固定観念のある人に発信を理解してもらうことの難しさ | 艶(あで)やかに派手やかに

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「女性」✕「発達障害」✕「アラサー」×「グローバル」の立場からダイバーシティ(多様性)について発信しています。

社会には、悪目立ちする情報が氾濫している、と感じることがあります。

優良な情報は嘘・誇張・レアケース、悪い情報ほど現実、と受け取ってしまう人が多いなあ、と思うことがあります。

特に「障害者」とか「女性の活躍」とか「多様性」とか「働き方改革」というテーマになると、そう感じます。

 

固定観念のある人に会うと、発信を理解してもらうには一層の努力が必要だなあと感じてしまいます。

「障害者はこう」「女性はこう」「会社はこう」「日本はこう」という固定観念のある人は、優良な情報に対しては「そんなのは嘘・誇張・レアケース」と受け取るのを拒否してしまうし、

そうでない情報に対しては「ほらやっぱり現実はそうなのよ」と受け取ってしまいます。

それだけでなく、こちらが「良すぎる情報に踊らされないように」というアドバイスをされてしまうことまであります。

固定観念のある人は、多数派にもマイノリティ当事者にもいます。

多数派で固定観念のある人は、変革に抵抗するし、

当事者で固定観念のある人は、「社会は変わらないもの」と言って、やる前からあきらめてしまいます。


最近、こんなメッセージが話題になっていることを知りました。

 

「がんばっても報われない社会が待っている」東大の入学式で語られたこと【全文】
4月12日、日本武道館で東京大学の入学式が開かれた。

https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/tokyo-uni

 

上野千鶴子さんと言えば、東大名誉教授で日本のジェンダー研究の第一人者。

私達が生まれるよりはるか前から上の世代の人々が女性の地位向上のために発信してきたことが、今の社会を作ってくれていると理解していますし、女性に門戸を開くところが増えたのもそうした発信が貢献した面があると思っています。

東大も女性の活躍の視点を意識したのか、この人が東大の入学式で新入生に祝辞を述べたということです。


祝辞は、東京医大の不正入試の問題に触れ、

このように社会には差別があり、そこから「がんばっても報われない社会が待っている」、という展開になります。

しかしながら、最初から最後まできちんと読めば、

「がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったことを忘れないようにしてください」

「世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください」

という言葉が出てきます。

この祝辞の核心は、この部分にあると考えられます。

 

また、記事の見出しには、付けた人の思惑があり、

この場合には、社会に問題意識を持ってもらうために、強いインパクトの見出しを付けたと考えられます。

 

しかし、固定観念のあるマイノリティ当事者にはここで、最後まで読まずに、「頑張っても報われない社会が待っている」「社会にはこんなにひどい現実がある」という部分だけに影響される人がいます。

 

「頑張っても報われない社会が待っている」

この見出しのインパクトは強い。

そして、不正入試はまさしく悪目立ちする情報です。

確かに、不正が行われた大学の受験生にとっては深刻な問題ですが、

日本の大学のなかで現実に不正入試が行われたのはごく少数で局地的です。

(ごく一部に、本当に不正を行っている人がいることも忘れてはならないのですが…)

がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたち、がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいるのも、現実。

その一方で、優良なところに入り、活躍できる可能性があるのも、また女性の現実としてありますが…。 

けれど、マイノリティ当事者には、悪い情報ばかりに影響されてしまう人もいるのではないでしょうか。

例えば、

女性=男性社会の弱者で、男性より一歩引いた立場で生きる

障害者=健常者社会の弱者で、健常者より劣った条件で我慢して生きる

というイメージを、そういうものと受け入れ、社会は変わらないものと言って、やる前からあきらめてしまう人。

中には、しんどい仕事をせずに他人(家族・国など)に養ってもらえるからいいや、と開き直る人もいますが。

またそれとは別に、悪い情報に食いついて、社会を過剰にひどいところだと考えたり、非常に攻撃的な主張をする人もいたりします。

 

ただ、人によっては、固定観念があっても、それは知らないゆえに限定的な知識や経験でものを言っているだけで、

発信する側が丁寧に説明すれば、「ああ今の時代はそうなの」と受け入れてもらえることもあります。

そうなれば、相互理解に向けて前進できます。

 

上野千鶴子先生の祝辞は「希望がないわけじゃない」という発信でした。

私も女性×発達障害の当事者としては、「希望がないわけじゃない」ということを実践・発信していきたいですね。

受け取る人には、切り取られた一部分や悪目立ちする情報ばかりに影響されるのではなく、より核心となる部分を受け取ってほしいものですね。

そして社会には多様な現実がある、ということに目を向けてほしいですね。


平成31年東京大学入学式祝辞