日本にはなかった制度の科挙であるが、ある歴史ドラマを見ていて、科挙は単に優秀な人材を集めるだけの制度ではないことが分かった。
 
国家が統一されるとき、通常、一人の英雄が出てきて単独で周りの国をすべてやっつけて統一するわけではない。できるだけ多くの豪族を見方に引き入れ、勢力を伸ばしていき、最終的に他の大勢力との決戦で勝って統一を果たす。その結果、統一された国の中で味方した豪族の勢力が権勢をふるうことになり、王様より強い豪族も現れる。
そういった王様が統一後に考えることは、豪族をつぶすか、弱めることだ。そのためには遠くの勢力を自分の味方に付けて、自らの軍事力を強める。また、国家を運営する役人は、有力豪族の子弟などになってしまっているので、それを排除するために優秀な人材を科挙で全国から集め、王様のための役人にする。それが科挙であり、科挙は王様のための役人を作る手段だった。こうして、優秀な役人によって支えられた中央集権的な王権が完成した。
 
日本の場合、大和朝廷が日本を統一したあと、各地の豪族の力を弱めていったが、最終的に藤原氏が残ってしまった。その結果が平安時代の外戚(藤原氏)による摂関政治だ。菅原道真は家柄によらず優秀だったので選抜されて偉くなり、宇多天皇に頼られたが、その天皇が引退後、藤原氏によって左遷された。そうして結局、科挙相当の制度は根づかなかった。
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