祈りは純粋なものです。色々と考えず素直になりましょう | Adept・Mentor 島津成晃の独り言

Adept・Mentor 島津成晃の独り言

感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。
アメンバー、読者登録は記事を書かれている方からのみ承認させて戴きます。
宜しくお願いします。
島津相談室代表
正伝流空手道中村道場相談役

 昨日の伝授は、とっても深い伝授になりました。
原点回帰、祈りとはと云う問題になりましたが、祈っているとどうしても自分の祈り方は正しいのかと考えて仕舞ったり、願い事をついやって仕舞ったり、それじゃいけないと思ったり、祈っているのに迷って仕舞う事も多いですね。
祈りの正しい間違いなんてありません。
素直に、神や仏に甘えて、親に甘える様に素直に向き合って祈れば良いと思います。
ピュアであると云う事は、素直であると云う事でもあります。
ゴチャゴチャと頭で考えないで、自分の心に従って、向き合えば良いのではないでしょうか。

 昨日の伝授では、土砂加持と云う秘伝中の秘伝を伝授しました。
と云っても、言葉で教えた訳ではなく、ただやって見せただけです。
そこから何を感じ、何を見て、何を学んだかは本人次第。
伝授と云うものはそう云うものです。
説明して学ぶのは学習、伝授は感じて受け取るものです。

 ただ、絶対的に知っておかねばならない事、認識しておかねばならない事は言葉で説明します。
何が大切なのか、絶対に忘れてはいけない、わきまえておかなければいけない事と云うものはありますからね。
昨日のそれは、仏も神も生きていて命を持っていると云う事です。
神も仏も御先祖も、肉体を持たず、三次元的には生きていません。
ですが、命がないと云う事ではありません。
しっかり生きていて、我々に常に接して向き合ってくれる。
その事を忘れて仕舞うと、本当の意味で向き合う事は出来ないです。
命のない死人と会話する事など出来ませんからね。
姿がなくても、肉体がなくても、命があり、生きているのだと云う認識を忘れない事が大切です。
毎日、神仏に手を合し、御先祖の供養をする事は、時に面倒であり、億劫になるものです。
が、相手が生きているのであれば、日常の挨拶は毎日します。
同じ事です。
目の前にいる相手を無視する様な事はしてはいけないですね。
素直な気持ちで、気持ち良く、毎日御挨拶して、共に過して行ければ最高だと思いますね。

$Adept・Mentor 島津成晃の独り言-banner

ペタしてね  読者登録してね