大日本人/クリエイティビティ(2) | アディクトリポート

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『しんぼる』について書くためには、
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-しんぼ

どうしても避けては通れないのが『大日本人』(2007)だと思う。

これほど理解されてない作品も少ない気がする。

私は大変面白く観たし、松本人志がやりたいこととか、言いたいこともよくわかった。
だけど世間はさっぱり理解しなかったし、他の映画と違ってるだけでダメ映画と決めつけた。

しかし、そもそも、映画監督や映画関係者上がりでなく、お笑い芸人の松本人志が監督する映画に、ふつうの映画を期待する方が、どうかしてるんじゃないの?

そう言う達者で無難な映画だったら、ほかにいくらでもあるじゃない。
私は松本人志に、そういう映画を期待していない。

だいたい、映画はこういう風にやらなきゃならないっていう決まりがあるわけでもないんだし。
まあ、名作とか成功作とかヒット作には、一定の共通項があるのはわかってるけど、先人がやったのと同じことをするために、松本人志はわざわざ自分の映画を撮っているんじゃないと思いますよ。

「シネマ坊主」を読んだって、映画を見る観点がまるで他の人とは違ってますからね。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-mio

で、「大日本人」には、
「なんか当たり前にそういうもんだと思われてますけど、違いますよね、本当は」
という視点がたくさん盛り込まれていた。

たとえば日本は怪獣とか巨大ヒーローの国で、1971年に等身大ヒーローの仮面ライダーが出てからもしばらくは、「帰ってきたウルトラマン」「ミラーマン」の円谷路線になぞらえて、巨大ヒーロー番組が山ほど作られていた。

その頃は、そういうもんだと当たり前に受け入れられていたけれど、
*人間が巨大化したら、プロポーションは崩れるんじゃないか、とか
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-巨大
*巨大化の際に、周囲の環境を破壊しないのか、とか
*特殊な仕事ならではの、政府や国家からの報酬があってしかるべきではないのか、とか
*伝統的な仕事だったら、専門職の世襲制じゃないのか、とか
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-大日
*怪獣退治以外のふだんの生活は、ごくごく庶民的、世俗的かもしれないじゃないか、
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-居酒屋
とか言った、これまでみんながスルーしていた問題に、細かく押さえを効かしながら、「実際はこんなもんでしょ」が示されていく。

この視点は新鮮だし、今まで誰もやったことがなかった。

だから本人も、その革新性をこそ認めてもらえると思ったのに、異色だというだけで否定されてしまった。
本人は異色だからこそ価値があり、作る意義がある(=違うことにこそ意味がある)と思ってるのに、世間はフリーク(奇形・いびつ)としかみなさなかった(=違うからダメと判断した)。

評価を下げた最大の部分は、いわゆるオチの部分で、
CGをかなぐり捨てて、着ぐるみでセットを組んだ伝統的な特撮空間で、ドタバタを繰り広げて終わってしまう。
終映後の観客の、とまどった表情が忘れられない。

その直前まで、本筋は別の視点で進んでいる。
新たな怪獣は、国産ではなく、つまり日本国内の問題ではなく、北朝鮮からの破壊者である。
そいつがアメリカ大使館を破壊しかけたところで、映画は一転、着ぐるみショーになる。
ウルトラファミリーを模した巨大ヒーロー一家は、アメリカ人やアメリカ国家を象徴している。

松本人志は、えひめ丸事件(ハワイで潜水艦との衝突事故)の時、「あいつら(アメリカ人のこと)、絶対おちょくってますやん!」と怒りをあらわにしていた。

というわけで、「大日本人」のラストは、日本国内の事件や事故、脅威は、もはや日本国内や日本人だけに原因がなく、日本人だけでは問題が解決しないこと、大義名分があれば、他国でも自分の国のように振る舞う大国の横暴を皮肉ったわけだ。
突然作風やドラマ進行が変わるのは、前半のペースでこつこつやるのに、飽きたり、力尽きたのかも知れないし、そのまま延々とやっても、映画が長くなりすぎるだけなので見切りをつけたのかもしれない。

本人は、自分がやっている中身をわかっているから、当然他の人(観客)もわかるだろうと考えていた。

場面場面の演出には鋭いところがあっても、特に言いたいことを持ち合わせていない北野武だって、巨匠とか異才を認められてるんだ。
誰もやらなかったことに挑戦した自分なら、当然もっと評価されるに違いない。そう考えていた。

と・こ・ろ・が。

まあ、一つだけさすがに「それは見込み違いだと思いますよ」と感じたのは、日本の事情についての深く、細かい映画である「大日本人」が、大半の日本人にすら理解されなかったわけだから、ましてや外国人には理解できるわけないだろうってこと。
反対に言うと、松本人志は日本以外のことを知らなすぎるからね。
カンヌに持って行ったってねえ。
だけどアメリカ上映じゃ、けっこうウケたらしいじゃん。


というわけで、自分の認識と観客とのギャップを、どれだけ埋めていくかという方向ではうまくなっていくだろうけど、「だれかのこの作品のこれ」に似た作品、つまりありきたりな映画に落ち着くことはないと思う。
というより、他の映画との比較で語られるような作品を松本人志が作っちゃったら、それは堕落なんだから、私はかなりガッカリすると思いますよ。
だって彼は(そのものズバリ、あからさまなという意味での)元ネタだとか引用なしで、映画が作れる人、そういうクリエイティビティのある人なんだから。

というわけで、まだ『しんぼる』は観てませんけど、とても楽しみにしています。

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