だいぶ前ですが、
10/7に、海外宇宙戦艦ヤマト公式サイト
STARBLAZERS.comが更新されました。
前回の更新と比べると地味ですが、
芦田豊雄氏の追悼は、ティム・エルドレッドの独自取材で、
非常に詳細かつ正確で、驚きます。
これつながりで触れておきますと、私のブログは時々訃報がらみですが、
一部で、
他者の物故をブログのネタ代わりにするとはけしからん
という声もあるらしいので、
(またそういう意見は、私のやることなすこと気に入らないらしいので、一々反論していても永遠に意見は平行線だとは思うが)
この場を借りて、私の訃報記事について述べておきますと、
どなたがお亡くなりになられても、生前のご足跡を振り返るのに最適なタイミングは、媒体更新ペースが日刊の場合、訃報を知ってたちまち、すなわち報道から原則24時間以内だと思われます。
特に昨今は、雑誌等の定期刊行物に執筆の場がある人(いわゆる雑誌ライター)はますます減っていて、それより数段即時性に優れたネットのブログが台頭してきたのですから、日刊の媒体のみを持つ身であれば、この時機は当然生かすべきと言いますか、反対に先延ばしにする理由が思い当たりません。
何かがあたりまえになってしまうと、ずっと前からそうだったと思ってしまいがちですが、ほんの10年前には、ネットにニュースなんて流れもせず、地震速報もテレビ番組表も、ネットにはありませんでした。
1994年末からネット環境にあって、ちょうどその頃にはテレビも新聞もほとんど見ない境遇に身を置いていたので、「あったらいいのに……」「どうして無いんだ?」と感じていたのを、良く覚えていますから、ホントです。
ネット黎明期には、「そういうのはテレビや新聞の役目で、ネットにお株を奪われたらたまらない」という、既存メディアのムダな抵抗があったのです。
しかし今では、多くの人がニュースの第一報に接するのは、あるいは事件や事故を知るのは、ネットを通じてです。
本田美奈子.さんの訃報(2005/平成17年11月6日)は、当時ミクシィでマイミクが書いていたのを読んで、初めて知りました。
ショッピングモールで、映画を観るために駐車場を歩きながら。
それもまた、衝撃と時代の節目を感じた瞬間でした。
最近になって私が訃報がらみの記事を書くことに決めたのは、
一つには訃報の報道の素っ気なさに呆れてです。
この人について、たったこれだけ?
報道に私情は差し挟まず、とにかく即時性が優先されるのは承知の上で、
「こいつ(記者)、この人(亡くなった方)のこと、知らねえんだろ!」
と思わざるを得ません。
それから、その報道を知ってから、個人のブログで書かれる人はもちろんたくさんいらっしゃって、それは歓迎すべきことなんですが、こちらも報道と負けず劣らず素っ気ない。
たいていは、亡くなった事実の後に、「ご冥福をお祈りします」で、終わり。
物書きのプロじゃないんだから、それがその人の精一杯なんだろうから、その素っ気なさを責めるつもりはないけど、自分自身は物書きのプロなんだから、少なくとも自分に限っては、そういう素っ気なさと、「ご冥福」云々の結びは、自分自身に対して許せませんね。
冥福(死後の世界での安らぎ)は「あたりまえの状態」で、あえて「祈る」のは物故者に対してかえって失礼というご意見をうかがったことがあり、以後、私はこの言い方を慎んでおります。
というわけで、今の自分をかたちづくってくださった方には、感謝の意を込めて弔辞を述べているわけです。
誰彼かまわず、じゃないですよ。
たしかに芦田豊雄氏の訃報に関しては、エルドレッドの詳細な取材と研究には足下にも及ばないが、そのことに関しては、訃報が自分の下の世代の(=下の世代向けの作品を手がけた)クリエイターに移り始めたこと自体に感慨があったので、そのことを記した。
からといって、つまり亡くなったその人そのものについて書かないからといって、物故者をおとしめすことにはならないと思うんだけど?
長くなったので、この話はまた続く。