18話「昏き光を越えて」
(「昏き」って、なんて読むの?)
※イヤミで書いてるだけなんで、コメントで教えていただくにはおよびません。
19話「彼らは来た」
2話連続して見て、
「なるほど、本筋語りをあえて放棄してまで、各回に散りばめられた、あれやこれやは、ここに話を持ってくるための下ごしらえだったのね」
と一応納得し、
両話共に、気合いの入った力作だとは思うが、
話にちっとも入り込めないと言おうか、
心が距離をおいてしまい、何らの感慨にもつながらないことに、激しい虚無感や徒労感をおぼえる。
「はやにえ」ってご存じですか?
モズが捕らえた獲物を、食べずに木の枝に刺しておく。
秋に多いので、食糧不足になる冬に備えての貯えかと思われていたが、
餌付けされたモズでも行うので、種が固有に持つ習性らしく、
どのモズも、舞い戻って来て、はやにえを食べることは、まずない。
「はやにえ」は、三歩も歩いたら、それ以前のことは忘れてしまう、トリの浅はかさの象徴だ。
18話でヤマトは、
1万隻の敵ガミラス艦隊が集結する只中に、突如出現する奇策に打って出る。
あまりの大胆な行動に、ガミラス側はただ呆然と見ているだけ。
そこでヤマトは、すかさず先制攻撃を始める。
????????????????????????
ええっと、この奇策の指揮を執っている沖田艦長って、
たしか地球連合艦隊が、ガミラス艦隊と初接触した何年か前、
先制攻撃を拒んで、上層部の怒りを買って、
指揮権を剥奪された人ですよね?
人物設定に、一貫性がなさ過ぎ。
もしかして、総監督はトリですか?
キャラを話を進める便利なコマ扱いにしか考えてないから、こういうことになってしまう。
コントで、
瀕死の老人が事切れるかと思ったら、
何度も息を吹き返すってのがありますよね。
「カンフー・パンダ」で、パロッってたやつ。
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「2199」の沖田って、人物ではなく、あくまでも記号的な扱いで、
「戦闘に緊迫感がないな。ここで沖田に倒れてもらおうか」
っていう、便利な道具でしかないんだよ。
だから艦長が戦闘中に「うっ」って苦しむと、「はいはい、またですか」としか思えない。
コントかよっ!
仮にも人類の運命を託す宇宙戦艦の艦長の描き方が、これほど「ぞんざい」なのに、
なんで、女性パイロットとロン毛のロマンスに割く時間が、こんなにたっぷりあんの?
それと前回も少し触れた、
「尺が足りない」原因には、今どき展開が、「リニア一本槍」なことにもある。
ノンリニア編集は、デジタル編集でメジャーになったが、
名演出家の出崎統が、そんな言葉が存在する前から、とっくにやっていた。
ビジュアル的におもしろくないセリフは、
ナレーション的に後に流して、
話者自身は登場させず、全く別の画面を流すという、
非直線処理、つまりノンリニア。
浮遊大陸の時からずっとそうだけど、「2199」は、ヤマト艦内の話になったら、ずっとそっちだけ。(リニア)
ガミラスの話になったら、しばらくずっと、ガミラスだけ。(またまたリニア)
「交互に」とか「並行に描く」(=ノンリニア)とか、ヤマト側の画に、ガミラス側のセリフをかぶすという手法を、思いもよらないといおうか、とてもそこまで考える余裕がない。
だから「押さえの画」が足りず、ダイジェストを見ているような気分になる。
たとえば真田が「出動機を回収次第、ワープでこの空域を脱出」と指示を出すなら、
その間ずっと真田の画で通したりせず、回収される機体の画をカットインするとか、
プロの演出家なら、当然知っているべきことを、まるで知らない。
この総監督のやることなすことには、
「てめえ、演出ナメてんじゃねえよ!」
「脚本を甘く見るんじゃねえよ!」
と、その道を真剣に突き詰めているプロの神経を、逆なでするところがある。
本人だけが悦に入ってて、ハタから見るとそれほど出来が良くないモノを無理やり押しつけられるという意味では、もはやマスタ○ベ○ションとかオナニ○等の自慰行為よりタチが悪いので、
私は「宇宙戦艦ヤマト2199」は、「ジャイアンのリサイタル」だと思っています。
再来週に続く。