11年目の悟り | アディクトリポート

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一応、これの続き。

唐突ですが、私はかなりマジメで、
物事を深く突き詰める性格だと思います。

それで、自分の思考がある領域まで達すると(自分がそこに至るまでにだって、かなり時間がかかったくせに)、
いきなり相手(聞き手や読み手)まで、同じ境地に達しているようなつもりで話を進めてしまい、相手は当然置いてきぼり…ってことが、よくあります。

で、個人作業だと(自分だけわかっていればいいから)別に困らないんですが、
共同作業になると、この前段のすりあわせの説明に、相当の時間と労力がかかることになります。

これがもう、めんどくさいのなんの!

まずこっちは、「やる方向」で話を進めたいのに、
そっから頓挫するんですよ。
むこうは「やらない方向」だから。

つまり私にとっては必然(やるしかない)が、
相手にはそうじゃない(別にやってもやらなくても、どちらでもかまわない)から、
話が進展しないし、
日本語で話してるのに、まるで話が通じないの。

そういう相手の中に、
*実際に具体的な形にする人、つまり作品をつくる人(真のクリエイター)と、
*それを転がして仕事にしてる人
の二種類がいるんだけど、

現在の最大の問題は、
*転がす人は平気でダメ出しするのは理解できるけど、(いいとは思ってないけど)
*クリエイターであるべき人まで、ダメ出しするのがプロだと勘違いしてること。

ムリ目なことを実現するのがホントのプロで、
可能性に満ちたプロジェクトに、むりやりにでもほころびを見つけて、
「だからやりません」ってのは(できそうなことさえ、できなくする)、ホントのプロじゃない。

なんでこうなっちゃったかというと、
新しく根幹を築くクリエイター(創始者)が誰もいなくなっちゃって、
機能してない肥大化した仕組みや機構に、あまりに多くの人がたかりすぎて、それが当たり前に常態化してしまったためだ。

例えれば、新しく何かを始めるのには、入れものとなる建物を建てなくちゃならない。
昔は、そういう建物を設計し、実際に建てる腕を持ってる人(設計士や建築士にあたる人)が、たくさんいた。

ところが、立派な建物がたくさんできあがってしまい、そこで仕事をする人ばかりになって、新しく建物を建てる技術が廃(すた)れてしまった。

社屋で仕事をしてる人は、改築や新築の必要性を感じない。
「今のままで、問題なくやってるじゃん」
と思ってる。

建てようにも、自分には設計も建築もできないから、そういう選択肢が思いつきもしないって言うのもある。

だけど、30年も40年も以前に建てた建物は、老朽化するし、設計も古くて、いずれ使えなくなるんだけど、それを認めたくはないらしい。

ウチはまだ大丈夫ですってのが、「やらなくても困らない」という発想に結びつく。
別に自分に設計や建築の技術はないけど、自分の仕事に支障はないから、そう考えてしまう。

だけど、設計士や建築家は、「もう建物はとっくに全部建ってますから、新しいのは、いりません」では、やっていけない。
新しい建物を、設計したり、建ててこそ、収入に結びつくからだ。

ところが、設計士や建築士にあたるクリエイター職の人まで、「建てなくても困らない」人の論理でいいと平気で思ってるから、事態は深刻なんだけど、これに気づいてる人はほとんどいないのが実情。

で、私はこういう「本来のものの順番が、あべこべになってること」に異を唱え続けて来たが、
それでもなお、誰よりも自分自身が、「たかってる人たち」(=やらなくても困らない人たち)の思うつぼの思考パターンにおちいってることに、11年もかかって、ようやく気づいた。

遅いけど、まあ死ぬまでに気がついたんだから、間に合ったんじゃないの。

漠然とした書き方しかできなくてすみませんが、具体的に書くと長くなるんで(それに、例えてみたらやっぱり長くなったんで)、いちおう次回への前フリと言うことで、今日はここまで。