勉強がどんどん身に付く、脳の“ゴールデンエイジ”っていつ?【理系博士の子育て第25回】 - with class -講談社公式- 家族の時間をもっと楽しく (withonline.jp)

 

頭の良くなる“話しかけ方”って?4歳までの単語数でIQや成績に差が出る【第38回】 - with class -講談社公式- 家族の時間をもっと楽しく (withonline.jp)

 

 

「何でなん?」を、一日に何度耳にし、応えて過ごした就学前でしょうか。

 

胎教で、私(父親)がおなかに向かって絵本を読み、その感情面は妻の中で子供が感じる時期を含めると、もう1年ほど長くなります。

 

子供が生まれて、ちょっとした声や泣き声だけの頃も、親が仰向けに横になり、小さな子供をお腹にのっけて絵本を読み聞かせしたり、歌を歌っていました。

 

仰向けになったお腹の上で眠ってしまうので、そのあとに子どもをそっと自身の敷寝に下ろすことが習慣になっていました。

 

 

着替える時も声掛けをし、これから何をするか、ボタンのつけ外し一つ声に出していました。

 

妻が母乳を与える時も、私が哺乳瓶でミルクを与える時も、洗面台でお尻を洗うときや入浴する時も声掛けをしていました。

 

こんな様子も、当時の携帯電話であるフィーチャーフォン(通称はガラケー)で動画撮影していました。

 

生後2,3カ月になれば、言葉は返さなくても意味をある程度は把握できていて、子供の様子を見て想定した「してほしいこと」を言葉で伝えると、腕や足を動かし、表情まで工夫して反応していた姿が懐かしいです。

 

 

子供がハイハイして起きてくるようになって、襖を叩いたり自分で開けるようになってからは、私を見つけたらハイハイで駆け寄り、30分から2時間はただただ抱っこしていました。

 

お腹が空いているだろうにと思って声掛けをするのですが、ひたすら抱っこを求められました。

 

この時も、黙ってただただ抱っこして背中をスリスリするすることもあれば、歌を歌ったり語り掛けをしたりすることもよくありました。

 

 

抱っこひもで抱っこして出かけるようになっても、天気から周辺の様子、駅の改札を通る時のしぐさ、列車から見える車窓や食料品の買い物で何を買うか、かごに入れる前に手で触れさせて感触を言葉にしてみたりなど、個人放送局状態でした。

 

子供が1歳前後の頃から、父親が専業で育児していることを怒鳴ってくる男性たちがいて、2週間ほどは自宅から動けなくなりました。

 

しかし、自宅で家事をしている時や一緒に遊んでいるときなど、外出しようとしたら足がすくむことまで、ひたすら言葉にしていました。

 

これは単に子供に話しかけようとする義務感ではなく、子供から言葉が返ってこなくても、言葉にするだけでひどい記憶の整理につながったからです。

 

 

大阪のあちこちの公園で遊ばせていても、「男性が幼い子を連れている」というだけで警察に通報されましたから、当時は本当に私が安心して子供を遊ばせることができる場所探しに必死でした。

 

その結果、実家に協力依頼して遠征したり、京阪電車で京都市内に出向いて神社の境内で遊んだり、外国人観光客の夫婦がたびたび抱っこさせてほしいとお話があり、ネイティブが話す各言語のシャワーを浴びたりと、親の語りかけ以外の刺激を山のように受けられました。

 

そういった意味では、私が数カ国語の会話ができたことは、子供の4歳までの最初の「脳のゴールデンエイジ」への相当な刺激を与えるきっかけづくりができたのかもしれません。

 

電車の乗り降りから、最寄駅から目的地までなど、本当によく歩きました。

 

 

就園してからは、毎日が1時間以上の徒歩でした。

 

歩きながらひたすら話し続けたのですから、相当な運動量でした。

 

私の持病が原因で、園から親1人で帰る時は、途中の喫茶店などでひと休みせざるを得ないことがありました。

 

本当に「何でなん?」が一日中、百回くらい口にしていたのではないかと思うほどの質問量でした。

 

鉄道博物館、美術館、博物館、動物園などは、更に専門知識が必要な質問が次々に繰り出されていました。

 

これらの施設はどこでも訪問して楽しい親なので、一緒に考えることを基本にしながら、ひたすら答えていました。

 

 

帰宅している途中では、その日過ごした施設の感想や次に見たいものなどを子供がひたすら話していました。

 

その道中でも、次々に疑問が生じては、それにひたすら答えるAI状態でした。

 

帰宅してお風呂に入ったら、今度は子供の想像の世界が始まり、その付き添いとして会話していました(笑)。

 

食卓で夕食をとりながら会話し、床に就いたら枕元に絵本がズラリと並び、子供が片っ端から選んでは、私が読み聞かせしていました。

 

 

昔は3歳児神話という言葉がありました。

 

現代では知能形成という意味で、親だからこそ果たせる役割があることが結論付けられています。

 

「誰でもいい」という方は昔からいらっしゃいますが、過去に保育園の下見をした時の印象からも、この面で親代わりとはなりえません。

 

更に、子供と向き合う親がどれだけこの種の知識を事前に習得し、子守段階で実践経験を積んだかでも差が出る可能性があります。

 

この辺りの知識や経験は、驚くほど事前に自ら学ぶ方がいない分野です。

 

 

子供が小学3年生の時に、中学受験をするか、せめて学校見学に行ってみよう!と勧めたのも、脳へ刺激を与え続けることが狙いでした。

 

この時は本人が希望しなかったので、博物館や動物園めぐりが続きました。

 

自宅での工作やBBCのドキュメンタリー番組を見て、調べ物をしたり絵を描いたりすることを継続していました。

 

後は休みの度に、ANAやJALの子供の一人旅サービスを利用することで刺激を得ていました。

 

 

小学4年生になって同級生の声掛けで中学受験を決めてからは、ひたすら勉強の日々でした。

 

既にスクラッチを利用したゲーム作りは行っていたので、タブレット端末をキーボード操作することに慣れていました。

 

個人的に、これも学びだと思うのですが、子供が中学受験学習に一本化する、ゲーム作りの時間はない!と宣言してからは、ただただ学習の日々でした。

 

親が復習教材づくりで子供の学習ペースに遅れないようにすることが、本当に大変でした。

 

 

こういった記事を読んで、自分で論文探しをしてせめてAbstractだけでも無料で読んで、実践にどう活かすかを考え、実践しているでしょうか。

 

こういったことを把握して、適材適所で活用しているでしょうか。

 

 

例えば子供がハイハイできるようになって、歩けるようになって間がない頃、同じところをひたすら行ったり来たり、階段や坂を上ったり下りたりすることに、子供が飽きるまで寄り添うでしょうか。

 

一番長かった時は、公園の階段の舗装されていないところまで、ほぼ同じところを1時間半も上ったり下りたりしていました。

 

滑り台に上がっては滑り降りることまで、何度も何度も繰り返します。

 

就園以降は上り棒を上から下まで何度も上り下りし、隣の上り棒に移ってみたり、雲梯を十往復近く行ったりと、体を動かすこと一つ、親がどれだけ付き添えるかにかかっている気がしました。

 

年長になるころには、アスレチックの上を走り回り、ぶら下がりながら、飛び越えながら、「1分で回れるか、測って!!!」と言われては、ひたすら計測していました。

 

平均台より少し幅が広い程度の、横倒しになった木の柱の上を走り回っていました。

 

実際に、あっという間に1分を切って、どれだけ早く走れるかを目指していました。

 

 

こういう親の行動は、同じように専業主婦であっても、専業主夫だからこそ、バカにされることが非常に多かったです。

 

「幼い子供相手しかできない」とさんざん言われたほど、同窓の母親たちと話すことに興味はありませんでした。

 

子供が一人で遊んでいたら、本を読んでいました。

 

テレビは人生で自分で買ったことすらありませんから、テレビドラマの話題は聞くことはできても、「ふーん、そうなんだ」で終わってしまいます。

 

それより、子供がスクスクと成長して、どんどん会話が達者になり、動きが滑らかに、素早くなり、あらゆる面で上達していく姿に寄り添っている方が、はるかに有意義でした。

 

夫の愚痴話に相当する「妻の愚痴話」なんてありませんでしたから、加わったところで何を話していたんだろうと思っても、想像できないほどです。

 

 

子供が塾に一度も通うことなく、難関校受験で合格を勝ち得たことで、少しは子供の成長に貢献できたかなと感じています。

 

仮に全落ちでも、子供の成長に貢献できたことは、間違いないことです。

 

未だに、私に質問を投げかけては、その詳しい内容や前提条件を会話で引き出し、子供の仮説を聞き、それに対して持論を述べたり過去に見出された結論を述べたりしています。

 

加えて、中学受験が終了したからこそ、文章が画像、動画検索だけではなく、可能な限りは現地に赴こうと促しています。

 

現物を直に見て、可能であれば触れるなど、実体験の大切さを知ってほしいからです。

 

 

実は…。

 

こういう胎教から育児・子育ては、もう一度やりたいほど大好きです。

 

それゆえ、従兄弟では年が離れた子たちや妹、そして姪や甥の子守も積極的に行っていました。

 

妹は年が離れているがゆえに、家庭教師代わりもしていました。

 

高校受験で県立普通科(進学校)に合格したことは、とても嬉しい思い出です。

 

やっぱり、小学生だった私も本の読み聞かせをしたり、ぬいぐるみを使って遊んだり会話を楽しんだりしていました。

 

小学生だったからできることは限られていたのですが、やっぱり「ひたすら会話」が基本でした。

 

「お兄ちゃん、あのな…」と、よく声掛けをされては答えていました。

 

放課後に同級生の友達と遊びに行く時すら、ひたすら引き止められても会話で理解を促していました。

 

 

子供に理解を促す語彙の豊富さと多様な文法構成による会話は、子供の脳の発達を促します。

 

こういったことが、親になる前にしっかり学んで身につけられる時代は、何時になったら来るのでしょうか。

 

これすら、資本原理主義による金銭との引き換えと、高所得者だけが利用できる世界になるのでしょうか。

 

我が子が「稼げるようになりたい」と言っている背景に、こんな将来を俯瞰している可能性を、どうしても考えてしまいます。