別冊映画秘宝 吹替洋画劇場

(洋泉社MOOK 2003/7/26発行)
↑もはや本ブログのアップデートが多すぎて、原著の原型はとどめておりません。
ですので本稿(SW日本語吹替版)に関しては、わざわざ買い求める必要はないかと。
さて今回は、吹替洋画研究のさきがけの、とり・みき氏の著作、

盛りだくさんな内容だけに、雑多で未整理な部分もあるが、力作かつパイオニア。
「吹替映画大事典」 (三一書房 1995/10/15発行)と、
知る人ぞ知る、つまりほとんど誰も知らない、

SW〈特別篇〉三部作公開に合わせた特集記事多数
「月刊ニュータイプ7月号増刊 ニュータイプ マークⅡ」 (角川書店 1997/7/31発行)
内の記事、「コメットさんを救え!~スター・ウォーズ吹替版に関する覚え書き」(136~139ページ)を参考にしますた。
さて話はひるがえって、
なんで渡辺徹ルーク、

大場久美子レイア、

TBSで大場久美子の「ダンボ」があったが、タイトルロールは終始無言。
最後の別キャラの一言だけだったと、コメントでご指摘いただきました。
(なので、評価できません)
松崎しげるハン・ソロ

なんていう、とんでもキャストになったのか。
当時、テレビの洋画放映で定評があったのは、テレビ朝日の「日曜洋画劇場」

タレント吹き替えも時折あったけど、「わかった上での」起用で、安心して観られた。
『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977・テレビ初放映日不詳)のジョン・トラボルタの役に郷ひろみとか、

『スーパーマン』(1978・テレビ初回放送1983年10月9日)のロイス・レーンの中原理恵とか。

起用がうなずけ、見ても聞いても納得だった。
しかし後発の日テレ「水曜ロードショー」は、

水野晴男氏の解説で、後に金曜ロードショーに移行。
スター・ウォーズ初回放映時は、同氏が選挙活動中だったため、臨時に愛川欽也が担当……。
金にあかせて大作を買っては、のきなみタレントにあてさせて、ヒンシュクを買っていた。
『風と共に去りぬ』(1939・日本の劇場公開は戦後の1952年 テレビ初放映は1975年の10/8と10/15)のスカーレット・オハラに栗原小巻

レット・バトラーに近藤洋介を起用したのを皮切りに、

主役に専業の声優以外を起用するのがパターン化し、
『ゴッドファーザー』(1972・テレビ放映は1976年)のドン・コルレオーネに鈴木瑞穂

ついには、
『ある愛の詩』(1970・テレビ初放映日は不詳だが、開局25周年記念と銘打ってたので、1977年)には、百恵・友和コンビを起用し、

このやり方が次第にエスカレート気味だったので、
同じ日テレが『スター・ウォーズ』の放映権を獲得と聞いて、「ダメだこりゃ!」を予感していた視聴者も多かった。
私もたしか、スターログの「帝国通信」に、マッチのルーク、中森明菜のレイアあたりを予想して書いて、掲載されたんじゃないか。
同じような安直なアイデアは、邦画の『愛・旅立ち』(1985)に結実し、

マッチはフジテレビの「ゴールデン洋画劇場」で、

解説は高島忠夫。
「ゴールデン」だから金曜放送だったが、1981年4月4日からは土曜日に移動。
→「ゴールデンシアター」
→「プレミアムステージ」と題名変更。

『フットルース』(1983)のケビン・ベーコンの役を演じて、

大ヒンシュク!
以後もフジテレビは、『スーパーガール』(1984)のヘレン・スレイターの役を石川秀美にやらせたり、

江本孟紀の「エクスタミネーター」(1980)
野村義男の「超能力学園Z」(1982)等、
ハッキリ言って、どーでもいい作品に、どーでもいい顔ぶれを配するという変則技に転じたが、
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)の吹替には、

すでにテレ朝で決定版的な、三ツ矢雄二がマーティ、穂積隆信がドクのバージョン(1989年2月5日初放映)があるのに、まるで挑戦するかのように、織田裕二がマーティ、三宅裕司がドクの

「Wユウジ」が主演の侮辱バージョンを放映(放送日不詳)するなど、なかなか日テレに負けない、わかってなさを発揮していた。
当時の洋画劇場に、各局で解説者が配されていたことからもわかるように、

映画館でお金を払って観る、字幕付きオリジナル音声の洋画は高級品のホンモノで、子供までが視聴者となるテレビの吹き替え映画は、噛んで含めるように加工したお下がりといった風潮があった。
「洋画を見慣れてないんだから、解説がないとわかんないでしょ」とか
「字幕を読み慣れてないんだから、日本語に吹き替えとかなきゃダメでしょ」とか、
はっきり言って、上から目線+視聴者を見下した「配慮」だったが、テレ朝とTBSのそれは、妥当な判断だった気がする。
テレ朝で『未知との遭遇』(1977)が初放送された時(1982年10月10日)、

朝日新聞の投書欄に、
「オリジナルどおりに吹き替えられずに興ざめ」という意見が載ると、
テレ朝の方から、「一字一句変えてませんが?」と反論があった。
この意見の相違はどういうことかというと、フランス人のラコーム博士(フランソワ・トリュフォー)は、

自分のセリフをほぼ全編フランス語で通し、(日焼けは「サンバーン」ではなく「サンベロン」)ボブ・バラバンの演じる通訳が英語に訳すところを、

テレ朝版ではフランス語も日本語に訳してしまうので、通訳はラコームのセリフを、オウム返しするだけなのだ。
なかなかくどくて、不自然だったよ。
で、日テレにはそういう良心もプライドもまるでなく、
「今度、スター・ウォーズ買っちゃったんだよね」
「じゃあ、いつものバラエティのお祭り騒ぎのノリで行きますか!」
っていう手口がミエミエ。
「どうせ一般視聴者なんて、こんなもんでしょ」と、完全に見下した姿勢でのぞまれてしまった。
この期(1983年秋)の日テレのキャンペーンスローガンは、「おもしろまじめ放送局」
小林完吾アナが「まじめ」、

徳光和夫アナが「おもしろ」を担当。

しかし実際は、「おもしろまじめ」には遠く及ばず、「つまらなふまじめ」だったというお粗末な話でした。
具体的な当日の様子は次回。
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