ちょっと実家に顔を出した際、録画されていたものを観てきました。映画音楽の大家、エンニオ・モリコーネの生立ちや事績を追うドキュメンタリー映画。モリコーネと言えば、の『ニュー・シネマ・パラダイス』の監督が撮っています。

 幼い頃からの音楽教育、「食べるために音楽をする」ことに対する葛藤、作曲クラスでの疎外感、テレビや映画の仕事をすることに対する恩師やかつてのクラスメートの厳しい目と、またしても葛藤、自分がやりたい音楽との乖離などなど、先駆者の苦悩と、そこから生まれた豊かな世界とそのあとに続く人たちからの称賛と、大変見ごたえのある映画でした。何よりもご自身の中で、映画音楽の仕事をすることと折り合いがついたというのがよかったな。

 思っていた以上にいろんな映画に携わっていた上、全然知らなかったイタリアのテレビ番組の仕事もあって、その仕事量に圧倒されました。徹夜で編曲しなおして翌日録音なんてこともあったとか。元吹奏楽部部長の父が「ということは楽団は初見……?」と慄いていました笑。そのあたり、教会の仕事をしていたころのバッハみたい(毎週のミサのために曲を書いていた)だな、と思っていたら、作品中でもバッハの再来みたいなことを言われていた。とにかく分量がすんごい。

 このフレーズも?え、このフレーズも???と聞き覚えのあるものも多くて、その偉大さを改めて感じました。特に「これもか~!」となったのは『続・夕陽のガンマン』などの西部劇の音楽。タイトルと結びついていなくても曲だけすごい印象に残っていたりする。

 西部劇で一緒に仕事をした監督セルジオ・レオーネは小学校の同級生(偶然一緒に仕事をすることになったようです)だそうで、彼関連の音楽についてはモリコーネは、自分は気に入ってない、これがいいなんて正気か?みたいな発言をしていて、なんというか幼馴染だからか?みたいな茶目っ気も感じたりしました。

 映画音楽のほかにも、現代音楽の、それもとても実験的なことをやっていたりしたそうで、伝統的な西洋音楽から出発してその境地に至るというすごく広いレンジの中で、映画音楽でもいろんなことを試したりしていたのかなと思ったり。そして伝統的西洋音楽界からはちょっと冷たい目で見られ、映画にしてもイタリア製西部劇出身だからとアカデミー賞からも嫌われたりというのがありがちながらもなんだかな~!という。西洋音楽での知人が、謝罪しに行ったことがあるのは、大変誠実だなと思いました。

 同じく映画音楽をやっているジョン・ウィリアムズやハンス・ジマーのからのコメントのほかにも、ギタリストのパット・メセニーやメタリカなどからも愛されているんだな~というコメントがあり、ほんとにたくさんの豊かな音楽を世に送り出した人だったんだなぁと思いました。彼の膨大な仕事のおかげで、今素晴らしい映画体験をできているなと思います。2020年に逝去されましたが、その前にこのドキュメンタリーが製作されたこと、完成させられたことは本当によかったと思います。


 ちょっと実家でおしゃべりとかなんか食べたりしながら観ちゃっていたので、また改めてじっくり観たいな~。

 ところで『遊星からの物体X』の話が全然なかったのですが……!?

 

 

 

 

 

 『ヴァチカンのエクソシスト』で教皇を演じていたフランコ・ネロもイタリア製西部劇の人だそうなので、そのあたりやっぱりちょっと開拓したいな~。ドキュメンタリー中に出てきたクリント・イーストウッドのかっこよさときたらとんでもなかったし。