大河ドラマに歩調を合わせて、西郷隆盛を扱った番組がよく放送されている。
BS-TBSのにっぽん!歴史鑑定で「西郷隆盛の失脚~”英雄”から”逆賊”へ」を放送していたので録画して見た。
西郷隆盛が新政府の参事を辞任したのは、自分を朝鮮に特使として派遣する件を潰されたからだった。
その経緯を番組の内容から要約してみる。
岩倉使節団で大久保利通らがいない間に、西郷隆盛をリーダーに数々の政策を実現していった。
その中で、西郷隆盛は朝鮮に開国を迫るため、自分を特使として朝鮮に派遣することを閣議決定していた。
ただし、岩倉使節団が帰国して再協議することになっていた。
岩倉使節団が帰国すると、岩倉具視、大久保利通は反対だった。しかし、他の参事は皆賛成で天皇にその旨を上奏することになった。
岩倉と大久保は辞任するといい、政権トップである太政大臣の三条実美は、調整に奔走したがうまくいかず倒れてしまう。
そこで右大臣の岩倉具視が代理になり、裏工作で天皇に特使派遣の延期の内諾を得た。
これで西郷隆盛は辞任して鹿児島に帰ってしまう。
西郷どんの征韓論については本を読んで以下のブログを書いたことがある。
コメント:
西郷が辞任したのは、1873年10月になる。
ところが世界史の年表を見ると、1876年2月には朝鮮は日本と日朝修好条規を結び開国している。1877年の西南戦争の前になる。
1875年9月に江華島事件があり、日本の軍艦と交戦した事件があったのがきっかけになっている。
その前の1873年に朝鮮内の政権交代があり、閔氏政権になって、従来開国を拒否していた守旧派が排除されていた。
西郷が辞任した同じ年に、朝鮮での政権交代があったわけだ。
もし、朝鮮内部の情勢に通じていて、それに基づいて西郷が朝鮮に派遣されていたら、開国提案が受け入れられたかもしれない。
そうなれば、西郷の辞任はなく、西南戦争で死ぬこともなかった。