ダイバーシティ&インクルージョンで格差につながる? | 艶(あで)やかに派手やかに

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「女性」✕「発達障害」✕「アラサー」×「グローバル」の立場からダイバーシティ(多様性)について発信しています。

「欧米企業では、日本企業とは障害者に対する考え方が異なる」という記事を上げました。日本企業を見限って、外資系企業に転身した発達障害者までいたという話も取り上げました。

 

発達障害者への配慮って何なんだろうか…。そもそもああいう特性の人は協調性や空気を読むことを重んじる日本の風土にはなじまない、合理的配慮にも限界がある、という声もあります。

 

こうしてみると、障害者、特に発達障害者は日本企業ではまともな仕事を任されないばかりかいじめやパワハラの対象になりやすく居場所がない、外資系企業や海外を目指すのがいい、という結論を導くこともできるでしょう。

 

だがそれがお決まりのコースになると、「そのような障害者の活用は元々意識の進んだ外資系企業がやること」「日本企業では無理」というような見方が広まってしまうのではないか…。

 

進んだところはますます進み、遅れたところは少ししか変わらないか後退。進んだところにいる当事者は比類なき発達を遂げるが、遅れたところにいる当事者は取り残されるのではないでしょうか。

 

それに進んだところはえてして敷居も高いのです。日本に進出している外国企業はだいたい本国でも大手企業で、グローバル競争のトップを走っているのだから当然です。彼らにとってダイバーシティ&インクルージョンとは経営戦略であり、弱者救済事業ではないのです。育った環境により致し方ない面もあるでしょうが、やはりある程度の英語力、教育や職業経験、それがなければよほどの行動力がなければ、入ることもできないと考えていいでしょう。

 

狭い日本だけでなく広く世界に目を向けることは正しいです。その方が幸せな人もいます。

一方で、良くない境遇に置かれていてもこの国が好きで、グローバルよりもローカルに、国内企業で、地方で生きていくことを選ぶ人もいます。そちらの方が多いでしょう。国内企業や地方に根差した当事者も普通に働けるといいのですが。(日本企業がすべて昭和的メンタリティが重視されるわけではなく、理解されやすいところもあるのは確かです。そして遅れていると思われているところで当事者が道を開く話もあるのは確かです)

 

結局、当事者が才能や特性に見合った仕事と納得いく収入を得たいなら、支援者に紹介してもらうのではなく、当事者が道を切り開くしかないのです。それも自分の実力だけで切り開ける道ではありません。周囲の人に協力してもらいながら、あきらめず、才能を信じて、全国、いや世界にも目を向けて、前に進んでいくしかないのです。そうする体力も知力も気力もないなら、厳しいですが方向性は、生活保護、福祉作業所、良くて無理なことはさせられないけど時給1000円超えないような責任や専門性とは程遠い仕事に向かわざるを得ないのです。

 

 

ダイバーシティ&インクルージョンは、当事者の総合力と環境によって、障害当事者間に格差と分断をもたらしてしまう面もあるのではないかと思うのは私だけでしょうか。