「4組に1組のカップルがDV当事者」の時代に企業がDV被害者支援をする意味 | FRaU the Earth (gendai.media)

 

 

結婚した夫婦でDV経験者が4組に1組程度とは、いやはや、とてつもない割合で驚きました。

 

伴侶に暴力をふるう方は、子育てや子守でも同じ行為を行うのでしょうか。

 

 

「ケーキの切れない非行少年たち」という書籍で、第2章に「幼児ばかりを狙う性非行少年」という項目があります。

 

改めて読み直したのですが、女児が9歳をこえると怖くなるのだとか。

 

DV行為を行う男女は、相手の年齢如何に関わらず、その場の状況と論理を用いて反論されると対応できなくなるのです。

 

それゆえ、暴言や暴力行為、伴侶や子供へ反応しない方法で行う無視など、物理的、心理的圧力で相手を屈服させる手法に頼らざるを得なくなるのでしょう。

 

 

男女の性別に限らず、幼い子供すら一方的にしかりつけたり叩いたりする時点で、その人の項目別、もしくは全体の知能が低めである可能性は高そうです。

 

父親が我が子を子育てしていると、女性特有であろう、体格が自分に勝るようになった我が子への接し方がへつらいに変化する姿をよく見かけます。

 

思春期に突入した子供の体が成長して母親を越えたということを認知した途端に、それまでの一方的な言語による攻撃をしなくなり、妙に気を遣う場合があります。

 

それを「子供が成長したから、自分で判断するように…」と言葉をすり替えている姿は、失笑をこらえるのが大変なことすらありました。

 

その子が幼児の頃、しっかり体罰で教育していた姿は目にしていたからです。

 

その子が言うことを聞かないのは、その子の考えを見抜いたうえでの声掛けをしようともしなかったからで…。

 

就学しても、学童保育や学童保育代わりに塾通いさせていましたよね…。

 

親が体格も言語能力も上回っていて、それが故に子供が従順さを見せていた頃、これらが理由で、見える範囲で言うことを聞いていたと感じなかったのでしょうか。

 

 

これは親が子供にDV推進教育をしているようなものです。

 

自分が思春期の頃、その周囲を含めて、自分自身の心の動きはどうだったか、どんな様子だったかが、記憶していないから想起できないのかもしれません。

 

本来、そのために学びがあるのですが、通学中に夫婦関係、子供ができた夫婦関係や育児に子育ては、誰も強制してでも教えてくれなかったから、自ら学ばない・なかったのでしょうか。

 

本当によく耳にした言葉ですが、「そのくらいのこと、どうにかできるわ」と本気で思っていたら、あまりに自らの能力評価が正確に行っておらず、それが故にいきなりの実践で疲弊し、それゆえにDVに至っていると評価せざるを得ません。

 

学習と実践抜きで、いきなりできる素晴らしい能力を持っていれば別ですが、例えば遺伝と環境要因にせよ、妙に遺伝に偏った個人の組成議論がまかり通っていますが、実際には遺伝子に組み込まれた能力が遺伝的に発現するには、それがその人に良かろうが悪かろうが、環境要因に左右される相対的な側面があります。

 

それくらい、夫婦にとっても子供にとっても、家庭環境が整っている(思い込みではなく、家族を構成するそれぞれの人にとって)ことは大切なのです。

 

しかし、こういった方々は、自分の思春期を振り返って、その事態への工夫の余地を探るなどすることはなかったのでしょうか。もしかして、そんなことをどう感じて、どう考え、どんな行動に至ったかまで記憶していない、とか…。

 

 

我が子は本格的な思春期に入りました。

 

いきり立って話し始め、言葉が荒れてきて、私の人格を否定する言葉が飛び出てくることもあります。

 

こんな時は、こんなにいきり立っている我が子に動画撮影することを了承してもらい(!)、記録を残しています。

 

私(親)が思春期の頃、こんな便利な道具がこんなに手ごろな価格で市場に出回っていなかったことを伝え、更に私自身も同じ時期に同じように感情的になりやすい、親に暴言を言ったこともあったことを素直に伝えています。

 

そして、どうやら人は忘れやすいし、記憶を自分に都合よく作り変える生き物である場合が非常に多いので、記録を残しておくことで、自分の思春期がどうであったかを思い出すきっかけにしてほしいから撮影していることを伝えています。

 

それと同時に、承諾があろうがなかろうが、ありのままを記録されることがどんなことか、我が子自身に経験してほしいからです。

 

 

こんなことがあった時、我が子は後で暴言を使い、その時の感情に任せて言葉を発してしまったことを謝罪してきます。

 

一通りの我が子の言葉に耳を傾けた後、「それでも、こういうことがあったら人は忘れないからね。今は思春期で、通常ではないホルモン分泌量だから仕方がないけれど、それでも人は必ずその時の感情をよく覚えているからね」ということは、言葉にして伝えています。

 

後日に機会があれば、我が子が通園し始めた頃に、帰宅したらホッとしてギャーギャーと泣いていた姿を収めた動画を一緒に見たりもしています。

 

因みに、私の一年だけの通園でも、同じことがありました。

 

そのことも、その時の感情や何をどう感じ、どう行動しようとしていたか、でも失敗(また大泣きした)してしまったかまで、言葉で伝えています。

 

通園先に親が迎えに来て、一緒に帰っていたら、それだけで気が抜けて、「今日は泣くまい」と心に決めていても、どんどん悲しくなってギャーギャー泣きわめきながら帰宅したり、同じように自宅の玄関についたら、玄関の床にひっくり返って泣きわめいていたと。

 

私の場合は喘息発作でたびたびお休みしたのですが、それでも、かなりの日数をこんな状態で過ごしていたことも、合わせて伝えています。

 

我が子に、「自分が親になって我が子が泣きわめいても、一緒だったことを記録を見ながら、聴きながら、耳が痛い思いをしながら(本当に大きな泣き声だから)、我が子が共感しやすい環境づくりができるよ」と伝えています。

 

実際に、大きく育った我が子が通園時代の録画記録を見て、一緒に過ごした親とその頃を、共感しながら楽しく会話できているのですから、こんなに強い実践経験はないかと思います。

 

 

家庭環境の整備は、DVに至らないがためにも必須です。

 

そのための学びが必要であるはずですが、驚くほどありません。

 

自分で疑問を感じ取って言葉にして、自ら探して学ぶしかないのです。