「上田晋也の緊急報道!」/「ハンディキャップヒーローズ」執筆動機 | アディクトリポート

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真実をリポート Addictoe Report

皆さんは、6月2日の日曜日に、
TBSで午後2時から放送された、
上田晋也の緊急報道!
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-cdcd
をご覧になりましたか?

意欲が先走った割には、中身は急ごしらえでスカスカな感じがしましたが、それでも横田めぐみさん問題を改めてクローズアップしたのは、意義があったと思います。

2002年。小泉首相の訪朝と、北朝鮮が拉致問題を認め、横田めぐみさん死亡という報告、これを受けた被害者の会の声を聞き、鵜呑みにこそしないものの、移動中の車中のラジオで聴いていた中継に、悲嘆の涙を流したのを覚えています。


その後の、ニセの遺骨だとか、めぐみさんはまだ生きているという証言に希望は捨てないものの、
なにせ当事者ではないもので、この件は忘却の彼方。

それが改めて思いを強くさせられたのは、2006年に観た映画、
めぐみ 引き裂かれた家族の30年
でした。

めぐみ-引き裂かれた家族の30年 [DVD]
ギャガ・コミュニケーションズ (2007-06-01)
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作品内では、拉致当日の様子が克明に語られ、
想像を絶する拉致と言う行為の卑劣さに戦慄し、
こんな異常事態に直面し続けたうえに、今も事態が解決していない、めぐみさんのご家族の心労はいかばかりかと、暗澹たる思いに陥りましたし、北朝鮮への言いようのない怒りと憎しみが沸き上がりました。

そしてまた、この件を久しく忘れていたことを強く恥じ、反省させられました。

ここらへんがちょっと、私は一般の感覚とズレてるのかも知れませんが、
私が常々心に留めているのは、
意識の持ち方次第で、
当事者でも傍観者になり済ませられるし、
反対に
傍観者の立場であっても、
当事者意識を持てる

ということです。

なぜ恥じ入ったかと言えば、映画「めぐみ」の製作として筆頭にクレジットされたのは、
英国公共放送のBBCだったからです。

日本が真っ先に解決しなければならない問題について、
詳細に語り、社会に訴えた映画が、よりによって日本の作品ではない。

「めぐみ」は英米合作ですが、「拉致問題は日本の問題」と突き放した傍観者の視点では、絶対に作り出せない、当事者の視点で描かれた作品でした。

おりしも、作品を書いても書いても出版の道が開けなかった時期で、
(それは今も変わりませんが)
せっかく世に問うチャンスを与えられたら、社会的に意義のある作品にしよう。
----そう考えていたから、ではこの拉致問題について、自分はどう考え、どう解決したらいいと思うのかを、作品内で示せばいいのではないか、
つまり社会の諸問題の当事者目線で物語をつむぎ、第三者(読者や観客)に、具体的な解決策を伝えればいいんだろうと考えました。

いったんここまで思いが至ると、小説や物語が果たすべき役割が明確になり、そうでない書き方は、絶対にしなくなるものです。

自作への自信がついて、方向性を見誤っていないと確信したのは、これまで書いたどの作品にも、同様の意義と社会的役割を担わせていたことに、改めて気づいたからです。

「スクール リボーン」は、知識偏重、情操教育が軽んじられる、現代の学校教育に一石を投ずるもので、
スクール リボーン(学校再生)
スクール リボーン(学校再生)
同時に虐待やいじめ、暴行や殺害の矢面に立たされている現代の子供の問題、
また裁判員制度の問題にも触れた作品です。

「トイレベンチャー」は、地震や災害についての物語であり、
トイレベンチャー
トイレベンチャー
同時に、本当の職業、本当の仕事とはを、改めて問い直した作品です。


「ルインズウォー」は、国土を失ったら、民族は国家を失うのか、
ルインズウォー(遺跡戦争)
ルインズウォー(遺跡戦争)
もっと具体的には、日本列島が消滅(沈没)したら、あるいは住めなくなってしまったら、日本人は日本人でいられなくなるのか、
を考えた作品です。

「ハンディキャップヒーローズ」は、
映画「めぐみ」を観た頃、つまり拉致問題が明かされてから4年も経過しても、事態が進展しないことを憂い、
ハンディキャップヒーローズ
ハンディキャップヒーローズ
ではどうしたら事態が動くのかを、
自分なりにやってみたものです。

具体的に、横田めぐみさん奪還作戦を敢行したら、うまくいくのか?
犠牲なしに、それができるのか?
犠牲者が出る可能性があったら、それを誰か(作戦遂行者)に託して良いものなのか?


クソ真面目に、難しい理屈をこねているわけではありません。

こうしたことを、いかに読者を飽きさせず、最後まで興味関心を持って読み進めてもらえるか?

それにはまず、自分自身が自分の書いたものに、つきあい続けられるかどうかがカギとなります。

時間をおいて、改めて読み返すたびに、これは大丈夫だと確信します。
いつのまにか自分が書いたことを忘れて引きこまれ、
時々「うん、うん」と感心してうなずいてますから。

とはいえ、読者のレベルは様々ですから、私が面白い(=興味関心が尽きない)と思うことに、最後までつきあい続けられない人だって、当然います。

なので試金石として、無料の「ファミリアー」を読んでいただきたいのです。

ファミリアー 歌姫の死と再生


ファミリアー 歌姫の死と再生

これを受け付けない人に、私の作品はご縁がないと、あきらめがつきます。

そういう方々には、そういう方々向けの小説が、ゴロゴロ転がってるでしょうしね。

私は今回の人生で、何を為すべきなのかに行き着き、
粛々と、それを日々やっている。

人に読んでもらうべきものを書いたから、今度は読んでもらうべく、これまた日々を費やしているだけのことです。