ここのところ、窓の外から聞こえる声の数々に驚かされることがありました。

 

 

「塾に通わせてもいないのに、合格できるわけがないと息巻いている人がいて、学校に抗議していた」というお話が、路上の親たちの会話から聞こえてきました。

 

通塾にかかった経費総額の大きさも口にされていたそうです。

 

 

通塾していないということは、それ相応の費用が安くつきます。

 

ただ、そのためには子供自身で机に向かう自己統制能力が必要となります。

 

小学生高学年段階で自己統制でき、自ら机に向かって学習できることが、そんなに信じられないことなのでしょうか。

 

 

専業主夫世帯のような連中の子供に、そんなことができるわけがないだろうと。

 

私たち家族は高額な通塾費用すら出せる優秀な人の集まりだから、こんな連中が合格できるわけがないだろうと。

 

 

内容は微妙に異なっていても、会話内容の軸は同じでした。

 

私たちの取った手法は中学受験する世帯の中で少数派なのかもしれませんが、本当にこんなことで受験・受検した学校側に抗議したのでしょうか。

 

この抗議先も、学校や教育委員会という名詞の違いがあって、本当にそんなことまでするのだろうかと、本当であれば怖い世の中だと思わざるを得ません。

 

 

私はママ友なんて一人もいませんし、小学校六年間で我が子の同窓の親と話したことは、片手の指で数えられるほど少ない回数しかありません。

 

片言の会話らしい会話という尺度であれば、片手の指で十分に数えられます。

 

それゆえ、他家の子供がどのくらいの人数が中学受験に挑んだかも、合否も知りません。

 

あえて挙げるなら、我が子が帰宅した時の会話にこの手の話題があったり、PTA役員が学校の行き帰りにこの種の会話をしているのを耳にする程度でした。

 

因みに、我が子はどこを受けたかも、その合否も含めて話さないと決めています。

 

 

もしかしたら、他にもいわゆる塾なし受験・受検で合格した子供がいるのかもしれません。

 

我が子ができたことですから、他にもいておかしくありません。

 

ただ、それにしても、子供の合否結果を親が学校などに抗議する理由が「塾なし合格した」ことで、恐らく本音は賭けた経費と労力への対価が欲しいということでしょうから、何とも言えない気持ちになりました。

 

まるで、かけた経費を税控除してほしいという話にも聞こえました。

 

 

我が子が同級生にどこを受験・受検して、その合否すら明かさない理由は、こんな状態になることを予想していたからかもしれません。

 

何となくですが、もしかしたら通塾先に抗議する親もいるのかもしれないと想像しました。

 

 

PTA活動が代表的ですが、奇妙な同調圧力にさらされる環境だったことは、過去に確認した方々の行動が証明しています。

 

違法な強制ひとつ、奇妙な同調圧力が原因です。

 

確定した判決通りの組織運営が全くできていない、内部統制一つとれない、そのための人選一つできない異常な組織です。

 

そんな人の集まりであるが故、この種の勘違いが生じて、不要な抗議だったり、悪評を立てる動きが出てくるのでしょう。

 

その主人公は、未成年で、本来ならこの種の行動から保護されるべき存在なのですが、そんな理解は雲散霧消してしまったようです。

 

 

我が子は小学校を早く卒業してしまいたいそうです。

 

次に進む先へ、心は既に飛んでいます。

 

更に、意味のないマウント合戦を、目立たぬように繰り広げている同窓生がいるそうです。

 

そういうところにいるのは嫌でしょうが、これから過ごす世の中は、ずっとこの手の「嫌なこと」が付きまといます。

 

ゆえに、関心があるなら、そういう人たちをよく観察して、どういう人が行うことなのかを把握するのも通学する意義にできると伝えています。

 

 

人とのつながりは、相互理解できる少数で事を進めることが最善です。

 

とにかく他人を妨害して悪評を広めたい人を避けるには、関わらないことが一番です。

 

何も伝えない、知られないことが大切です。

 

特に塾通い一つしていないわけですから、会話一つ嚙み合うことはなかったでしょう。

 

自慢やマウントと受け取られかねない内容は徹底的に避けながら、ただ人とのつながりを維持するための雑談を続ける必要があって、希望してもいない、受ける外の方が大きい役割を無理強いされるわけですから、かかわりを持たないのは当然のことでした。

 

 

本当にあったかもわからない不審者騒動が起きれば、身近にいる父親である私が疑われる話を何度も根拠なしで流布されました。

 

その時々に放映されている不倫ドラマを見れば、その男優と私の外見を比較しては「実際にはあんなのしかいない」と、子供たちがそばで遊んでいる場でセクハラ発言連発でした。

 

そしてたまに会話する方ができればありもしない不倫騒ぎにして、更に私と話すなら私たちは付き合いをやめると集団で脅しにかかって、「男なんて何を考えてるかわかんない」と、子育てに関わる知識や経験の交換の場からも排除されました。

 

その方が、私が知りたい、当時のネット検索で簡単にわからない分野の知識と経験を有していることを知っていたからなのですが、周囲から見て「二人で話している」ことすら、目障りだったようです。

 

こんな一連の経験を繰り返し受けてきたので、かかわりを持たない妥当性を示す根拠のほうが、圧倒的多数なのです。

 

 

小学校で我が子が塾通いしていないことを把握していた母親たちは、「本番がお試し受験だわ」と失笑していました。

 

PTA役員で学校に来ていて、偶然、我が子がどこを受験するかを知ったなどと、その学校名まで会話に出ていました。

 

情報交換とは、その程度のことばかりの様子でした。

 

 

私たち夫婦にとって大切だったのは、子供に寄り添い、合格であろうと不合格であろうと、次につながる会話と行動を子どもと続けることでした。

 

この種の人とのつながりは、害あって一利なしなので、ママ友なしだったわけです。

 

ネット検索でこれだけ情報が集められ、分析できる状態ですから、必須とは言えませんでした。

 

 

孤独・孤立問題担当大臣が任命されていますが、本当に必要なのでしょうか。

 

人とのつながりとは、この程度の関係なのでしょうか。

 

噂話という嘘ばかりの会話に、盗み見た個人情報という本物のネタが入ったからと吹聴するような、そんな関係でも「ないよりまし」なのでしょうか。

 

 

そんなことに時間を割くより、中卒より高卒、高・専門卒より短・大卒、短・大卒より大学院卒になるほど喫煙率は下がります。

 

職場環境が高学歴な人で集まるほど、受動喫煙や残留受動喫煙被害が明らかに減っていくのです。

 

これは統計上、非常に明らかなことで、個人の健康管理上、他者から加えられる明らかな傷害行為に会う機会が、自らの努力で減らせる典型事例です。

 

 

こういった職場環境に置かれるということは、必然的に人のつながりも限定されます。

 

それ以外の人間関係があったとしても、多様な人が存在するところに加わると、これらの種の害を受ける可能性は飛躍的に増加します。

 

PTA役員が深夜から朝帰りまで飲酒の会に引きずりまわされたり(依存性薬物の強要と集団摂取)、セクハラ被害や不貞行為に陥るのも、明らかに前頭葉機能の差であり、異常な同調圧力の強さです。

 

ゆえに、関わらないことこそが、その権利が保障されることがとても大切なのです。

 

 

子供が塾通いしていないというだけで、受験・受検前から罵詈雑言は散々耳にしてきました。

 

そしてこれらが終わって結果が出たら、またです。

 

人とのかかわりを限定すること、それを決める権利があることは大切です。

 

 

この種の親たちに、我が子の結果をうんぬんと言われたくないですから、伝えない・知らせないことの大切さを強く感じた出来事でした。