今週の「虎に翼」は | 内垣新平のブログ

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気まぐれに思いついた事、感じた事など書いてます

 何だか今週は、いろいろ感じさせられたり、考えさせられたりした週だった。

 振り返ろう。

 

月曜日。

 最高裁長官・星朋彦の著書の改稿を手伝うことになる。

 

火曜日。

 「出涸らしだからこそできる役目もあるのでは?」という星の言葉。

 そして星(平田満)によるおよそ1分半の序文朗読。じわっと沁みるいい朗読だった。

 

水曜日。

 尊属殺規定の話。

 裁判の結果、尊属殺は合憲となった。法の下の平等に反するという立場で意見を述べた穂高(小林薫)たちは少数派だった。

 でも「反対意見を述べた人の声は残る。けっして消えない。その声はいつかだれかの力になる日がきっとくる」と寅子。

 

木曜日。

 問題の日である。穂高先生の退任記念祝賀会。

挨拶の中での「結局私は雨だれの一滴にすぎなかった」という言葉で怒りがピークに達してしまって会場を飛び出す寅子。

 なぜ寅子はここでこんなに激高してしまったのか。

 

金曜日。

 事務所にやってきた穂高先生。そして和解。

「よかった。最後に笑ってすっきりした顔でお別れできそうで」「君もいつかは古くなる。立派な出涸らしになってくれたまえ」。

 

 

 

 私は、金曜日の和解は「とりあえずの和解」としか思えなかった。なぜだろう?自身に問うてみる。

 寅子の激しい激しい怒りと態度に対して、金曜日の展開だけではどうにも釣り合いがとれていない、と感じたのだ。

 たとえば穂高先生の告別式のあとに桂場(松山ケンイチ)たちと先生を偲んでいる時に、何かのきっかけで寅子が号泣でもすればやっと釣り合いが取れてくるような気がしたのだ。それをちょっと期待した。

 

 でもドラマは(脚本は)そうしなかった。

何故だろうどうしてだろう、といろいろ考えた。ネット記事もいくつか読んだ。

 

 

 演じている伊藤沙莉自身もこの場面は悩んだそうだ。どうしてこんなふうに怒りまくるのだろう、と。そして監督に相談した。

 すると監督は「この場面は表現としては怒りだけど、穂高に愛情を伝える大事なシーンでもある」「彼女の根底にある先生への愛と敬意が怒りとして表面化してきたシーンだ」と。

 

 そういうような説明を受けて、伊藤自身もふにおちた感じがあったという。

 

 

 つまり穂高は寅子にとって、もはや師である以上に父でもある。師弟というより親子に近い。

 

 だから穂高は頑張り過ぎる寅子が心配でならない。ついつい「スンッ」とした側へ誘おうとしてしまう。わざわざ困難なところを進まなくても流れに任せてもいいのだよ、と言ってしまう。

 寅子もまた穂高を、師であるとともに父のようでもある、と感じているに違いない。そこに深い愛があるからこそ、穂高が自分自身を過小評価しすぎるような言葉は許容できない。だから「私は先生に雨だれの一滴でしかなかったなんて言ってほしくない!」のだ。

 

 そしてこの、激高ともいえる激しさはある意味「親離れ」と「自立」への叫びでもあるのだろう。そんな気がする。

 

 

 寅子は祝賀会の日、表面だけニコニコ笑って花束を渡すなんてできなかった。どうでもいい相手にならそれもできたかもしれない。

 でも穂高先生に対してそんな偽りの自分でもって花束を渡すことはできない。

 それが寅子の生き方だ。

 

 

 でも・・・もしかしたらずっと先に、そう、寅子自身が出涸らしになってきた頃に、ふと穂高先生を思って涙する日があるのかも。

 まあ、このドラマがどこまでを描くのかは知らないけれど。

 

 

 

(来週はどうやら花江がキレるようです。きっと優未のことなんだろう。本当にいろいろ見せてくれる朝ドラだ。)