また一人、平和を心から願って行動する人が、志半ばで亡くなってしまった。

 

 私が沖縄戦の傷跡をはっきり意識したのは、小学生低学年の時。母の本棚から、灰谷健次郎さんの『太陽の子』を取り出して読んだ。決して難しい言葉で書かれたものではないから小学生の私でも読めたのだが、戦争の悲惨さ、悲しさは深く心に刻まれた。

 

 大学は、北九州市立大学に進学した。西日本各地から学生が集まるその大学は、沖縄出身者も多く、友達もでき、沖縄の問題を自分事として考えることができた。ちょうど学生時代に、沖縄を舞台にした映画が2本同時に上映されることがあり、映画好きの私は両方観た。『ナビィの恋』はテレビでも話題になり、作品の持つ明るい雰囲気に私も惹かれ、「いいよね、あれ」と友達にも言った。すると、沖縄から来た友達は「『豚の報い』の方がよかったなぁ」とつぶやいた。本土から見た沖縄と、沖縄の人が思う沖縄と、ズレがあるんじゃないかとその時思った。

 

 テレビの討論番組では、普天間に先に基地ができ、後から住居が建てられていったと言う人がいた。基地の賛否を街頭インタビューする時、必ず基地で経済が潤ってるという意見もセットで放送される。しかし、沖縄の基地問題を地道に取材した愛媛新聞の地軸欄では、基地を押しつけられてきた沖縄の苦悩が書かれていた。(いまだに地軸ノートを買っておらず、切り抜きもしてないのが残念。)

 

 今だからこそ、声を大にして言う。辺野古に基地はいらない。普天間からの移転先は、どこにもいらない。基地を一つ、なくせばいい。いつまでアメリカのいいなりか。もう一回戦争を起こして、勝たなくちゃダメなのか。密約なんて知らない。もっと対等な立場の日米同盟を。