鳥海永行の功績(3)/「ガッチャマン」再映像化に寄せて〈その9〉 | アディクトリポート

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一応、これの連番だが、話としては、これの続きで、いよいよ鳥海永行(以下永行)についての最後。

総監督として「ガッチャマン」第1話の演出に始まり、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-だいひぃお
2年の放送期間全体に関わり続け、満足と達成感をもって最終回(1974年9月29日放送)を終えた永行は、4年後の「Ⅱ」(1978~1979年)にも、5年後の「F(ファイター)」(1979年~1980年)にも不参加で、これこそが同じ姓の脚本家であり、本番組の企画担当の鳥海尽三との最大の違いだった。

では「ガッチャマン」終了後には、永行は何をやっていたのか?

実はそちらの方こそ、「Ⅱ」「F」よりよほど、ガッチャマンの正当な続編、あるいは後継作と呼ぶにふさわしかった。

まず1本目は、「破裏拳ポリマー」(1974年10月4日~1975年3月28日)


局がフジからNET(現テレビ朝日)に、放送日が日曜から金曜に変わっただけで、「ガッチャマン」終了からたった5日後に始まっていたこともあり、絵柄、アクション、ドラマ展開等々、まるで終わったはずのガッチャマンが続いているような感じだった。

もちろんあまりに深刻になりすぎたガッチャマンの反動から、つとめて軽いタッチで半年、全26話を駆け抜けたが、17話「ポリマー誕生の秘密」で、ガッチャマンが2年の放送期間と105話を費やしてようやく到達したドラマのピークを、わずか1エピソードにコンパクトに凝縮させる鮮やかさも披露した。

タツノコプロの絵の水準は総じて高レベルで、素人目には、どの作品も同じ劇画調、アメコミ調に見えるが、
「マッハGoGoGo」と
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-こっち
「紅三四郎」に
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-さんしろー
大きな開きがあるように、
「ガッチャマン」終盤の到達レベルは、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-kudake
「キャシャーン」の作画監督は、林政行、川端宏、井口忠一。
原動画は、西城隆詞、池ノ谷安夫、森中正春、福田健一、岸義之、塩山紀生、黒川豊、須田勝、田中享、清川滋崇、水村十司、山口聡、沼尻東、上梨壱也、野田拓実、石黒篤、坂元政弘、高木清、鈴木信一、大鹿日出明、古川達也、岡迫亘弘、中村明、菊地城二と、見事なまでに「ガッチャマン」とは別班。(ただし赤字は共通

同時期にフジで並行放送していた「新造人間キャシャーン」(1973年10月2日 ~1974年6月25日)を大きく引き離して、孤高の域に達したわけだが、その貢献者は誰だったのか?

それはポリマーの総作画監督、二宮常雄(ガッチャマンでは「原画」名目)がメインで、
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-ふゆyt
原動画の須田正己がサブだったのだと判明する。
須田については、
作画技術の評価は非常に高く、『科学忍者隊ガッチャマン』では、総監督の鳥海永行が演出する回に指名されて作画を担当することが多かった。
湖川友謙が絵において「彼以上に巧い人は見た事ない」と評価している。

という記述さえある。

もう1本は、「ポリマー」終了約3ヶ月を経て、同じNETから放送された「宇宙の騎士テッカマン」(1975年7月2日~12月24日)

「ガッチャマン」同様に、まじめにつけたのかイマイチ怪しい
「テッカマン=鉄仮面」
「南城二=南十字星」
「アンドロー梅田=アンドロメダ」
というキャラのネーミングもさることながら、
主人公、南城二の声が、大鷲のケンと同じ森功至(もり・かつじ)だったり、

何よりも人間キャラの絵柄が、最終回近くのガッチャマンやポリマーを引き継ぎながらも、
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-たっかまん
クオリティは若干落ち、これは二宮が作画「監修」に後退したためではないかと推測される。

話が前後するが、ガッチャマン最終話近辺の作画の最大の貢献者は二宮常雄であって、その師にあたる総作画監督の宮本貞雄でも、あるいは永行のお気に入りだった須田正己でもないのではと見込んでいる。

もちろん3人の総合力ではあるんだが、『Ⅱ』

『F』の絵柄と動きの

「純正ガッチャマンとはイマイチ違う」感と、ポリマーの「これこれ、これがガッチャマンの絵と動き!」の違いをスタッフ表で見比べると、
*宮本は、『Ⅱ』の作画監督で、『F』の作画監修
*須田が、『Ⅱ』のオープニングアニメーションと、『F』の作画監督
と、共に要職で続投なのに、
*二宮は、わずかに『Ⅱ』の原画としての参加にすぎない。

二宮アクションは、彼がキャラクターデザインと作画監修を担当した、
「ザ☆ウルトラマン」(1979年)にも見て取れる。

そしてこの「ザ☆」には、鳥海永行もチーフディレクターとして参加しており(後半は神田武幸に交代)、二人の起用は明らかに、「ガッチャマン」1作目のスタッフでありながら、「ザ☆」と同時期放送の「Ⅱ」と「F」に不参加だったからこそと思われる。


「テッカマン」に話を戻して、総監督は永行氏と笹川ひろしの連名。

笹川のギャグ資質は、敵の悪党星団ワルダスター団長の
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-らんぼす2
ランボス(声: 滝口順平)の所作によく表れている。

半年の26話で事実上の打ち切りになり、「つづく」で終わってしまったが、この後にも壮大な冒険譚が準備されていて、その要素は「宇宙の騎士テッカマンブレード」(1992年2月18日~1993年2月2日)で復活している。

最後の1本は、「ゴワッパー5 ゴーダム」(1976年4月4日~同年12月29日)で、
作画監督は須田正己。
テロップ入りのオープニングはこちらで
↓こちらはテロップ無しの別バージョン。


二宮常雄のゴリゴリな(かなりくどい)劇画調と、
須田正己の洗練された都会風でスタイリッシュな(あっさり味の)絵柄の違いが見て取れる。

「ゴワッパー」を終えた永行は、1978年12月にタツノコを退社してフリーとして活動を始め、
1979年5月に、布川ゆうじを筆頭に、案納正美、川端宏、高橋資祐、上梨満雄、そして永行といったタツノコプロ出身演出家6人が発起人となり、『ニルスのふしぎな旅』(1980年)制作のためのアニメ制作会社スタジオぴえろを設立。
永行は『ニルス』の総監督、演出を担当し、その丁寧な作品作りと確実な描写は絶賛を浴びた。

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鳥海(=永行・以下同)は『ニルスのふしぎな旅』DVD発売時のインタビューで「自分のライバルを自分で育てることはないや」「人を指導しようという意識はなかった」と答えている。
さらに「自分の仕事ぶりを見せれば、影響を与える」という考えがあったとも答えている。

しかし、永行を慕ってタツノコプロからスタジオぴえろへ移籍し、『ニルスのふしぎな旅』の各話演出として永行に仕えた押井守は、この作品で押井は永行に演出家として育ててもらったと回想している。
タツノコプロ時代の永行を押井守、西久保瑞穂、うえだひでひと、真下耕一ら当時所属していた若手演出家達は厳しい人、怖かったと口を揃える。


その後も永行は、『ニルスのふしぎな旅』スタッフとの制作を望んで『太陽の子エステバン』(1982年)を監督。

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日本でこそ大きな反響のなかった『エステバン』だが、海外では多大な反響を呼び、特にフランスでは続編の企画が複数回立ち上がり、21世紀に入った現在でも人気の高い作品となっている。

さらに永行は世界初のOVAとなった『ダロス』、同じくOVAで新谷かおる原作の『エリア88』といった戦場ものを手がけた。
特に『エリア88』の完成度は高く評価され、第4回日本アニメ大賞オリジナルビデオソフト最優秀作品賞を受賞している。

永行はその後、スタジオぴえろを退社して再びフリーで活動した。


1978年末にタツノコプロを退社して、一時フリーになったのを機に執筆活動に入ってもいて、
1979年7月、『月光、魔鏡を射る時』ソノラマ文庫(1979)で小説家デビュー。

その後出版された『時の影』ソノラマ文庫(1980)、『標的は悪魔』ソノラマ文庫(1981)までは伝奇ミステリーに分類されるような展開の作品が続く。

しかし、次第に歴史を舞台にした伝奇小説へ傾倒していく。
明治時代をテーマにした『双頭の虎ー山嵐妖綺伝』のような例外もあるが、平安時代(『時の影』『水無し川かげろう草子』『妖門記』)、室町時代(『南国水狼伝ー球形のフィグリド』『聖・八犬伝』)など、古代~中世の日本を舞台にした作品が多い。

中世の御伽草子や近世の読本をはじめとして、すでに伝奇物語として成立している作品に史実を丹念に組み合わせて独自の世界観を構築するのを得意とする(『水無し川かげろう草子』(源頼光四天王による酒呑童子退治)、『聖・八犬伝』(南総里見八犬伝)など)。

作品群には一貫して、当時の社会常識や変動を描くことで、そうした環境に翻弄される人物の悲劇を描こうとする傾向がある。
そういった意味で、永行の名前を最も知らしめたのが、百年戦争時のヨーロッパと南北朝時代の村上水軍を描く『球形のフィグリド』シリーズ(1988~91)である。
戦乱社会を背景として略奪・後継者争いなどに翻弄される人々を二つの舞台から描いたこの作品は、末弥純の挿絵の魅力も相まって多くの読者を得た。

また、パイロット版の完成のみで計画が頓挫してしまったアニメーション企画『フルムーン伝説インドラ』を小説として発表(『フルムーン伝説インドラ(前編)(後編)』ソノラマ文庫(1982))して以来、自作アニメの小説版も手がけている。

SF作品を手がけたこともあるが、本人はSFにはほとんど興味が無いらしく、押井に勧められた映画『エイリアン』は冒頭で寝てしまったらしい。


鳥海永行は、2009年1月23日に心不全のため67歳で死去。

アニメ業界全体でも数少ない、真に創作の才に恵まれ、それを存分に発揮した希代のクリエイターだった。

というわけで、長々と綴って来たこの、
「ガッチャマン」再映像化に寄せて
も、これにて終了です。