「ヤマト・ワンダー」蒼きヤマトへの憧憬(66・新年特別篇) | アディクトリポート

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新年特別編成の第4弾は、194回目の「宇宙戦艦ヤマト」

*「宇宙戦艦ヤマト」という題は、誰の考案か?
↓企画書の表紙。
narabi
↑パイロットフィルムより。

*あの形に落ち着くまでの経緯は?

については、裁判でも、故・西崎Pも、松本零士氏も、互いの正当性を主張するため、真実や事実は語られず

ところが、そこらへんの事情を明らかにする催しが、2013年中(9月3日)にあったことを、海外サイトを通じて知ってビックリ!

「ヤマト」関連新作のイベントに、スタジオぬえの宮武一貫氏が登壇!
kazutaka
中央の青いシャツ、はちまき姿が宮武氏。
40年前の経緯を初めて語った。

記事を要約すると、
宮武氏が企画に関わった当初は、
「ヤマト」のヤの字もなく、仮題は「アステロイド6」で、同氏はその企画書作りに参加していた。

同じスタジオぬえ所属で、それ以前から企画に参加していたのは、すでにSFライター、脚本家としてデビューしていた、松崎健一氏。
数え切れないほどくり返された企画会議で、発言者のアイデア(※当時表記)をその場で絵に描き起こす役目だった。

この会議の時点では、
〈アステロイド〉(=小惑星型宇宙船アステロイド号)の乗組員の6人が、
各自、別個の惑星を訪れ、それぞれが重要なアイテムを入手して船に帰還するはずが、
生還したのは6人中ただ1人
----という筋立てだった。

企画が進むうちに、アステロイド(号)は単なる岩塊から、
なみだ
宇宙船型へと次第に移行していき、
突き出した司令塔(艦橋)を見て、宮武氏は、
「戦艦みたいだね。ほら、長門の艦橋」
ながと
↑竣工当時の長門。
と感想を述べた。

松崎氏と加藤直之氏、その他の当時のぬえのスタッフは誰もが、
「だったら『宇宙戦艦ナガト』だね」と意見が一致。

でも話の内容から言っても、長門じゃイマイチ弱く、
やはり戦艦の代表と言えば…
というわけで、
松崎氏が「宇宙戦艦ヤマト」の方がふさわしいじゃないかと提案。

でもって、こう提案された西崎氏は、これをいたく気に入り即決。

だからタイトルを決めたのは西崎氏に間違いないが、

↓1961年の「電光オズマ」に、宇宙戦艦大和を登場させていた松本零士氏も、
とまや
自分が企画に参加した時には、すでに「宇宙戦艦ヤマト」というタイトルは決まっていたと、1998年の雑誌インタビューで認めている


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そもそもの提案者となると、なにしろみんなであれこれ話し合っているうちに、偶発的に出て来たタイトルなので、1人には特定できず。

では名前はともかく、戦艦大和を基本形に、艦首に波動砲口を備える形には、どうやって行き着いたのか。

そこに至る過程もまた、これまで語られたことがなかった。

基本コンセプトと方向性は固まったものの、西崎氏は、よりハードSFを志向して、
綿密な設定が、一目見て伝わるようなデザインを要求。

となると、主役キャラやメカから、脇役や背景や小物に至る全てを、包括的にデザインできる誰かに頼むしかない。

西崎氏は、著名な誰かで、適任者はいないものかと宮武氏に尋ね、
ちょうどそのころ、小沢さとる氏が「週刊少年サンデー」に連載していた「青の6号」に、
戦艦大和を改造した潜水艦、
↓ヤマト・ワンダーが登場し、
わんだ0
かなりのインパクトがあったので、
小沢氏こそ適任という流れに。



そこで小沢氏と会おうと言うことになるのだが…。

というところまでで、今回はおしまい。

続きは次の「ヤマト」記事で(明日ではありません)。

書くことがたくさんあるので、じっくり取り組みます。