴侶に近づきつつあることが最大の収穫ではなかったかと思う。
青年たちに於てそうである。

 山際青年は手記の中で若きヴェルテルの清純な恋を欲しても大人のゲルの世界に負けてしまうという手記を書いて世間の物笑いの種になったようだが、アンチャンの手記の内容が空虚なのは今も昔も変りのないことで、変っているのは、マーケットのアンチャンまで、若きヴェルテルだのジイドだのというものを読んでいることは、昔はなかったことであろう。

 たとえば左文嬢のような大学教授の娘が自動車運転手のアンチャンと友人として交際するというようなことが、昔は殆ど有りうべからざることであったが今ではフシギなことではない。
つまり、昔の上流階級や中産階級の教養が、おのずから下達する情勢となり、アンチャンの生活に芸術への理解という必要を加えたりしている向きもあるようだ。

 又、アベコベに、横浜の魚屋からヒバリ嬢が現れた如くに、農民や漁師や商人の生活が裕福になって、私の住む伊東では、漁師の家から小学校の娘のピアノの音をもれきくことができるようなことになった。
八百屋の娘がバレーを習ったり、あべこべに斜陽階級の娘がタップを覚えたり、子供たちの話題も、芸術方面に於てグッと幅がひろくなったようだ。
昔の中産階級の子女がお茶やお花を習ったのと同じように、ちかごろの小金のある庶民の子女はピアノやバレーや声楽などを習うような風潮になったのだ。
お茶やお花の修業が儀礼的であったのに比べて、ピアノやバレーは自発的であり、研究熱心でもあるし、芸論を闘わすほど子供たちの本当の生活にもなっている。
ラジオの「ノド自慢」なども、一部には悪評であっても、庶民生活へ芸術を近づける一助になっていることは確かである。

 日本の庶民生活には芸術を友とするようなものがなかったから、いきおい大人になってから、専門の一芸を身につけても、作家、画家、音楽家、俳優、みんな芸が孤立している。そこで、これ一とまとめに教養化しなければ、すぐれた芸術は生れないというような枯渇感や願望が起って「雲の会」などもおのずから出来たのであろう。

 しかし芸術の横のレンラクということだけではまだ不足で、たとえば「文学座」の演技を見ても痛感されることは、子供の時から芸術になれ芸術を友だちにして育った生活がないというところからくるギゴチなさである。
つまり頭は進んでいても眼高手低をまぬがれない。
これを子供の時からその世界で叩きあげている「歌舞伎」にくらべると、新劇の眼高手低の甚しさがハッキリする。

 そのような意味でも、戦後、庶民生活に、特にその子供たちの生活の中に、芸術が生活の一部に、又はそれに近い親しいものになりつつあるということは、慶賀すべきことだ。
それは芸術界のためにのみ慶賀すべきことではなくて、日本の永遠の平和な生活のためにも。

 だいたい日本人はいろいろの人種の中で最も温和を好む人種の一ツではないかと私は思う。
現在、切符売場の行列、乗降の混乱など団体生活の秩序が乱れているのは、負けた兵隊や難民のドサクサまぎれの根性が露骨に現れているだけのことで、この焼野原の雑居生活でこうなるのは仕方がない。
もとはといえば、なりたくもない兵隊にさせられ、あげくに戦争して負けたせいで、本来、大多数の日本人というものは、むしろ困ったことであるほど事なかれ主義で、進歩的なもの、改善をすら好まないほど大保守家なのである。
こういう保守的な国民に必要なのは、芸術を生活の友とすることである。
しかし、古来の伝統の芸術は、いずれもその国民性によって、型となり、奥義となり、神秘化され、常に現実から離脱して古典化を急ぎたがる傾向であったのである。

 我々の生活の中に西洋の音楽や踊りや劇や映画がはいってきたことは、我々の保守すぎる傾斜を正して、世界の一様の水準においてくれるものでもあり、すくなくとも芸術生活において、国民性として古典化や型化を急ぎ、神秘主義者になりたがることが、防がれることにもなるのだ。
我々の生活は、世界の芸術を友とすることによって、自然にその進歩にもついて行き、コチコチの島国根性にいつも一つの通風孔をあけていることにもなるであろう。
さすれば神がかりになる率もよほど少くなるだろう。



 日本共産党は、殆ど理知が基盤となっていないのだ。そして、スパイ的、陰謀的、好戦的である。しかしその根本にあるものは、正義感でもなければ人間愛でもない。神がかりなのだ。そして、通風孔がないのである。
 漁師や魚屋の娘がピアノやバレーを習いだしたように、共産党のテキハツ隊やヤミ屋諸氏も、娘にピアノやバレーを習わせたまえ。

卵と鶏

どっちが先かでは無いのです

卵が昨日に比べて今日25%値上がりした
ただ市場に行ったらどうかは解からない
最近は面倒で行かないのだ

大きさはMにランクする位のが
値上がりだ

これを6個買うと半身の鶏の炭焼きが買える
卵6個が鶏半分かい?
もうどっちがどうだか解からない

鶏が高い様な気がしない
問題は卵だろうと思う

下の店は大概おばさんたちの集会場なので
主婦モードで なんでだよ~と遣ってみた

答えはこうだ
政府が政府が

ナンデ政府が卵かを言わない
テレビないし解からない

タイの普通の言い方である
何がを言ってもナンデを省く

とにかく政府がなので卵が値上げだ
私の卵の消費量は尋常では無い
毎日最低6個くらいはどうにかする

むかし卵のドクターストップがあって以来
鬼の様に使うのです
医者がよせと言ったものは悉く逆らうべし
2ℓコーヒーもこの手の話だ
鍛えるべし
何でもどうにかなる


卵と鶏の関係はよく解からない

Le Revelateur Part 2

Philippe Garrel's 1968 film made with no audio

区別と差別の区別の無い国へ

そう考えても日本は涼しい   
気温は兎も角
世の中涼しい

どこを見ても菅直人の後釜話が出てくるが
民主党の話が出てこない
用途を問わない無い様な大金を政党が税金から受け取り
在日反日本組織にそれが流れ
流している政党を気取った組織が政権を持ち
その議員には反日組織に属し帰化したものが居て

そして管直人の首と引き換えに政権続投を手にし
よくよく考えてみれば容易に解かる事だが
この政権政党は考える余地のある内は何もしない

愈々切羽詰った所で自分達も譲歩するような態度に出て
結局は自分達が手にしたいものを手にする
これは 政治手法ではなく手口と言う筈だ

何故今電力が不足しているか
人為的に停めているからでしかない
原発を停止したところで原発疎の物は存続し
危険が無くなるまでには時間が掛かる
では代替はと言うと 
屁の突っ張り西かならない様な事をお祭り騒ぎ
あいも変わらず日本は資源が無いのでと繰り返す

あるのだ
尖閣周辺にあるのだから
早々に開発に着手すればいい

これはしない

下野した自民党などは
良識派を気取って見せているのか
スッカリ譲歩の演技に同調気味だ
何かを壊すという事に臆病な保守と
壊す事が目的の革命とでは話にならない

成文化された法律には必ず抜け道がある
成文化されていない政治的慣習は無視する
法に記されていない事柄について
その是非を問う事はあくまでも個人の物の考え方でしかない

菅直人の国会答弁の底流に流れていた理念だ
此れは同時にそのまま民主党の理念でもあるし
何より在日反日組織の得意とする物の考え方だ

政治経済検察マスコミ鉄道に至るまで
深く食い込んでいる者の排除はいずれ必要だ
保守がそれを先送りする体たらく

人種と国は別物である
その辺りから解かっていない
人種の交流は言いでは無いか
それこそ友愛で結構混ざれ混ざれと思う
国家同士は混ざれない
友愛外交は有り得ない

区別と差別の区別の付かない社会では自分すらなくしてしまう

付け加えて
いとも簡単に手にする事の出来る国籍は
利用価値があってもその国籍が
その国の国民である事の証明にはなり得ない
単に道具にする為に国籍をとるという現実は山ほど見せ付けられているでしょう

節電熱中症が流行っているようなら
節電凍死も当然起きるだろうと思う

命懸けで社会を国を守ろうとすると
それで得する者が居る

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
政党交付金は税金です
制裁国の組織に対して税金を使われていると言うはなし
そういう政治組織はなんと呼びどう対処すべきか

日本の常識は世界とは正反対
特殊性を喜んでいる場合では無いと思う


北海道連が支援の歌劇団 
総連の“集金広告塔”

総連系歌劇団が政治色もみ消し



オン

マレー半島の竹薮の地下茎の間に住んでいるオン
モグラだと言うけれど
手がモグラとは違う

ネズミの頭蓋骨で食いしん坊
どこまで意思の疎通が可能かよく解からないけれど
元来大人しく 掌に乗る頃から
成長すると
ウォンバット位の感じにまでなる

生態はいまだ研究中で
写真も余り出ていない様な気がする
此れを飼って居た頃
ナショナルジオグラフィックに特集記事あった

筍が好きだけれど
根っこなら何でも拒まず
小さな声でクイクイ鳴く事が有る

子供だからこんなだけれど
大人は丸顔になる

人を噛むからという理由で売られなくなったけれど
飼い方次第
そんな奴では無い

タイ語ではオン
黒茶クリームの三色

飼っていたのはクリームで
よく馴れた


angoの世の中フラリフラリと


ハイテク原始社会

日本が確実に熱帯化していると気象学者は言うけれど
それは個別の話であって世間ではそうは思っていないらしい

地球儀に赤道があって
その近所は暑かろうと思っていたのは子供の頃の話で
確かに赤道近くは赤外線の量が多いだろうからコタツも知れないが
バンコックから2時間赤道方向に飛んで
チャンギに着くと涼しい経験もした事がある

海流だろう

日本の近海の温度は上がっているから
数年前よりも熱帯化している
一年草なんだし
青森パパイヤ位は出来るかも

表で日に当たってバッタリ行くのは日射病と言っていたのだろうけど
今は表でも中でも熱中症で済ませる様だ

表でバッタリなら仕方が無いが
家の中でクーラー止めてそれでは
御ふざけも大概にした方がいい

災害の被害で無くなった分の電力は兎も角
連日の破壊的な地震と津波を想定しながら
削った電力の分
弱い者からバタバタ行く訳だが

気の変な指導者に操られると言う意味では
竹槍でアメリカに対抗しようとか
バケツで空襲の火を消そうとか
人口ゼロになる玉砕を唱えていたとか
そう言う 時代を見る様でいけない


節電ならクーラー使えば良いじゃないの
それこそ近所で今日は誰々さんのうち涼しいよ
そんな事すれば良いじゃないの

時代錯誤だろうけど
極左に従うよりは正気だろう
隣に殺されるよりは
愚作に殺されるほうが確率は高かろう

起きたときには800年だか1000年だか
だと大騒ぎして政府はこれを利用して
今度は何時来てもおかしくないと言う話にして

どんな原始社会かと思う
シャーマン復活じゃ

手相を見たら
感情線がバラバラですよ
結婚線は2本半 上向きね!
相も変わらず生命線が強くて嫌になる
運命線は無し

命懸けで国策に乗るとろくな事無いよ
鵜呑みって事だからね




Le Revelateur Part 1

Philippe Garrel's 1968 film made with no audio

そうでしょう

野田氏が党内では時期代表に有力視されているの・・・?

報道にあるその表現がそうなら
あ いや誰でも同じなのだけど

その野田氏が救国内閣とか
この野田氏がそれに色気を出している谷垣もそうなら
救国内閣は出来ない

何故救国内閣が必要になったのかを理解していれば
その訳を創った者との連立や共同作業が救国には成り得ないという事だ

そうであった者無かった者も含めて団塊世代というのには矢張り不思議な記憶が刻まれている様だ

野田氏などは完全に団塊からは外れているが
環境の選択の結果だろう

これだけ嘘に固まった政治を創り出した2年前の選挙は無効である
それ位の発想が出てこない野党も御人好し
それを理解している野田氏も強かな男

今の状況を国会の中だけで判断すると言うのはどううだろう
国民が再び目的としての二大政党制と言うデマに乗ったならスッカリ諦めも付くのだろうけど


検察の人事が変わった
あの人もこの人も終には現職総理が
そういう中で人事が変わる

ちょっと気の効く国民性なら静かにはしては居ない


タクシン日本入国許可

自国で犯罪者として確定した者も日本へ入国できると言う判断穂下した
法務大臣江田五月の権限で超法規的決定が下された

タイはいずれ騒ぎになるだろう
今の日本政府とタクシン派には共通のものが後ろに控えている
中国共産党

既に周りを囲まれているタイで
タクシン派は中国化を促進するだろう
王制は崩壊させたい訳だ

今回の新政府への考慮とは
そのまま北京への考慮

タクシン氏は22-28日の日程で訪日し、東日本大震災の被災地視察や都内での講演、国会議員などを予定。
 
とある

最初の二つは演技だろうが
三つ目は何だ国会議員を予定と言う表現は意味不明

タクシン氏は、「日本・中国・ASEAN経済文化研究会」(会長・水野清元総務庁長官)の招待を受け今月22日からの訪日を希望。


タクシン氏入国許可へ タイ新政権に配慮