20世紀に学生だった人は、今のような手厚い・優しい対応が学校で受けられたことはなかったかと思います。
これは時代の変化で仕方がないことかと思いますが、私立でも変わらないところがありました。
当時はインターネットがない時代だったので、毎月、次の月の予定表が配布されていました。
出席日数をどうにか確保するため、喘息発作を起こしていても通学することが多々ありました。
学校へ行ってみたら、知能検査だったということもありました。
後日の三者面談で、知能検査の結果が以前よりかなり下がっていることを伝えられました。
呼吸困難で手指の爪や唇の色でチアノーゼ状態で受検したのですから、当たり前なのです。
知能検査当日は、副担任が教室にいなかったから仕方がないのですが、面談後に立ち去る際に担任が当日の私の様子を思い起こして伝えていたことを覚えています。
この時に告知された数字は119でした。
知能検査があった当日は、そのあとに親に迎えに来てもらい、早退して救急外来へまっしぐらでした。
入院を勧められたのですが、自宅でもう少し様子を診させてほしいと帰宅したことを覚えています。
高校1年生時の成績で振り分けられた特別編成(現在の特進)クラスでしたから、こんな話題が出たのかもしれません。
過去にも中間試験時に発作を起こしたまま受けて、やっぱり成績がイマイチだったことがありました。
代数・幾何が特に大変でした。
基礎解析や微分・積分の試験時は、圧倒的な酸素不足状態でも影響が少なかったです。
そういえば、確率・統計も予想ほど影響がなかったなぁ。
もし口頭試問があったら、会話することすら困難でした。
そういえば、知能検査は定期試験と同じで、筆記だけですからね。
大学に入って実験ごとに口頭試問がある時、発作気味だったらベロテックエロゾルを吸引して対応していました。
口頭試問を受けるだけでも心臓の鼓動が高まるのに、ベロテックの血管収縮効果(この効果で気管支内径が拡張する)で口から心臓が飛び出るのではないかというほどの動悸を起こしていたこともありました。
そういえば、大学入学して間もない頃のチューターとの個人面談で、「あなたなら国立大学に行けたでしょうに、何でここへ来たの?」と尋ねられて、当時は珍しい室内・敷地内完全禁煙で、喫煙場所が限定された大学だからと答えていました。
この時も、入学後に実施された知能検査の数字が話題に上りました。
加えて、チューターより学生管理課からの依頼で、私が在学中にWISC-Ⅲへの改訂版が出版されるはずなので、その時はぜひ受検してほしいと依頼されたことも覚えています。
これまでと形式が非常に異なる検査で年齢も16歳までなのに、成人用と両方を受検しました。
適応年齢が異なるからと一度キャンセルされて、そのあとにまた依頼が来たことを覚えています。
これまた忙しい学生生活中にその時のチューターから呼び出されて依頼が通達され、受けました。
この結果も話題にされていました。
同学年で成績トップの方が、どの分野でも私より数値が低かったって、何のために話を広げたのやら。
真偽を確かめるためにチューターの研究室にお邪魔したら、本当のことだとわかって尚更驚きました。
因みに、ちょくちょく会話していたこの同窓生は、博士課程修了前に仁科賞を受賞しました。
まだ研究職で勤務しているのかな。
コロナ禍での受験・受検で、発熱時は別室だったり別の日に追試が受けられたりする話題がよく取り上げられていました。
本当に、入試や定期試験の面で、いい時代になりました。
こんな配慮をされたのは、新聞奨学生をしていた頃に交通事故に遭い、入院を余儀なくされた時だけでした。
それでも、100点未満はいきなりB評価以下だったので、必死で100点を取るべく追試を受けました。
何度かは、車椅子に乗って受けに行っていました。
追試に付き添ってくださった管理者の女性が、結果を見て非常に驚かれていたことを覚えています。
酸素飽和度が90~93くらいで知能検査を受けると、楽勝で二桁分の数値が下がりました。
ただ、それでも特別編成クラス(ということは学年でトップのクラス)の平均よりずっと高いと、三者面談から数日経って言われても、全く嬉しくありませんでした。
世の中で通用する人は、健康であることは当たり前のことでしたから。
今でもそうで、ゆえに慢性疾患を抱えた人への配慮なんて、家族や親族以外では、型通りがあればいい方です。
さすがに現代では、試験当日の受験者の体の不具合に妥協してもらえるようになったということでしょう。