ポズナン暴動60周年とショパン | 親子でポーランド留学!

親子でポーランド留学!

絵描きの母と高2の息子との留学日記です

今日は仲良しのピアニストちゃんの演奏を聞きに行きました。

街中国旗だらけだけど、祝日ではなかったはず。
サッカーがベスト8に入ってから、毎日ドミトリーはお祭り騒ぎなので、本当にめでたい日がわからなくなってます。





音楽学校、慣れ親しんでいる芸術大学とは違う雰囲気に少し緊張。
怪しい揮発性の匂いもしません。


ショパンのプレリュード24曲を聴きました。
留学の始まりもショパン、終わりもショパン。
帰国したら○○胃酸のCMの度に泣くかもしれません。


私は絵画、彼女は演奏。
年も表現方法も違うけど、お互い日々研鑽です。

毎日、いっぱい笑って、泣いて、怒って、勉強して。
自分で体得したものは宝物です。
五感をしっかり使って集めた宝物で、美しいものを生み出したい。

その日の彼女の演奏、私には宝物が見えました。
後日、最高得点だったと聞き、専門外ながらも納得です。


そうして帰宅し、TVを見ていましたら、画面にはさっきまでいた場所が。
続いて大統領のスピーチ。

字幕を翻訳してようやく、ポーランドの大切な記念日だとわかりました。
1956年6月28日はポズナン暴動があった日です。

労働者の待遇改善要求からストライキが始まり、反レーニン、反共産主義、暴動へと発展したそうです。
この暴動は後に東欧に民主化をもたらしました。

大統領の後、画面には、レフ・ヴァヴェンサ!


1994年に来日した時、日本ではすごい人気でした。
しかし、このノーベル平和賞受賞者、ポーランド人には「狐」と呼ばれていて、反応は微妙です。
確かにこの間まで連日、スパイ疑惑が話題でした。
「レフ・ワレサ」という呼び名も、当時の日本ではポーランド語を表記出来なかったためにこう呼ばれてますが、こちらでは悪い言葉らしいです。
日本ではヨハネパウロ二世より有名なポーランド人だと言うと、驚かれます。


そして、ひとつの疑問。
グダンスク出身の彼女が「ポズナンがパクった」と主張していた慰霊碑。こちらの記事参照

1956年ポズナン暴動の後、1980年連帯運動だから、
グダンスクがパクった
のではないでしょうか?

明日、聞いてみよう。