インキャ、コミュ障の『負けない戦略』研究所 -4ページ目

インキャ、コミュ障の『負けない戦略』研究所

元は超がつくほどのコミュ障、いわゆるインキャ。
対人関係が苦手で、ゲームに走ったり

起業は単騎じゃ無理だと悟り、
「広告」スキルを買われ参謀に。
そんな逃げ症の持ち主。

そんな僕でも、「幸せ」になれる確信を持てた。
体験を交えて伝えていきます。

どうも、先延ばしの天才だった、しんです。

今回の記事では、
誰しもがやってしまう「先延ばし」について、

ぼくの体験と改善するために行動したこと、

意識していることをまとめました。


先延ばしをしなければ、
思い描いた通りの未来を掴めるのになー」とか、
こんなことが実現するかもなー」とか
感じたことはありませんか?

ぼくはめちゃくちゃありました。


特に、今でも覚えている、子どもの頃にスーパーファミコンや64を
狂ったように遊んでいたときに家族から言われた一言が、
しんはゲームをする時間を全部勉強したら、東大に軽く受かるよ
でした。笑

学歴という社会的な基準については、
見事に年単位で先延ばしにしていました。

ただ、
今では、ゲームに没頭した時間や勉強を先延ばしにしてしまった経験含めて、
弱い自分を受け止めて、全てが今役に立っています


もちろん、先延ばしの原因を根本から解決してしまえば、
反省や後悔する要素が少なからず1つ減ります。

ここで考えていきたいことは、
先延ばしを解決するにはどうすればいいか?

まず、先延ばしの原因と言われているのは、
セルフコンパッション」が高いことが必要だと言われています。

 




1.自分を許せる力、セルフコンパッションが必要と言われている

なぜ、セルフコンパッションが必要かと言うと、

自分自身にストレスを与えるから、
脳の判断能力、処理能力が下がり、
結果的に先延ばしをしてしまう傾向になりやすいと言われているからです。

100%できないと自分自身を許せないという
完璧主義の感情がセルフコンパッションが低いということです。


ただ、
「自分を許せる力」が必要だ!
やれ「セルフコンパッション」だ!
と頭で分かっていても、

実際に体現するとなると、
どうすればいいか分かりませんよね。


「じゃあ、どうする?」と自問した結果、
日常でつい先延ばしにしてしまう瞬間を観察してしました。


2.日常を省みたら、先延ばしの種が山程あった

結果は、散々な結果でした。

「後で片付けよう」と思っていた食器が、
次の日まで放置してしまったり、

「今はタイミングじゃない」と考えて、
2週間後には必要な知識の勉強をしなかったり、

「優先度は高くないから」と
やらない理由を取り繕ったり、

粗だらけな自分を悔いました。


「フッ」と自分自身を鼻で笑いたくなる気分になりましたが、
弱い自分を受け入れて、
1つ1つの日常の行動を省みました。


全体的に見ると、
今やったほうがいいのは間違いないけど、
必ずしも必要でない、緊急でないものが
すべからく先延ばしにしていることがわかったんです。

例えば、
顧客対応に追われて、釣りのスキルを上げるための時間を確保できていなかった。
だから、先んじて顧客対応できる仕組みを創り、
仕事の依頼をしたり、すぐに回答できるように体制を整える。などです。


ここを進めないことには、人生が進まないんだと気づき、

日常の粗を1つ1つ潰していきました。



結果的に、

毎月の目標数値であったり、
取り巻く仲間や空間、文化が
24時間気持ちいい時間を体現できるように至ってきた過程です。


3.人間はやらない理由を創る天才である

・今日は疲れたから、仕事はやらない
・雨で髪の毛が天パになるから、出かけない
・だって、私は◯◯だし。
・時間がないから、できない
・お金がないから、できない

もっともらしい表現や言い回しで、
できない理由を並べる
ことが
ぼくも含めて大半の人が超得意だと思っています。

何気ない言葉、行動でも先延ばしを体現してしまいます。

なぜかというと、人は無意識に安定、変わらないことを求めているからです。

いわゆる、ホメオスタシスと呼ばれるものです。


この先延ばしをするからこそ、
人生が前進しないことを頭では分かっているけど、
気がつくと無意識に先延ばしをしてしまっている。

そのくらい、先延ばしのための言い訳を日常で履いて捨てるほど体現しています。


そもそも論では、
できない理由をやる理由にするんだよ』と核を突いた言葉をお伝えするのが簡単です。

ただ今回は抽象的な言葉で記事を締めくくるよりも、
実際にぼくが体験したことから、

次の行動計画を立てて、お役に立ててもらえたらなーと思いました。

なので、まず最初の第一歩として、
日常生活を観察して、
1つ1つ先延ばしの芽を摘んでみて
はいかかがでしょうか(^^)/~


今回の記事、少しでも役に立ったなーと感じたら、
ぼくがどんな人生を歩んできて、未来の仲間とこれからどうしたいのか、まとめています。
ぜひ見てくださいね。

ぼくのプロフィールはこちらから

しんの自己紹介


また、日常生活で先延ばしや「仕方ない」と妥協せず、
理想の未来を掴み取るためにぼくたちが何をすればいいか
視点をまとめた記事はこちらです。

「理想の未来を掴み取るために、ぼくたちができること」




さらに、日々過ごしている中で、
どうも思い通りにならない時間があると思います。

その時間を思い描いた通りの時間にするために、
釣りと広告の切り口からまとめた記事はこちらです。

「釣りや広告が教えてくれた、理想と現実のギャップ」


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

どうも、しんです。

今回は、ぼくが8年間敬遠していた、
車の運転について、
気づきや感じたことがありましたので、
記事にまとめました。


結論から言うと、
ぼくの思い込みや
自信のなさから言い訳
をしていた。

という話です。


そこに気づいて、

「仕方ない」という言い訳をせずに、

日常で一歩踏み込んで、新しいことに挑戦し、

何を感じて、どう思考したかをお伝えします。

 




1.「車は便利だけど、危険な乗り物」という認識

家族や仲間や友人に、「車って言葉を聞くと、どう感じる?」と聞くと

便利な乗り物であったり、
趣味であったり、
危険なものであったり、
生活必需品であったり、
様々な答えが返ってくるかと思います。

ぼくの考えは、

「自由度が高く、小回りはきくけど危険な乗り物」という認識を持っていました。


なぜかと言うと、

ぼく自身が過去に交通事故に遭ってしまったこと、

数年前に、車を運転していた時に、
不注意からヒヤリとした場面を経験して、

「運転しないほうがいい」という思い込みと自信のなさを体現していたからです。


運転するくらいのはイヤだけど、車に乗るのは好き。と考えていたくらい、わがままな性格をですよね。笑


けど、仲間と東京で釣りもして、
美味しいものを食べて、
用事も最速ですませるという、

思い描いたベスト中のベストの未来を掴み取るために、

ぼくは、カーシェアという

未体験のゾーンに足を踏み入れました。


正直、
初めは何をすればいいか手探りの状態でしたが、
初めて東京で運転して、色々回れるぞー!と、ワクワクする期待と、
予定通り進まず、失敗したらどうしようという不安が入り混じっていました。


結果的には、
一度申し込みがキャンセルとなってしまい、
余計にお金を払うことになってしまいましたが、

釣りをして、用事も済ませるという目的を達成することができました。

 




2.車に乗った時に感じたこと

いざ、車を動かした時には、
年1回の観光地ドライバーだけど、
しっかり運転できるやん〜、と思えるくらいスムーズに運転できていました。

何度か道を間違えて、
2kmのトンネルを3往復はしましたが。笑

そもそも論として、アラサーの男が「車を運転できた」ってブログにするのも、、という意見は確かにその通りです。


ただ今回の論点は、

なぜ、車を運転することが、
未来の可能性を拡げることに繋がるか

そこを感じて、考えてほしいのです。

単純に考えると、

移動範囲が増えたね。

ということになりますが、
それだけではもちろんありません。


自覚しているにしろ、無自覚にしろ

「○○は苦手だから、やらない」と考えていたり、
「○○をやるなんて意味がない」と考えていたり、
「○○は私には関係ない」と考えていたり、

(前回の記事と関連しています。記事リンクはこちら)
「大阪都構想は無関係」と考えるのはもったいない


やる意義を見出さずに、蓋をする言動が、
"ほぼ無自覚"に未来の可能性を捨ててしまっているということです。

 




今回、ぼくが車を運転することを敬遠していたことで、
実際に一番の障壁となるのが、
そもそもの移動距離が限定されることです。

もちろん、タクシーを使えば、移動は解決します。

ただし、
車を運転して、得られたばすの体験や、思考、感情は
全て捨てていたということになります。


仲間とワイワイするなら、
それこそ、タクシーよりも
自家用車かレンタカーの限られた空間で愉しみたいと思いませんか?


一方で、思考や感情面を見ると、
車を敬遠することは、
事故や違反を起こしていないのに、
自らの可能性を閉ざしているという見方もできます。

この車を運転しないという思考と感情は、

東京と大阪で住んでいた時、自然と形成されていました。

「車を持たないこと、乗らないことが正しい」と考えて、
日常で起こる理不尽なことだったり、
「仕方ない」と妥協や我慢をしていた
ぼくでは至らなかった考えでした。


今、ぼくが掲げている

「全部やろうぜ」という姿勢を一貫してお伝えするためには、
車の運転を敬遠することすら、
未来の可能性を手放している可能性がゼロではない

と、自戒を込めて記事にまとめました。


3.おまえのオールを任せるな

まとめると、この記事で言いたかったことは、
過去のぼくの思考や経験に対して、
車の運転手になることなく、
助手席で行き先を決めてもらうことだけに甘んじるのはいかがなものか」ということです。

宙船の「おまえのオールを任せるな」ですね。


また、ここでの人生のオール、主導権を握られてしまうのは、

他者からの理不尽や一方的な要望を飲んでしまうこと、

自分自身が「仕方ない」であったり、
「面倒くさい」と問題に先延ばしにしてしまう感情そのもの、

この2パターンあると考えています。


前者の他者からの影響については、
分かりやすいですし、
対処もしやすいと思うので割愛しますね。


少し厄介なのが、
自分自身です。
自分自身は一番身近な他人と言われるくらい、
感情や行動が分からなくなる時があります。

そこに向き合うことが、
僕が伝えたい「全部やろうぜ」の出発点です。

ぼく自身も現在進行系で、逃げてしまう感情や、相手を無意識に攻撃してしまうことがある、醜い感情など、自分自身と向き合っています。


このように、
感情に任せて言葉や行動にするのではなく、
自分自身と向き合える人が増えたなら、

お互いの立場や感情を汲み取って、
より愉しくて明るい世の中になる、と確信して、
今、環境創りをしています。

ぼくたちができることは、
目の前の人を助けることだけでしょうか?

ぼくは、そうではないと思っています。
だからこそ、未来の仲間とより良い未来を描き、掴み取るために、

「仕方ない」と妥協することなく
「全部やろうぜ」と伝えています。



これ以上は長くなりそうなので、別の記事に続きます。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。



今回の記事、少しでも役に立ったなーと感じたら、
ぼくがどんな人生を歩んできて、未来の仲間とこれからどうしたいのか、まとめています。
ぜひ見てくださいね。

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また、「仕方ない」と妥協せず、
理想の未来を掴み取るためにぼくたちが何をすればいいか
視点をまとめた記事はこちらです。

「理想の未来を掴み取るために、ぼくたちができること」

どうも、しんです。

先日、二度目の大阪都構想の選挙結果は、
反対派が賛成派を押し切って、大阪市の存続が決まりましたね。

喜ぶ人、そうではない人、両方いるかと思います。


ただ、大阪市の人口、約270万人以外の方、
例えば、

・関西の話だから、私には関係ない
・大阪市に住んでいないから、私には関係ない
・はたまた、大阪市に住んでいても、興味がない

と、大阪都構想の選挙結果は「私には関係ない」と考える方が
ほとんどではないかと思います。



ぼく自身もはじめは、
「大阪都構想、反対されたんだなー」という認識でしたが、

数秒後、ハッと気づいて、
僕たちがこの認識だと「もったいないなー」と至りました。


ここで、断っておきますが、
今回の記事では、
大阪都構想の内容について語りたい訳ではありません。

あくまで、「私には関係ない」と意識しているであれ、無自覚であれ、
日常をどれだけ気持ちいい時間にできるかに
直結しているんだと感じ、記事にまとめました。


1.「私には関係ない」という言葉

僕たちは「◯◯は私に関係ない」と判断して、
以降は見向きもしなかったり、
別のことを考え始めたり、、

おそらく、誰にでもあると思います。


例えば、職場で自分が関与していないトラブルが発生すること。

そこで、「私には関係ない」と感じることはありませんか?
僕はありました。

上司と同僚の主張が食い違っていて、
両者が引き下がらない状況となり、
プロジェクトが平行線のまま進まない事態が起こったことがありました。

その当時、チームの一メンバーだった僕は、
自分に与えられた仕事をまず終わらせるために、
関与しないことを選択しました。

個人に与えられた仕事を全うしようと考えていたためです。


でもですね。
いずれ、チームや組織を束ねることを考えて、
チームの人生を背負うんだという気概があれば、
上司、同僚の両方に解決の糸口を見出そうとしていました。


例えば、「釣り」です。

これは、ぼく自身の例になるのですが、
約半年前までは、釣りをすることを勧められても、

「仕事に釣りは関係ない」と考えたり、
「魚を触るがイヤ」と考えていました。

ただ、見方を変えると、
ぼくが釣りを「やらない理由」を作っていたり、
釣りをする人の気持ちを汲み取ることなく、
釣りから目を背けることをしているとも言えます。

また、
釣りに興味がない自分を正当化していることや、

釣りを始めても、意義を見いだせず、本気で取り組めなかった。
ということがありました。


つまり、「釣り」をしていることがぼくにとって
「気持ちいい時間」とは言えない時間がありました。

今思えば、非常にもったいないことをしていたと感じています。


2.言葉にはその人の姿勢が表れている

今でこそ、釣りは絶対にやったほうがいい!と、
ブログ記事につらつらと書いています。笑

ただ、以前は「釣りはめんどくさい」と言っていた時期がありました。


ぼく自身も「遊びと仕事は全くの無関係である。」と考えていたんですね。
だから、釣りは人生でやる必要がない。とまで思い込んでいました。

それが、仲間と共同生活をする始めてから釣りをするようになり、
気がつくと釣りにのめり込んでいました。

そして、釣りをしている時、、
「なるほど、釣りも仕事も全く同じだ。」と気づきました。


なぜかというと、
釣りで魚を釣るために、
・ロッド選び
・ルアー選び
・釣り場選び
などなど、様々な要素を決定します。

対して、仕事についても、
・目標の数字、理想の状態
・戦略
・戦術
などなど、ゴール、目的は釣りと異なっていても、
様々な要素を決定します。


特に、釣りも仕事も「変動する要素」が多いんです。

釣りだと、上記で挙げた、
・ロッド選び
・ルアー選び
・釣り場選び
では「運任せ」で魚を釣れるかどうか、
という基準値になってしまいます。


仕事でも予定外のことが舞い込んできて、
予め立てていた計画と実際の進捗が芳しくなく、
計画倒れになることも、

ある意味、「運任せ」で仕事をしていると言うこともできます。


そんなぼくの「運任せ」に気づいたきっかけが、釣りでした。

釣りで「狙って魚を釣る」ために、
海流や、過去の釣果や、
釣り場に行っての現地調査や、
「これなら釣れる!」と確信に至るまで情報を収集しました。


料理でも同じことが言えると思います。

例えば、
・野菜の保存温度
・調理時間
・盛り付けてから何秒後に料理を提供するのか
などなど、料理人からしたら当然なのかもしれませんが、

変動する要素を見抜いて、
狙った味を再現する方もいます。


つまり、ひとりでに仕事以外のことを「関係ない」と断じて、
自分自身の未来に可能性を手放していた、という見方もできるということです。



3.必要ないという考えが、自分や仲間や事業の可能性を手放すことを自覚する

ぼく自身が釣りなんて人生に「関係ない」と思っていましたが、

今では、1週間毎日2回釣りに行くこともあり、
なおかつ、釣りをすることで、仕事にもよい影響が出てくるようになりました。

なぜかと言うと、釣りでの思考は、
そのまんま仕事で活きるからです。


仕事の中で釣りの話という共通話題を持つだけでなく、
仕事仲間や顧客の感情を汲み取って、
先んじて何を提供したり、どんな声掛けをするのか、

釣りで丁寧に向き合った分だけ、
仕事でも丁寧に向き合える、と思います。


だからこそ、
今は健康だから、老後や食事は関係ない。考える必要がない。
安定した生活ができているから、転職を考えたり、お金を心配をする必要はない。

結論としては、
「私には関係ないから、考える必要がない」という思考は
『自分自身の可能性を自ら手放している。』
と僕は問題提議したいです。

では、自分自身や仲間の可能性を最大限拡げるには、
僕たちが「じゃあどうするか?」を常に考えることが、
未来を切り開く糸口になるんじゃないかなと思います。

 

 

今回の記事、少しでも役に立ったなーと感じたら、
ぼくがどんな人生を歩んできて、未来の仲間とこれからどうしたいのか、まとめています。
ぜひ見てくださいね。

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次の記事はこちらから

理想の未来を掴むために、ぼくたちができること

 

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

どうも、しんです、

今回は、
前回の記事では、
本音を伝えられる、価値観が共鳴した仲間が
「気持ちいい日常」を創り上げるために必要であることをお届けしました。


結局、
大事なのは、
伝え方、とか
表面のことではなく、
「本音」を「自分都合」で考えるか、「相手の人生が最高になる」と考えるかで
「伝わるかどうか」が重要になります。

多くの人が、「本音を伝えること」に恐怖を感じますが、
恐怖した原因がわかれば、
本音を伝えないことが
もったいない、と感じれると思います。

前回の記事を読まれていない方は、
こちらからどうぞ。
本音で話すことに対する恐怖の正体

日常でこだわりを持てないのは、
「人との関わりに損得勘定で考えて、妥協しているから」
「人育て」の視点を盛り込み、本音を伝えることで、
「損得勘定を超えて、人との関わりに妥協しなくていい」ということが分かりました。

加えて、
仲間の実力やモチベーションを引き出せるからこそ、
義理、恩義、尊敬が生まれて、損得勘定を超えた信頼関係も築けます。

その先に「気持ちいい日常」と「共に未来を創造する日々」があるとぼくは思います。

今回は、
「本音を伝え合える関係」になって、
仲間と共に未来を創造することを前提にして、
感情的になり、冷静な判断ができなくなった仲間に、
自分も相手も最高の状態になれる視点を渡そうとした話をお伝えします。

「自分も相手も最高の状態」が鍵で
これが「人育ての視点」として大切になります。


失敗談から気づいたこと
気づいたことを実践したこと
実践して見出したこと
1つの家での共同生活で、
人数に対して少ない部屋をどう使うか、ということを
曖昧にしていた部分がありました。

例えば、
会議や用事がある時だけは使っていい、などのルールです。

そして、ぼくは事業と用事のために、部屋を最も使用していました。

そこで、共同生活をしている仲間の一人から、
「しんさん、部屋にこもってないでリビングで仕事しなよ」と圧を含んだ感じで言われて、
すかさずぼくは、
「守秘義務契約があるし、それはできない。終わったら行く」と反発する形で返してしまいました。

お恥ずかしいですが、完全に意固地になっていました。

その日の午後、仲間からさらに追撃の一言がありました。


「今後、その部屋は○○事業で私が使うことになるし、部屋を空けてほしい」と。
この発言には、ぼくも「あー感情的になってバランスを崩しているな」と察したので、
仲間に対して、
「どうした?声のトーンが低くなってるよー。」と
感情的になっていることを諭す言葉を返しました。

でも、この言葉がいけなかった。。


その後、別の仲間がフォローしてくれて、

どうやら、
ぼくが部屋を専有していことに嫉妬していたことが大きく占めていました。、

確かに、
部屋を専有していたのは、ぼくの落ち度でもありましたが、
部屋を移動するために代替案が無かったことは、何だかなーと感じていました。

その代替案を出すということであったり、
感情的になっていて、バランスを崩していることを受け止めてしまう言葉を
声掛けとしてやるべきでした。


ぼくとしても、至らない言動をしてしまったことを
「やっちまった、、」と悔いました。


この日常のやり取りで学んだことは、
思ったことをド直球で言うことではなく、
感情的になっていたり、上げている拳を降ろすような言葉を掛けるということです。

どちらか一方でも、我慢してしまうのは、
自分も相手も最高の状態を手放していると、
痛感した一日でもありました。

だからこそ、ぼくは
相手が望んでいない未来を選んでいそうだなと、察した時には、
軌道修正ができてしまう声掛けをしようとしています。

そうすれば、
自分も相手も最高の状態を目指せる、
「本音を伝えられる関係性」であり、
「共に未来を創り上げる日常」を描けます。


「気持ちいい日常」を作るために必要な
「人育て」の視点が、
「本音を伝えられる関係性」を生み出します。

最初は、辿々しかったり、
億劫に感じたりしますが、
1つ1つを仮設検証して、自分の成長と共に、
「本音が伝わる精度」がどんどん高くなります。

本音を伝えるタイミングとしては、
相手が失敗して、反省、後悔をしているタイミングだからこそ、
本音が一番効果的になります。

そして、
事前に伝えておいたことで、
成長のための悔しさとなり、

自分自身が成長できない悔しさを受け入れることが
できるように本音を伝えることができれば、
仲間の成長につながるし、

その結果として、
背中を預けられるよう仲間に成長して、
価値観だけでなく、実力を伴った
「背中を預けられる仲間との気持ちいい日常」が広がるとも言えます。


ここで、「仲間の成長」に目を向けることで、
結果として、自分の成長につながることは、感じていただけたかと思います。

しかし、
仲間が自立するために
「育てる」という観点では、
成長が最大化しません。

なぜなら、
教えられないと、自分の成長の伸び代を感じられないからです。

成長を自己完結するためには、
教えるのではなく、育ってしまう環境が必要になり、
自分でそこに気づけないのは、
致命的だからです。

ならば、
成長を「自己完結」させるために何が必要なのかというと、
極論「放置」するということです。

しかし、
それだと、「成長速度」が仲間任せになります。


その速度を最大化させるために
自分がどのような視点で、
声をかければいいのかというと
「育"つ"」視点です。

しかし歯がゆいのが、
相手を育てようとすればするほどに
「教える」という行動を取ってしまいます。


教えることで、
これが相手が成長の伸び代に気付く
「成長の自己完結」を邪魔してしまっていることに
気付くことができます。

価値観だけでなく、
成長を自己完結した仲間と共にする
「気持ちいい日常」を過ごすために必要な、

「育"つ"」視点を次回お届けします。
次回の記事はこちらから
人を育てようとしても育たなかった経験から学んだこと

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

 

今回の記事、少しでも役に立ったなーと感じたら、
ぼくがどんな人生を歩んできて、未来の仲間とこれからどうしたいのか、まとめています。
ぜひ見てくださいね。

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どうも、しんです。

今回は、
ぼくたちが24時間「気持ちいい」と言える日常を創り上げるために必要な
価値観を共にする仲間を得る」ということについて、
話を進めたいと思います。


これから、創り上げる日常とは、
「理想の未来」です。

その未来に必要なのは、
自分と他者であり、

「あ、この人好きだなー」と感じる人と、

いかに関わり、過ごせるかで、
理想なのか、そうでないのか、が決まると言えます。


なぜかというと
日常とは、「時間」ではなく、
「誰と関わり、誰と過ごすのか」で構成されているからです。

つまり、
「気持ちいい日常」は、
「あ、この人好きだなー」と感じる人と
関わり、過ごせるかが重要になります。

そう考えると、
ぼくたちの日常をいかにして、「気持ちいい」と言えるものにできるのかというと、

プライベートも、仕事も
全ての時間で、

「あ、この人好きだなー」と感じれる人と

関わり、過ごすことで、
「気持ちいい日常」を創り上げることが
できるかどうかが重要と言えます。


気持ちいいと言える日常は、

結局、1人では創り上げることはできません。

 



「創り上げる」ということは、工程が必要であり、
それを自分1人で作り上げるのは、
どう考えたって、
「非効率」です。

なぜかと言うと、
1人に与えられた時間は、
1日24時間、365日、
寿命で約100年という期限があるからです。

「1人では日常を作れない」と言葉にすると

どうしても、「お金があれば」、「時間があれば」と考えちゃうわけですが、

「お金」があっても、
サービスを提供してくれる人が
いなければ、当然、何も手に入りません。

「時間」があっても、
仲間と呼べる人がいなければ、
当然、仲間を見出すための生き方や行動を起こす必要があります。

ここについては、わざわざ言葉にしなくても、
どこか共通認識なのかとぼくは思います。


でも、
実際行動に起こしてみると、
都合の良さを求め、
自分「が」楽しめて、気持ちいい瞬間を求める傾向があります。

それが、
人気
お金
ブランド
いいねの数

いわゆる
承認欲求や、
自己顕示欲を満たすことです。

そう考えると、
多くの人が、
自分『が』満たされるために、
行動していると言えるわけです。

いかに、自分がよく見えて、
尊敬され、
認められ、
チヤホヤされるのか
そのために、日々、奔走してしまいます。

分かりやすい例が、
モテるために、ファッションに勤しむ、とか
「さすが」と言われるために、
お金を稼ぐ、などです。

その結果として、
自分の日常を彩る「相手」を
格下のように扱ったり、
「損得勘定」で選んだりして、
「自分本位の日常」を作ろうとします。


個人的には、「それって『気持ちいい日常』から逆走してない?」と思うわけです。


なぜなら、
自分「が」気持ちいいだけの日常は、
他者にとっては、「気持ちよくない日常」が広がるからです。

自分が「格上」と感じて、優越感に浸る瞬間に、
相手自身は格下だと感じて劣等感に包まれてしまうわけですから、
「自分『が』気持ちいい日常」を求める限り、
相手の「気持ちいい日常」を削り取ってしまってる、とも言えます。

で、その状態では、自分の日常を考えた時に
「気持ちいい」と言える瞬間を、創り続けることって無理に等しいとぼくは思います。

だから、必要になるのは、
自分も相手も当然として、
「気持ちいい」と言える日常を、『共に』創り上げること、です。

それ無き未来に、
24時間気持ちいい、と言える日常は、永遠に創り出せない、と言えます。



とはいえ、
自分が好きだと思える人じゃないと、
「共に未来を作りたい」とは、
感じられないわけで、、、、

そこで必要になるのが、
関わる人、過ごす人を選ぶ「基準」になります。

結論を言えば、
「価値観で共鳴する人」ですね。

もっというと
「本音を伝えるほどに信頼関係が強くなる人」です。
「それは理解できる、『でも、、、』」と多くの人が、言います

確かに、
外見
学歴
収入
(都合が)良い性格

これら全てが「普通」なら、
関わる人を選ぶ基準であり、
過ごしたくなる基準である、ことは「理解」出来ます

ただ、ですね、
個人的には、「共感」は出来ないわけです。

だって、
離婚
退職
仲違い
人の関わりが切れる瞬間には、いつも
「価値観のズレ」という背景があります。


つまり、
どんなに「損得」があって、
自分のステータスになるような相手と関わっても
価値観が共鳴していない時点で、
「関わりの終わり」が始まっているに過ぎないと感じるから
理解はできても、共感はできない、と感じるんですね。

ということで、これからぼくたちが
24時間気持ちいいと言える日常を
仲間と共に、創り出せるような自分になっていくためにも、

「価値観を共にした仲間」をどのように捉えて、
どのようにすれば、繋がり、共に未来を創造できるのか、
について、話を進めていきたいと思います。


仕事だと思うから、仲間を切り捨てていた
ぼくがこれまで、
仲間だと認識する基準にしていたのは、
「能力」の有無でした。

つまり、
損得勘定で相手を査定して、
ぼくが考える基準以上の人なら関わる、
という考えで、関わる人を決めていたわけです。

ぼくは、
会社員から独立として、個人事業主として事業を手掛けています。

1人では限界があると感じていたため、
仲間がいる状態で、事業を始めました。

ただ、当時のぼくは事業をするなら、「能力」がないとダメでしょ、
というスタンスから、ある一定の基準値を設けていました。

その基準値に満たない仲間は、
自然と離れてしまうような、素っ気ない態度を取り、
強い者だけが残るチームを創ろうとしていました。

ある意味、仲間を「切り捨てていた」とも言えます。

ぼくが「強いチームの創るんだ」という正義を履き違えていて、
悦を感じていた側面もあります。

本当に、仕事しか見ていないくて、
仲間、もとい人の心情を度外視し、
対人関係が苦手なるのは、
ある意味当然とも言えます。

だから、当時のぼくは、
人とのコミュニケーションが極度に苦手でした。

そして、
人とのコミュニケーションが苦手だからと、何かに理由をつけて避け、
当たり障りのない会話や
事業の話だけするように努めていました。

結果として、
本音をぶつけたり、
何気ない日常の会話が億劫になって、
当たり障りのない会話しかできないようになっていました。


本音をぶつけることに「恐怖を感じる」理由

事業を始めた時に感じていた、

「能力なき仲間は切り捨てる」
「何も言わない方が相手のため」

つまり、仲間は損得勘定でしかないと感じていたぼくが、
気持ちいい日常を創るために、

「仲間は切り捨てるのはなく、共に創造できるまで待つことが必要だ」と断言できるほと、
変わったきっかけがありました。

それは何気ない日常会話でした。


ぼくは今、事業仲間と共同生活をしています。

そこで、休憩時間に仲間と会話していて、

何度教えても、伝えても理解できなくて仕事で前に進めない仲間がいました。

手を変え、品を変え、
どうにか伝わらないかと模索していましたが、

ついに、ぼくがしびれを切らしてしまい、
「分かったつもりで進めるから、分からないままなんだよ」と
ド直球な発言をしてしまい、
仲間を泣かせてしまいました。


事が収まった後、
ぼくは一人で、散歩をしに外に出て、
「何でこんな伝え方しかできないんだ、、」と悔し涙を流しました。

 



でも、その後仲間が
「本当にそうだった。次から分からないことがあったら、分かるまで質問する」と
返してくれたのが、少しばかり救われました。

ここで言いたいことは、
「丸く収まってよかったね。」
ということではありません。


なぜ、本音を言えなかったかと言うと、
相手に踏み込んでしまって、
嫌われるんじゃないかと恐怖を感じていました。

でも、その恐怖は、
踏み込んだ後にリカバリーができる自信がないことが最大の原因です。

「仲間を切り捨てる」選択をしてきた当時のぼくには、
リカバリーをするという発想がありませんでした。
今思えば、お恥ずかしい話です。

けど、実際に踏み込んで言ってしまっても、
適切な声掛けをすれば、
自分から仲間とともに
「気持ちいい日常」を創り上げることができるんだと体感しました。

その上で、「価値観が共鳴した仲間」が必要だと痛感しました。


だから、ぼくたちが「気持ちいい日常」を創り上げるために、
「価値観が共鳴した仲間」と
「本音を伝え合える関係」を築くことが

重要ということをお届けしました。
今回お伝えした
日常会話だけでなく、
ぼくが仲間と共にする日常は、
「日々、成長する時間」です。

でも、
どうやったら、
「本音をぶつけ合える関係になるのか」という疑問が残りますよね。

そこで必須になるのが、
「本音を伝える相手の未来」を考えて
本音を考える、ということです。

本来、本音とは、
利己的で、自分都合であることが「普通」だと思います。

ですが、
ぼくが仲間と共にする日常における「本音」は、
お互いが、相手の人生を最高のものにする、という確信を持った上で伝えられます。

本音を伝えられた人が、「自分の人生を最高にするための言葉」だと感じるからこそ、
結果として、
本音が伝わるわけです。

決して、「伝え方が9割」ではないし、「心理学」ではありません。
そもそもとして、
本音を伝えようとする人の心が
利己心であり、自分都合ならば、
どんなに伝え方を工夫しても、
それは相手にバレてしまいます。

だから、
本音を考える軸になるのは、
「自分も相手も最高に幸せになるための視点」です。

簡単に表現すると
「人育て」の視点、ということですね。


本音にも「伝えるタイミング」が存在します。

それは、感情的に、本音を伝えるだけでは
絶対に見抜けないタイミングです。


次回は、
気持ちいい日常を創り上げるために必要な
「価値観が共鳴した仲間」の関係を構築する
「人育ての視点」と「本音のタイミング(過剰修正効果)」について、
お届けします。

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本音を伝え合える関係とは