昨日は伝授でした。
伝授では、必ず皆で勤行をします。
レギュラーと呼んでいる、相談者の方々にも御要望に応じてお渡ししている経典を詠みます。
その時々によって、何かの祈願を籠める時もあれば、全く何も入れずひたすら仏に祈る場合もあります。
読経は癒しであると同時に、浄化でもあり、また魂を高めるものでもあります。
濁りのない純粋な祈り、極限まで集中力を高め、心身を統一して行います。
本日も気療を行いましたが、施術を行う時、それは祈りに限りなく近く、医学的、また解剖学的な見地と共に純粋な祈りに近い被施術者との親和が必要です。
テクニックのみならず、相手を思い、心で語りかける事で、気療は現実的な力を発揮してくれます。
感情的だったり、力任せは、祈りにおいても気療においても、乱れを生み、濁りとなります。
祈りのおける情は、感情的なものとは本質的に異なります。
身口意の統一が密教ですが、同時に呼吸と肉体と意識の統一も行わなければ完成しません。
私も弟子達も、未だ修業中です。
生涯修行ですね。
修行と学びに終わりと云う事はありません。