久しぶりの更新ですが忙しいわけではありません
何を書いたら良いかわからないだけです(笑)
最近なにかあったかなーと考えるのですが、具体的な利用者さんの事だとコンプライアンス的に問題だし
かと言って訪問看護ステーションの事以外だとなんのためのブログだ?
ってなりかねない。
でもネタがないってことじゃないし、よくよく考えてみたら
「充実してる」
多分これです。
今自分の看護がどうなのか、どうあるべきなのか確認しながら仕事が出来るって、やっぱり充実してるんでしょうね。
先日も看護師の友人たちと話をしました。
そんな中で
「看護(患者)目標ってなんだろうね」
という話題に。
「退院する」
「症状が改善する」
「10m歩くことができる」
まぁ、これらは全部看護目標って言えばそうだろう。
でも
「妻の運転でドライブする」
「娘とキッチンで料理をする」
「夫とお茶を飲む」
こういうのが看護目標になったらどうなるんだろうか
皆さんはどう思いますか?
僕は在宅だからこそ可能な
「看護目標」
になり得ると思います。
これまで病棟でしかできなかった事も確かにあります。
在宅医療はご家族の協力も必要になるし、自宅にあるもので対応していくことが多い。
そんな中でチーム最大の功労者である本人とご家族に、達成したい、させたいと思えるような看護目標にするべきだと思う。
だったらそれが
「いつもの飲み屋まで行って1杯ひっかける事ができる」
という看護目標になってもいいと思いたい。
病棟看護師は患者と一緒に看護目標を立てません。
看護計画には多少患者の思いが入りますが、少なくとも看護目標に対して、僕は患者とは一緒に立案していませんでした。
指示と病名、検査値、身体、精神状況から、
看護計画を実施することで期待される結果を患者の意思なく看護目標にするわけです。
おかしいですよね。
患者視点の目標なのに決めているのは看護師ですよ。
で、それに気がついたのは訪問看護を始めてから。
だからそういうの辞めました。
今、一人だけ面白い看護目標の人がいます。
「ぽぽろっこに行って訪問看護師と風呂に入る」
ぽぽろっことは大内町にある温泉です。
最高じゃあないですか!?
看護目標には僕も入っていますよ!!
来春には一緒に風呂に入ります。
それを目指して一緒に頑張っています。
フザケていると思われる方もいるかもしれない。
でも、ごてんまり訪問看護ステーションではそんな利用者の思いも看護目標にしていきたい。
で、話は変わって豚の脳の話。
米イェール大学の研究者たちが、胴体を除去した豚の脳に対する血液循環を人工的に回復させ、最大36時間にわたって生存させていた。
という、少し前のニュースです。
つい先日は豚を脳死させてから4時間後に回復までさせたニュースもありましたね。
当然議論が湧きますね。
しかもそれが米国ときた。
モラルハザードとか、医療倫理なんてのは日本より米国のほうが進んでいると思いましたが、豚なら良いってことなんですかね。
せめて肉は食ってくれ。
どう思います?
かなり前ですが首なし鶏マイクという
夕飯のために首を切られてから1年半も生きた鶏がいましたよね。
画像はやめておきます。
ググるときはグロ注意ですよ。
スポイトで水や餌を切断部から与えて、元気に生きていたそうです。
じゃあ脳はいらんのか?
なんて議論も起きましたけど、
これらはスワンプマンの議論に似ているような気がする。
〚スワンプマン〛
スワンプマン(Swampman)とは、1987年にアメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンが考案した思考実験。「私とは何か」といった同一性やアイデンティティーの問題を考えるのに使われる。スワンプマンとは沼 (Swamp) の男 (man) という意味の英語。
ある男がハイキングに出かける。道中、この男は不運にも沼のそばで、突然 雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。
この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルで、死ぬ直前の男と全く同一の構造を呈しており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態(落雷によって死んだ男の生前の脳の状態)も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一であるように見える[1]。沼を後にしたスワンプマンは、死ぬ直前の男の姿でスタスタと街に帰っていく。そして死んだ男がかつて住んでいた部屋のドアを開け、死んだ男の家族に電話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みふけりながら、眠りにつく。そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。
wiki-スワンプマン-より引用
どうでしょうか
スワンプマンは同じ人?
スワンプマンは別の人?
思いは人それぞれだと思います。
僕は別だと思うけど、、、。
なぜかというと、動植物はわかりませんが人にはクオリアという
その人にしかない
「感じ」があります。
〚クオリア〛
クオリアとは、心的生活のうち、内観によって知られうる現象的側面のこと、とりわけそれを構成する個々の質、感覚のことをいう。日本語では感覚質と訳される。
簡単に言えば、クオリアとは「感じ」のことである。「イチゴのあの赤い感じ」、「空のあの青々とした感じ」、「二日酔いで頭がズキズキ痛むあの感じ」、「面白い映画を見ている時のワクワクするあの感じ」といった、主観的に体験される様々な質のことである。
wiki-クオリア-より引用
僕が思うに、このクオリアがその人の、その人にしかないアイデンティティの形成に一役買ってるんではないかなー、と思っています。
スワンプマンのようにDNAが同じでも
あの豚のように脳だけになっても
首無し鶏マイクのように首から上が無くても
それぞれの個にクオリアは存在するって思いたい。
と、息子に言ったら
「じゃあさ、豚の脳と豚の体、離れたからクオリアも別の2つになったの?それとも同じクオリア?豚肉を食べたらクオリアはどうなるの?」
と言われた。
うーん、、、、たしかに、、、
みんなはどう思いますか?





