『エピソード3 シスの復讐』(2005)で描かれた出来事を、1日ごとにまとめる作業の続きです。
〈5日目〉
ルーク、レイアの誕生と、
ダース・ベイダーの誕生が交互に描かれる。
生命の誕生に続いて訪れる人生の幕引きと、
それに対する失意と無念。
〈6日目〉
アナキン=ベイダーに子供がいることは隠さねばならず、ヨーダ、オビ=ワン、ベイル・オーガナ議員はその策を案じ、パドメは子供をはらんだまま亡くなったことに偽装された。
ダース・ベイダーは皇帝の片腕として、影のようにつきまとう存在に。
〈7日目〉
生まれた双子のうち、女の子のレイアは、ベイル・オーガナの養女としてオルデラーンで育てられ、
男の子のルークは、砂漠惑星タトゥイーンで、ラーズ夫妻に託される。
オビ=ワンはこの星にとどまり、ルークの成長をかげながら見守ることにする。
というわけで、多少の時系列の入れ替えや区切り方の解釈の違いはあるだろうが、それはあくまでも日にち単位での調整に過ぎず、各出来事の間隔が、何ヶ月も、あるいは何年も隔たったりはしていない。
つまり、『ジェダイ』準備時の頃の原案と本筋は変わらないが、
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大きな出来事の間隔が、原案では「半年」や「2年」と開いていたのが、
たかだか1週間に集中して毎日矢継ぎ早に起きる形になり、
その結果、レイアが、
「幼少期に亡くなった母の面影をぼんやりと覚えている」という証言と、
実際のドラマが食い違うことになってしまった。
ではなぜ、旧三部作との整合性を犠牲にしてまで、ジョージ・ルーカスはこういう流れに変えたのか?
「脚本執筆は大の苦手」を自認するルーカスは、SWをミュージカルに見立て、六作全て、エンディングはセリフなし、ジョン・ウィリアムズの音楽に、場面を重ねる形で終わらせている。
同じ形で最終作『シスの復讐』を終わらせるにあたり、
セリフと合わせてジャマになるのは、場面転換に付随する「半年後」とか「2年後」という字幕である。
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そこでそれらを省くために、本来なら何年にもわたるはずの映画全体の時間軸を圧縮して、1週間単位にドラマを凝縮して見せる形に改めた。
*パルパティーンの正体が明かされたことへの、アナキンの反発から服従への転向
*共和制から帝政への銀河国家体制の移行
*隆盛から一転、ジェダイ騎士団の壊滅
*パドメの懐妊から出産、そして死亡から葬儀まで
----等々、本来なら数ヶ月から数年のスパンで展開すべき重大な事象が、
まるで日替わりランチのように、目まぐるしく推移する。
つまり史実としてのリアリティをあえて犠牲にしてまでも、劇的効果の方を優先させたわけである。
結果としてドラマはよりタイトに仕上がり、それなりに盛り上がりはした一方で、
随所にウソ臭さも目立ち、商売と割り切ったルーカス本人よりもSWに入れ込んだファンやマニアが、ドラマを事実として受け入れられないという、心理的抵抗を生み出す結果にもつながった。
ダース・ベイダーが臆面もなく再登場するとウワサされる、ディズニー体制下でのエピソードⅦ(7)以降が、
※正式なポスターではありません。
どこまでルーカスの「しきたり」を踏襲するのか、今から楽しみ半分、不安半分といったところ。
この話(「おい、ジョージ!」)は、これでおしまい。