“親性脳”って知ってますか?(前編) ~パパがする子育てってこんなに大切~ (glico.com)

 

男性の多くが「育児・子育て・家事は女性」と思い込んでいるという前提の記事が、非常に多いです。

 

それらの著者の多くは女性なのですが、実は女性自身がこれを固定観念化していることは、あまり自覚されていません。

 

これは専業主婦やパート主婦に限らず、正社員の女性でも非常に多くて、困惑させられ続けてきました。

 

 

通園先でも保護者会でも、我が子に付き添って出かけた公園などでも、専業主夫である私以外はほぼ例外なく母親が子供に寄り添っていました。

 

それゆえ、母子観察はしようと思わなくても、どうしても視界に入り、そのやり取りも耳に届きました。

 

こちらからすると、その場で出会った他人というお子様でも、その場で仲良くなれました。

 

当然ですが、体に触れる、触れそうになる行為など全くなくても、その子のその時々の気持ちを想像しながら会話や身振り手振りで意思疎通するだけで可能なことでした。

 

ベビーカーに乗せられた乳児でも同じで、母親たちがおしゃべりに夢中になって放置され、泣きそうになっている様子も瞬時に察知していました。

 

我が子の同窓の子の母親であれば、一声かけてご了承いただいて、そのまま泣き出さぬようにひと手間をかけることもありました。

 

 

ところが、子育て中の女性であるからなのか、同じく子育て中の男性が我が子の機嫌を即座によくしたり、会話で危険を伝えて理解してもらったり、配慮の声掛けに見事に反応する姿を目にすると、それが不審者と映る言動を繰り返されたことは、本当に驚きました。

 

女性であり母親である自分たちを高見に置いて、どうしても育児や子育て能力に劣る存在であると貶めたい対象が男性という固定観念が見え隠れしていました。

 

子守を除く「我が子の子育て」が初めての私でも、すぐに気がついて対応できることばかりだったのですが、我が子が二人目や三人目の母親でも、不思議なくらいに変化に気がつかない姿を山のように目にしてきました。

 

 

同じことはベビーカーで幼子を運んでいる母親が、階段だけの昇降通路に立ち止まっていたので手助けしようと声をかけた時にも生じました。

 

こんな時でも、どう見ても扱いがガサツでも、普段着で我が子を連れた男性より、明らかにネクタイに背広姿の男性に明らかに笑顔を振りまいていました。

 

ベビーカーの扱いがイマイチで、それゆえに中の子供が愚図り始めていても、女性という生き物は見栄えする衣装をまとった男性がよいことがよくわかりました。

 

個人的に、勝手に変人や不審者扱いされることはうんざりしているので、手助けした方がよさそうな場合でも、やり過ごすようになって久しいです。

 

 

更に、上記記事にある「親性脳」が発達している男性の親は、多くの女性は知的能力が低いから幼い子供を理解できるととらえていました。

 

この固定観念による差別意識は相当なもので、いわゆる幼児を性の相手とみなす男性(いわゆる幼児性愛者)と同一視され、「大人(の女性)と会話すらできない男」という主旨の言動をあちこちでばらまかれて、ウンザリしたことが度々ありました。

 

「気が小さい奴」などまだマシで、知的障害を抱えた家族とまで言いふらされていたことも、度々ありました。

 

過去に私が就学して間がない頃や大学入学時点で計測された知能指数に触れたことがありますが、標準偏差のグラフだと明らかに中心より右側に位置して、テールと言ってよい場所にプロットされる値でした。

 

当然ながら、そんなことは他人に話すことがないのですが、客観的かつ具体的な数値として示された結果があるのです。

 

かつ、大卒であり、大学院も合格していたことがあり、短期間ながら海外でも仕事をしていたのです。

 

国内でも海外の研究者と英語や相手先の母国語で仕事を進めたり、雑談していたりもしたのです。

 

こういうことも、女性が自慢と思わぬように「それとなく」示す努力を、育児や子育ての場でせねばならなかったのでしょうか。

 

婚活だの、こういう方々が大好きな不倫やダブル不倫の誘惑の時のように、ひたすら魅力的であることが求められるのでしょうか。

 

 

更に、この母親がたのかなりの方々は、掲示板に張り出された、簡潔に書かれた行政文書の内容が理解できず、ママ友で共有しているLINEで非常に頻繁にやり取りしていたのです。

 

ゆえに、確定申告で住基ネットカードを利用してe-taxで…という話をするだけで、完全に浮いた存在になっていました。

 

WordやExcelが使えて、その中に作画することでも協力できることだからとやったこともあるのですが、当然のごとく会話になりませんでした。

 

軽い知的障害を抱えたお子様やADHD気味のお子様対応も、その子に合わせた、その場の言葉のやり取りでスッと理解してもらえる対応を取っても、こんなことができるがゆえに、頭が悪いのだそうでした。

 

 

こういった困惑は、我が子が博物館や動物園に美術館巡りをするようになって、さらに拍車がかかりました。

 

こういう場でも、母親たちは「何が面白いのか、さっぱりわからない」と、子供の疑問に答える努力すらしない、返答が子供にわかりやすい会話ができずにけんか腰になっているなど、全く珍しくないほど「よくある光景」でした。

 

「そろそろ帰る時間だから」という会話一つ、子供に寄り添いながら、理解を促して相互協力できるやり取りができない母子が非常に多い姿だったので、とても驚いたことを覚えています。

 

でも、幼い我が子と相互理解が進む会話をしていた私の方が、その母親がたより知的水準が低いと見下されることが度々ありました。

 

 

First-time fathers show longitudinal gray matter cortical volume reductions: evidence from two international samples | Cerebral Cortex | Oxford Academic (oup.com)First-time fathers show longitudinal gray matter cortical volume reductions: evidence from two international samples | Cerebral Cortex | Oxford Academic (oup.com)

 

育児・子育てをする父親は、脳の灰白質が減少します。

 

これすら男性の脳が育児に適応する再配線なのですが、上記した発想の母親たちにかかると感情論解釈になり、「バカになる」ということになってしまいます。

 

困ったことに、まるで思春期真っただ中の「子供のような」論拠に乏しい会話にしかならないのです。

 

 

個人的な経験として、親性脳の発達は男女差より個人差が大きいであろうことは、十分に想定できていました。

 

ただ、驚くほどこういった理解が進まない現状なので、特に女性による性差別として悪用されています。

 

それでも、こういう知識を自ら学ぶ人々ではないことも想像できてしまうので、今後も子育てする父親への理解が深まり、健全に受け入れられる世の中に簡単に、短期間に移行するとは思っていません。

 

固定観念とは石頭のように染みついた思想で、そうであることすら自己認識できていない方々ですから、根本的に変わりようがないのです。

 

 

ゆえに、かかわりを持たないことが妥当だと理解し、それに沿って行動しています。