今日は、愛大病院の日でした。診察内容はおいといて、この前から無料送迎バス乗り場が少し変わった理由を今日初めて知って、怒りというか、情けないぜ、日本人。駅の真ん前だったら邪魔になるというクレームが来て、警察の指導があったとのこと。

 

声がでかいもん勝ちなのかよ。しんどいからみんな病院に行ってんの!!その、ちょっとズレた距離が、病人にとってどれだけ大きいか分かる?だいたい、たいして交通量もないとこでしょう。邪魔になってるとは思えないんだけど。元気な人が、ちょっと避ければすむ話。法律は、もっと拡大解釈をすべき。弱い立場の人が、障害がある人が、同じように幸せを感じれるようにするのが真の平等なんです。警察も、どっちの言うこと聞いてんの?細かい法律より、基本的人権とか平等とか公共の福祉とか憲法にあるでしょう。大前提は、憲法のはず。

 

このことがあって思い出したのは、保育園ができるのを住民が反対する話。てめえは、子供のころが無かったのかよ。子供は地域の宝、国の宝。みんなで育てるものです。過疎の町に住んでたら、子供の声がするのはなお一層嬉しい。私は小さいころピアノを習ってたんですけど、中学校の先生ですら「練習する時のうまく弾けない音は雑音」って言ってたもんな。ピアノの練習を普通の音量でしてても、近所の人から苦情を言われたことは一度もありません。私が音楽が好きな人間になれたのは、近所の人たちのおかげです。今でもテレビの歌と一緒に熱唱してしまいます。窓を網戸にいている夏場は、さすがにそんなことはしないけど。

 

…、とここまで下書きを書いて放置している間に、世の中では相撲の土俵の女人禁制のルールの問題が起きていました。細かいルールは、時代とともに変わってもいいと思うんやけど。ルールや法律を拡大解釈して、臨機応変に。(追記:それでも女人禁制は守るべき、という相撲関係者が多いけど。そのルールの中で、解決できるならいいよ。じゃあ、あの場で応急処置できる、っていう男の人がいっぱいいて、男だけで命が救えたんならいいよ。そういう男がいなかったでしょ?女だって、そういうルールがあるとこに、進んで行きたいわけじゃない。男だけじゃどうにもならんかったから、仕方なく女が出て行くしかなかったんだよ。女がでしゃばるのが嫌なら、男でそういうことできる人を土俵際に必ずつけとけよ。…というのと、伝統行事とか習わしには、五穀豊穣を願ったり、無事に物事を遂行できるように、という意味合いが強いから、何かあった時にあのときああしなかったからだと後悔しないようにするということもあると思う。でも、東日本大震災があったけど、東北の人があれほどの被害を受けないといけないことをしたか、というとそうじゃないと思う。で、女人禁制になった背景には、女性は生理があるから汚らわしい、っていう考えがあるよね。でも、生理もなけりゃ、子供も生まれないんだよ。そういうところは、時代が変わって考え方を変えてもいい部分だと思う。伝統はもちろん大事だけれども。私が大好きな千代の富士が今生きていたら、どうしただろうなぁ。)

 

でも、私も生まれながらに障害者や弱い立場の人たちに寄り添えていたかと振り返ると、全然そんなことはなく。私の集落では、知的障害のお兄さんがいて、たまにフルちんでうろうろしていて。私が小学生の低学年の時に、近所の子たちと雑草をその人の頭からふりかけてしまったことがありました。親は知らなかったけど、近所のおばちゃんからそのことがバレ、めっちゃ怒られたなあ。

 

あと、小学校6年生の時に中学校の先生の出前授業で、世界のいろいろな写真を見てどう思うかと感想をいいあう授業。アフリカの写真を見て、私は「文化が遅れています。」と言ったんだった。そしたら、授業に来ていた城戸先生(あだ名は、『未来少年コナン』のレプカ)に、「文化に進んでるも遅れてるもない。ただ、違うだけだ。」と、言われました。当時優等生だった私は、自分の発言が否定されること自体珍しくてショックも受けたけど、そういうこともあり、高校にあがるまでには大体今の自分の考えまで確立されていきました。

 

興居島とは、近所の方たちも学校の先生も、そうやって人を育ててくれる場所です。いろんな人が身近にいて、それぞれのつながりが濃くって、物事を自分事と考えるクセが身に付きます。自分が子育てすることはたぶんもうないけど、そうなったら絶対ここで子育てしたいと思っています。

 

今回も、写真なし。では、趣味の園芸で収穫したレモンの写真でも。