参加して下さった方と共にしっかり読経致しました。
心がざわついていたと仰る方が、読経後は心が鎮まったと喜んで戴きました。
また読経の最中に涙が理由なく溢れて来たと云う方も、落ち着いて楽になって戴けた様です。
最近の話題として、特に精神世界の学びや武道等を学ぶ場合、日常と学んでいる時とのギャップが大きく、学んでいる時だけ、そのモードになっていて、日常に生かせていないと云う事があります。
精神世界の学びは、日常においても、その安定した状態を保つ事が出来る様に学び、色々な訓練をして行くものです。
ヨガしかし、ヒーリングしかり、神道や密教も同様です。
また、武道は日常でも武道家としての精神を維持し、潔く、また自分をしっかり律して生きてこそ、武道を修練したと云えます。
道場で稽古している時だけ、そのモードになって、道場から出たら、モードが変って仕舞うのは、本当に武道を学んだとは云えません。
単なる習い事、カルチャーの気分でやっていたら、本当の意義を知る事は出来ませんし、息抜き、ストレス解消、趣味の域を出ません。
どうせ学ぶなら、習うのではなく、先達の姿を見て、そこから学び取って掴み取って行く心構えを持ち、またそれを日常でも維持して、そう云う生き方をして欲しいものです。
良く読経をすると云う方が、日常では本当に普通の人でしかないと云う事があります。
読経して、そこから色々学び、それが日常に生きてこそ、経を学ぶ意義があります。
内弟子にも伝えた事ですが、24時間、プロの意識を保ちなさいと。
それが生き様に繋がり、ひいてはカリスマ性に繋がるし、説得力になる。
楽になる為に学んでいるならば、楽しくなる為に学んでいるならば、その状態を常に維持して、己自身を高めて行きたいですね。
