バック・トゥ・ザ・「ヒ」ューチャー/場所の記憶(16) | アディクトリポート

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本来、BTTF(バック・トゥ・ザ・フューチャー)
BTTF
を本ブログで取り上げるとなれば、
深みにハマるのは明らかだったので、
意図的に避けていたが、
もうやってしまった以上、
kuruma
そして他記事との関連で、
今後も増えることもふまえて、
今回より、同名のテーマも新設。

とはいえ、
第1弾の今回は軽く助走程度で、
題して
「バック・トゥ・ザ・ューチャー」

※“フ”ューチャーの書き間違いではありません。

みんなすっかり忘れているが、
長寿ヒットシリーズだって、
日本の1作目興行は、期待ほどには成果をあげていない。

1作目の『スター・ウォーズ』は、
アメリカではそれまで歴代1位だった『ジョーズ』をひきずりおろしたが、
日本では抜けなかった。

1976年『ジョーズ』配給収入50.2億
1978年『スター・ウォーズ』配給収入43.8億
こらーじ

1980年の『帝国の逆襲』(興行収入54.4億)は、
pannfu
その年の1位の座を、
『影武者』
『復活の日』に譲ったはず。
hukkkatu

今の記録だと、そうなってないけど、
私の記憶が確かなら、
当時のキネ旬80年末号か、81年頭号かの記事で読んで、
「なんで『帝国』が、邦画ごときに負けんだよ!」
と暗澹たる気分になったから。

観客動員と、配給収入興行収入は違う(らしい)からね。
当時はたしか、邦画より洋画の料金が高かったはずだし。
(※記憶違いかも)

1982年の『レイダース』は、
inndexi

1位があの、『E.T.』の興収163.5億円で、ぶっちぎりだったにせよ、
2位『ハイティーン・ブギ』30.6億円
3位『ロッキー3』28.4億円
4位『大日本帝国』23.8億円
——ときて、ようやく
5位『レイダース 失われたアーク』23.5億円
だった。

『帝国』興収の半分以下なんて、
ショボい、ショボ過ぎる!

2作目『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』が、
てんぷる
『帝国』とピッタリ同じ、興収54.4億円で、
1984年の2位。
この年の1位は『ゴーストバスターズ』の69.7 億円


……。

なんの話だっけ?

ああ、そうそう、
『BTTF』の1作目は、
フューチャー
たしかに1985年の興収はトップでも、
62億円、配収なら約31億円と、ヒットとしては中程度。

1989年の『バック・トゥ・ザ・フューチャー パート2』こそ、
堂々の興収94億円と、その年ダントツの1位。

でもってこれには、
1作目のビデオが、
VHSの映画ソフトが2万円も3万円もするのが当たり前だった当時に、
“ブロックバスター”価格(1万500円)で発売されたり、
レンタルビデオの普及で、
「ビデオがBTTFの初鑑賞」という人が多かったことが関係している。

というのも、映画館では、
ラストはクルマが空を飛んでタイムトラベルに入る場面で終わるという、
人を食ったもの(あくまでもシャレ)だっただけなのに、
1987年のビデオソフト化の際に、
ラストシーンに「TO BE CONTINUED…(つづく)」というテロップが加わり、

これが観た人の続編への期待を、がぜん煽った。
んkんk

つまり1作目を映画館だけで観た人は、
パート2を予測できず、
ビデオで観た人だけが続編に期待し、
パート2公開劇場はビデオ鑑賞組がこぞって繰り出し、
のきなみ大賑わいとなったわけ。

つまり、BTTFシリーズで劇場で一番多くの観客が観たのは、
1作目よりも2作目という逆転現象は、
ビデオの普及あればこそだった。

1作目のジェニファー役、クローディア・ウェルズが2作目に続投できず、
エリザベス・シューに交代したため、

ラストシーン=2作目の冒頭シーンは撮り直されたが、
並べて見ると、チョコチョコと細かな違いが!



でもって、こうした人気作、注目作は、
本公開の1週間前の土曜日深夜に、
先行オールナイトというのが定番で、
映画館は、1984年10月6日に竣工した有楽町マリオンの日本劇場(現・TOHOシネマズ日劇「スクリーン1」)というのが決まりだった。

新生日劇とマリオンのシンボル的存在は、同年末公開だった、『ゴジラ』
正面入口前には、サイボットゴジラがしばらく設置され、
↓東宝シンデレラの新人女優、沢口靖子が華を添えた。
はは
↓劇中にも、完成したばかりのマリオンが登場する。

まりおn

映画の公開初日が土曜なのは今と変わらないが、
オールナイト興行は土曜日深夜、
つまり翌日が日曜日と相場が決まっており、
理由は日本社会がまだ、
土曜出勤、通学があたりまえだったから。

それから、当時は全席完全指定、各回入れ替えという制度がなかったので、
劇場を出ない限りは、何回観るのも自由だった。
そのためオールナイトは、
始発までの簡易宿泊所としても機能していた。

とにかく日劇のオールナイトで観る映画は別格で、
私も『エイリアン2』(1986)と、
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『ターミネーター2』(1991)は、
kirin
これに参加し、どちらも大満足だった。
ジェームズ・キャメロンの手腕なればこそ、ってのもあるだろうけど。

でもって、マリオンがオープンした翌年の『BTTF』1作目だって、
この日劇先行オールナイトがあって、
情報の先取りに長(た)けた映画通がこぞって押し寄せ、
早見優もいたらしいけど、
自分は参加しなかった。

とにかく、それから4年後のBTTF2も、
日劇で先行オールナイトはもちろんあったが、
埼玉県民が銀座まで遠出しての完徹は、なかなかキツイ。

そしたらオールナイトを待たずに、
勤務校のある浦和で、
土曜の昼に先行公開だっていうじゃないか!

まあ、映画館は典型的な地方の小規模館、
浦和ヴェルデ東宝だったが。
どっち
2011年3月のさびれた姿。この年にビルは解体。2014年にマンションが跡地に竣工した。

開館当初の1985年、2スクリーンの頃に、
『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』を観て、
ばび
エライ目に遭って以来、
縁起の悪い映画館として足が遠のいていたが、
何と言っても、日劇より半日早く観られるんだし。
土曜の中学校勤務は午前中なので、
たしか2時か3時の回を観ようと、
勤め帰りに、ぶらりと出かけた。

行列ができるわけでもなく、
余裕で座ってみれそうなので、
外をブラブラと時間つぶしをしていたら、
女子高生の二人組と出くわした。

そのうちの一人、
Tさんは、1986年に勤め始めた中学校の2年生で、
授業中に机を巡回中に、
「先生、ネクタイが曲がってますよ」と直してくれる、
気さくで明るい、おとなびた生徒だった。

そのTさんが、3年後に高校2年生になったのと、
偶然再会したわけ。

だもんで、Tさんの友だちの女の子のぶんもおごって、
3人で『BTTF2』を観ることにした。

私としては、映画BTTF2に大いに満足した。

続編映画の手本、
話の続きで始まり、「つづく」で終わる『帝国の逆襲』を参考に、
めまぐるしく展開するイベントのつるべ打ちに翻弄されているうちに、
あっという間にエンディング。


ペイパルのなかった時代、ウエスタンユニオンといえば、日本橋のスルガ銀行…って、誰がわかるねん!

しかし意外や、公開当初の世間は、ガッカリしたらしい。

1作目の再現、古き良きアメリカ(=白人中心社会)をまた味わいたかったらしく、
未来は思い出になりえないので、ウソくさくて興味が持てなかったらしい。

一緒に見た女子高生2人は、
1作目を観ておらず、そういうヘンな刷り込みがないので、
素直に楽しんだらしく、
同じビルの、地下のマックで盛り上がった。

Tさんからは毎年、年賀状をもらうことになり、
なにせ2人の接点は、BTTF2だけなので、
必ずそれが書きそえられているのだが、
なぜか
バックトゥザューチャー
ではなく、必ず
バックトゥザューチャー
と書いていた。

未来のヒル・バレーのセットは、


しばらくユニバーサルスタジオの遊覧コースに組み込まれていたが、



ほどなく原因不明の火災で焼失。

ところがTさんは、観光で現地を訪れ、
焼失前の2015年のヒル・バレーをじかに目にした、
貴重な証人の一人なのだと、
たぶん本人は自覚していないが、
こちらは年賀状で知らされたので、
よく覚えている。

そんなこんなで、Tさんには、
明らかに、
バックトゥザヒューチャー
の運がついていた。


…。

助走といいながら、長い記事になってしまったよ。

Tさん、今はどうしているのかなあ(遠い目)

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