「アデハデ」に込めた想い・第58回 ピアノ 幼少期にできた土台 | 艶(あで)やかに派手やかに

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私には子供時代にピアノの経験がありました。スポーツと異なりますが、ピアノも身体を使った活動です。特に指使いや姿勢は訓練されました。今でもよく言われます、「長谷ゆうさんは背筋がピンと伸びていて、体型が良く見える」

ピアノは個人レッスンとグループレッスンを同時進行していました。個人レッスンではかなり難しい曲も練習していました。グループレッスンで弾く曲は個人レッスンで弾く曲より簡単なことがほとんどでした。

当時の私は、普段一緒に練習していたグループのメンバーとは、特に仲が良く、一緒に話すことが多いわけでもありませんでした。けれども先生から「これをやりましょう」と指定された曲の楽譜を渡され、割り当てられたパートを繰り返し練習して、「この曲ではこの展開になったらこう弾く」を身体で覚えていました。他のパートのことは特に構うことなく。それで地区のコンクールで入賞したこともありました。

当時は発達障害という概念も知られていませんでしたが、周囲の自然なサポートだけでアンサンブルに参加できていました。

「関係性」「場の共有」「粘れる身体」

そのころの自分は特に上の3つのキーワードを意識していたわけではなかったです。けれどもグループ演奏の場に参加できました。また場の共有とはメンバーとすべてのことを共有しなければならないということではなく、部分だけの共有であっても良いということです。

多少特性が強くても、頑張れる身体作りはここからできていたんでしょう。私は頑張るという言葉に抵抗を持ったことはありません。幼少期にできた土台は簡単には崩れないのでしょう。

 

 

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