訃報・水木一郎 | アディクトリポート

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訃報・水木一郎

 

こんな記事を書く日が来るとは…。

 

水木一郎氏と言っても、

それこそ現役バリバリの1970年代には、

『人造人間キカイダー』(1972−73)『キカイダー01』(73−74)

のメインソングはヒデ夕樹(秀 夕木/ヒデ 夕木/秀 夕樹/夕木 秀/秀 勇樹/ヒデ)子門真人(藤 浩一/藤川 浩一/藤 ひろかず/椿 もとみ/谷 あきら/子門 正人/大 安蓮/布川 富美雄/司馬 拳/ピーター・サイモン/サタンタ)で、『ハカイダーの歌』『三郎のテーマ』の2曲だけが水木一郎で、硬派な声質が曲の迫力やダークな雰囲気にマッチして抜群だった。


2021/01/26

 

水木一郎のボーカルがサブ曲ではなく、メイン曲で全面に押し出されていたのは実写よりアニメの方で、

なんと言っても「マジンガーZ」(72−74)こそが決定打に思う。

 

番組オープニングとエンディングの主題歌以外にも名曲揃いだった。

2019/09/09

 

『キカイダー』も『マジンガー』も、水木一郎の歌唱はもちろん、

作曲の渡辺宙明(わたなべちゅうめい・本名みちあき)氏の功績も計り知れない。

 

もちろん同時期には、菊池俊輔氏作曲の「仮面ライダーX」「ストロンガー」「スカイライダー」等の主題歌も担当したが、曲との親和性や、「どうしても水木一郎でなければ」的なハマり方は、渡辺宙明の楽曲には劣った気がする。

 

「V3」の主題歌が、コーラス被せでなんとか誤魔化した宮内洋氏ではなく、模範歌唱を先録りした、水木氏か子門氏だったらまた印象も変わったろうに。


2020/10/24

 

というわけで、水木一郎リアルタイム体験世代としては、

「イナズマンF(フラッシュ)」最終回にチョイ役で出演したりと、

2022/12/06

 

いうあたりが、アニソン歌手水木一郎氏に関するムダ?知識で、

世間一般にアニキとして広く認知されるようになるなんて、

正直思ってもいなかった。

 

ところがダウンタウンのガキ使系日テレ番組に、

ガソリンスタンドの店員役ながら、例の赤いジャケットにたなびき効果のフェイクマフラー付きで登場。

 

ああ、世間でも水木一郎って認知されてるし、いまだに現役なんだと驚き、嬉しかった。

 

1990年代

小堺一機、関根勤のラジオ番組『コサキン無理矢理100%』を発端として「雄叫び」系アニメソングが注目を浴び、初のベストアルバム『OTAKEBI参上! 吠える男 水木一郎ベスト』を1989年6月にリリース。「雄叫び」ブームはさらに広まることとなり1990年5月には『水木一郎OTAKEBI2』をリリース、このアルバムでは懐かしのアニメ・特撮主題歌だけでなく、新曲であるアニソン17曲メドレー「懐かしくってヒーロー〜I'll Never Forget You!〜」を収録、同年11月にはシングルカットもされている。

1990年9月1日から1992年8月21日にかけて『水木一郎大全集』Vol.1〜5を発売するなど、数々の作品集を発表。以降、1992年に24曲メドレー「懐かしくってヒーローPartII〜We'll Be Together Forever!〜」、1994年に青春ドラマ主題歌メドレー「SEISHUN FOR YOU〜青春の詩〜」をリリース。

アニメタルなどによって、1960年代後半から1980年代を中心とした往年のアニメソング(アニソン)が再注目され始めたことも追い風となり、1990年代に入ってから(正確な表現ではないものの)「21世紀にかつてのアニソンを歌い継ぐ」といったスローガンのもと、中核となって、堀江美都子、影山ヒロノブ、ささきいさおなどと共に、コンサートを開催し続け、かつてのロボットアニメやSFアニメの主題歌を中心に歌っている。

さらなる飛躍のために1997年3月末日をもって日本コロムビアとの専属契約を解き、フリーとなる。まだ、フリー宣言後初のアルバム『スーパーロボット大戦ボーカルコレクション』(ファーストスマイルエンタテインメント)がオリコン23位を記録。同年8月には、アニメソングを21世紀に残すべく、水木を筆頭に日本のアニメソング界を担ってきたシンガーたちが赤坂BLITZに集結。一大ムーブメントを巻き起こした「スーパーロボット魂」ライブの幕開けとなった。以後、進化し続ける同ライブを牽引、アニメジェネレーションにおけるカリスマ的存在感を示す。

1998年4月、文化放送のラジオ番組『ラジオ・スーパーロボット魂』放送開始。パーソナリティを務める。翌年、歌手生活30周年記念のベスト盤CD『兄尊』をリリース。タイトルは、「アニメソング」の略称「アニソン」と水木の愛称「アニキ(兄貴)」をかけたもの。

同年3月18日放送のアニソン番組『快進撃TVうたえモン』では『人造人間キカイダー』が紹介された際にキカイダーの主題歌ではなく『ハカイダー』のテーマが流れ、紹介と同時に水木本人がハカイダーのテーマを熱唱した。

同年8月30日から31日にかけて、『うたえモン』の企画として山梨県の河口湖ステラシアターにおいて「24時間1000曲ライブ」を敢行。終盤の生放送での変わらぬ声の響きに「本当に24時間歌い続けたのか」という電話が番組あてに殺到するという逸話を生んだ。 しかし、その3日後の9月3日〜9月4日に出演するはずだったイベント『松本零士〜幻想軌道1999〜』で「キャプテンハーロック」を歌う予定だったが、ライブで声が嗄れてしまったということで生出演出来ずに映像のみ出演という形になったことからこの24時間ライブがとても過酷だった事が窺える。

 
そんなご本人に直接会えたのは、
3年前の2019年9月17日のこと。
 
落語家志望だったこともあり、曲間の進行も自分で受け持ち、
立板に水の話術であっという間にステージが終了。
 
 
堀江美都子さんや前川陽子さんや佐々木功さん同様に、
デビューから半世紀が経過しても、声に衰えなく歌い続けていくと信じていたのに。
 
2020年代

2021年4月25日、声帯不全麻痺の症状が出ているという事をTwitterで公表。

2022年7月26日、前述の声帯不全麻痺に伴う検査を行った結果、リンパ節や脳への転移を伴うステージ4の肺がんを患っていたことを公表した。

これらに関しては放射線および抗がん剤による治療で病変が落ち着く状態になったこと、2022年に入って新たな肺がんが見つかったものの6月に手術し経過が良好で月1回の通院で済むまで回復しており、音声機能については以前と同じように歌えるよう声帯への薬剤注射を受け、言語聴覚士によるリハビリを開始しており、運動機能も理学療法士による指導を受けながら自宅で筋トレやリハビリを行っていることも明らかにしている。既に2021年から徐々に活動を再開しており、今後は闘病とコロナ禍の影響で延期となっていたアニメソングデビュー50周年企画を進め、「生涯現役」を目標に活動を続けていくことを表明していた。7月30日になんばHatchで行われた『ANIME JAPAN FES 2022 大阪』が、がん公表後初の復帰ステージだった。

2022年11月8日に中野サンプラザで開催された日本歌手協会主催の『第49回歌謡祭』には車いす姿で登場し、「マジンガーZ」を熱唱した。同月27日にはよみうり大手町ホールで堀江美都子と『ふたりのアニソン』を開催。これが水木の最後のステージとなり、この時点で既に長時間ステージにとどまれないほどに悪化していたため、鈴木美潮が司会進行を、歌唱サポートとして谷本貴義、高取ヒデアキ、串田アキラがゲスト出演した。12月2日には渡辺宙明の追悼コンサートに出演予定だったが当日体調不良を訴えドクターストップがかかり救急搬送。その後自宅療養していたが、同月6日に再び救急搬送され、肺がんにより搬送先の東京都内の病院で死去した。74歳没。訃報は12月12日に公表された。

 

こうした経過を全く知らない私は、車椅子姿での登場という記事に接しても、一時的な不調なんだろう、またすぐに元気に回復するさと思っていたが、2022/12/12にYouTubeに水木一郎がらみの動画が多数アップされ、菊池俊輔氏( 2021年4月24日没)と渡辺宙明氏( 2022年6月23日没)の訃報は記事にしなかったけれど、さすがに今回はスルーできずに、こうして記事にまとめました。

 

自分が逝っちゃったら、よそ様の訃報記事だって書けないわけですしね。

 

私の少年時代の高揚を、今日まで絶やさず維持してくださり、ありがとうございました。