今日小学校から電話が来た。
息子の心療内科受診についての近況を教えてほしいと。
でも、、
息子は今年の4月から突然変化した。
あえてブログでは書いていなかったけれど、誰に対しても、とても人懐っこくなった。
挨拶も、手伝いも、すべての行動において今までが何だったのかと言うくらい変わった。
自分というものをもち、何を着たいのか、食べたいのか、楽しいのかを体と言葉で表現してくれる。
僕から見たら普通の小学生になってしまったのだ。
なぜかは分からない。担任が変わったからか、僕が仕事を変えたからか、夜勤をやらなくなったからか。
本当に嬉しい。
ただ、自分の子供がどうして変化したのか分からないということが親としてとても悔しい。
准看護師の資格を持っていた母は僕と姉を育てるために必死で働いた。
市立病院で働く母は、僕たち姉弟がいるため、夜勤ができないのでずっと臨時職員のまま働き続けた。
当時の給与明細を見てため息をつく母を今でも覚えている。
学費、光熱費、食費、市営住宅の家賃
きっと他にも出費はあったのだろう。
手取りの給与が11万だったことは覚えている。
だから当時丸ボタンになったばかりのファミコンも欲しいとすら思わなかった。
ファミコンというのは友達の家に行って遊ぶ特別なものだから。それに、普段やらないから下手くそで、そんなに楽しいとも思わなかった。
僕が1分でゲームオーバーしたあと、10分は回ってこないんだもの。2コンのマイクで遊んでいる時間が長かった。
こう書くと物凄い貧乏かと思われるだろうが、体操着もランドセルも同級生と同じ物はちゃんと持たせてもらえていた。
中学生になったある日、国語の先生が「朝日新聞のコラムから毎日感想を日誌に書いてくるように」と宿題を出した。
僕の中学には日誌というものがあって、一日のスケジュールやら日記欄があり、毎日書き入れるものがある。
先生はそこにコラムの感想を書けと言う。
今でも忘れない「天声人語」とかいうコラムだ。
困った。
新聞なんか取っていない。
先生の中では新聞なんてどこの家庭でも当たり前に取っているものという感覚なんだろう。
僕は家に新聞が無いと言えなかった。
もちろん母に新聞を取ってくれとも言えなかった。
でも宿題をやらないと先生に怒られるから、学校の途中にある潰れそうなディーラーに入ってその天声人語を読んだ。
時間が長いと声をかけられるから、1分だけ、流し読みで。
たまにそのディーラーが新しい新聞を出し忘れて古い日付のコラムと知らず、ほぼ同じ内容の感想文を書くこともあった。
でも毎日はディーラーに入れない。
友達と下校するときは絶対に入れない。
もうダメだ、天声人語なんて大嫌いだ。
怒られてもいいからコラムの感想文はやめようか
そう思った頃
なぜか朝日新聞が家にあった。
しかも毎日ちゃんと。
今でも母に聞いたことがない。
どうして新聞を取り始めたのか。
ただ、親になった今だから分かるのは、
「子供に苦労はかけたくない。」
という思いだ。
僕はあのときの母のように、
自分の子供が困っているときに気がついてあげられるだろうか。
さり気なく、何もなかったかのように背中を支えられるだろうか。
生活が苦しいことで自分を不憫だとか、誰かに嫉妬するだとか微塵も思わなかった。あの時の母のようになりたいと思う。
それと、学校の先生と新聞は今でも苦手だ。
