若狭徹「東国から読み解く古墳時代」を読んだ。
最近の新聞で榛名山麓の5-6世紀に火砕流で埋もれた遺跡の記事が出ていたが、若狭氏はその記事に名前が出ているので、この方面の権威だと思われる。
本の内容で印象に残った所をメモする。

古墳時代、榛名山の500年ごろの噴火は火砕流で村を覆い、550年ごろの噴火は軽石で村を覆った。榛名山の北東の黒井峰遺跡は軽石で覆われた遺跡で、軽石層の下から古代の村がそっくり現れた。日本のポンペイと言われている。
同じように、中筋遺跡は火砕流で覆われた遺跡である。

通常の古代遺跡では多くの住居跡が発見されても、同時に存在した住居がどれか分からないが、噴火で埋もれた遺跡では一気に埋もれているので分かる。それに、通常は地面に残った痕跡しかないが、ここでは建物まで分かるという、非常に貴重な遺跡である。また、古代の甲冑を着た兵士がそのままの形で出てきている。(展示されているのであれば、見たいものだ)

古墳時代は寒冷期であったことが判っており、竪穴式住居は寒冷気候に適したものだった。当時の未開人を土蜘蛛と呼んだが、竪穴式住居は土の中に埋まっているように見えるからだろう。
平地住居も多くあり、季節によって使い分けていた。高床式住居もある。

須恵器の大カメが五世紀以降に導入され、水瓶として用いられた。
カマドも五世紀に移入された。従来は炉であった。
古墳時代、箸はまだ普及してなかった。

上毛野の遺跡から、積石塚、軟式土器、馬埋葬、耳飾りという渡来系の文物が出るので、この地帯に渡来人がいたことは確実視される。渡来人はこの地に冶金、治水、馬生産をもたらした。

<ヤマトの古墳群と埴輪>
3世紀後半 奈良盆地東南部のオオヤマト古墳群 円筒埴輪
4世紀中頃 奈良盆地北部の佐紀古墳群 家形・器材埴輪
4世紀末  大阪府の古市・百舌鳥古墳群 水鳥や家・導水施設
5世紀前半 同古墳 人物埴輪

浅間山古墳では佐紀古墳群の規格が導入され、家の埴輪がある。
大田天神山古墳 (5世紀前半)で は古市古墳群前半の規格が導入され、水鳥の埴輪がある。
保渡田古墳群では古市古墳後半の規格で、人物埴輪群像がある。
このように上毛野の古墳はヤマトと連動している。
中央の了解の下で古墳や埴輪が作られたと思われる。

東海系の土器の分布から分かるが、古墳時代前期に東海地方から上毛野に移入した集団がいて、在来弥生人と交わりながら集団再編した。浅間山古墳は海・川の道を遡上した最上流の港を臨む段丘上に作られた。

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