「仕方ない」と妥協しないために、ぼくたちは何をすればいいか | インキャ、コミュ障の『負けない戦略』研究所

インキャ、コミュ障の『負けない戦略』研究所

元は超がつくほどのコミュ障、いわゆるインキャ。
対人関係が苦手で、ゲームに走ったり

起業は単騎じゃ無理だと悟り、
「広告」スキルを買われ参謀に。
そんな逃げ症の持ち主。

そんな僕でも、「幸せ」になれる確信を持てた。
体験を交えて伝えていきます。

どうも、しんです。

他者が決めたことや、理不尽なことをそのままに、

「仕方ない」と許さず、妥協しないからこそ
 

こだわりの深さを統一することができ
自分自身が発する言葉や、行動に統一感が出ることに触れました。
いわゆる、言動が一致している状態ですね。


つまり、
自分が「最高だ!」と思える瞬間が24時間続く状態とも言えます。

 

まだ、前回の記事を見ていない方はこちらから
釣りや広告が教えてくれた、理想の叶え方


結論を言うと、
だから、24時間毎日統一されたこだわりの深さで日々生きていこうよ、ということです。




1.仕事でも遊びでも、その人の「生き方」が現れる

例えば、
釣りをこだわる人が「釣り」にこだわるのは当たり前ですが、
道具を美しく保ち、整理整頓しているからこそ、
そこから生み出される釣りは、美しく、細部までこだわっている、と言えます。

常々、釣りをしているのにも関わらず、

 ・竿、釣り糸はいつも新品同然で、
 ・使った後の海水がきれいに拭き取られている
 ・道具が決まった場所に整頓されている


そんな釣り人だったら、

道具の手入れが行き届いている
釣り場も使用後はきれいに掃除し、
釣った魚も美しく調理し、
ある意味、釣りのアーティストとして、何を創るのだろう、と想像できますよね。

では逆に、
極端な話で言うと、
道具を雑に扱い、
錆まみれの仕掛けと、

ほつれた釣り糸で

整った釣りができるかと想像できるか、と考えると、
出来たとしても、いろいろ気になってしまって釣りに集中できないわけです。

釣り糸が突然切れないか?
魚がかかったとしても、フックが破壊されないか?
などなど。

24時間全てで、気持ちのいい日常を創るなら、
その日常を過ごす自分自身の全てを
自分が「これが最高に気持ちいい」と言える状態にしていなければ
到底、叶わないと言えます。

例えば、
自宅なら、
自分が生活する部屋であったり、
水回りや、
玄関など、

人間関係なら、
言葉遣い、
文章の語尾、
使う単語、
話すスピードなど、

この全てに、
妥協したか、
こだわり尽くしたか、
自分の「生き方」が反映されます。





なぜなら、
こだわりは、こだわりを持って体現している人からしか生まれないとぼくは思います。

こだわりを持って発したものは「自分的」である
言い換えると、「こだわり」とは、発言するものではなく、
伝わってしまうものです。

ここで、過去にぼくが
「広告」は"相手に貢献できるから"こだわる必要がある、
と体現していたと同時に、

「釣り」は"遊び"だからとこだわる必要がない、と体現していて、
「24時間気持ちいい時間」とはかけ離れていた日常をお伝えします。

また、なぜ「こだわり」の基準値が異なることに気づいて悔いたのか、
今はどう体現しているのか、
その過程にも触れていきます。


2.こだわりに固執して、気持ちいい時間を手放していた

ぼく自身がこれまで、「成長や貢献」へのこだわりに固執していたことで
気持ちいいとは思えなかった時間」を作ってしまった、考え方があります。

それが、
事業の成長戦略や、特にこだわっていた広告のスキルやキワは、
広告や仕事からしか得られない
、と思っていたことです。

言い換えると、
狙い通りの広告を打つためには、
良い広告を、
限られた人が知りうるスキルや成功事例を
たくさん知って、実践するしかないと思っていた、ということです。

ぼくが広告を打つために考える時間は、
広告のスキルや知見を伸ばすことができるから
必然的に、こだわりを持ったし、時間も忘れるくらい没頭していました。

だから、
気持ちいいと感じられる時間と言えます。

他にも、
人との交流で言えば、
家族との会話や
仲間との会話で
ぼくの広告の知見が積み上がり、楽しかったんです。

元々、僕の趣味で熱中できている、
音楽ゲームが好きな人
ボードゲームが好きな人
事業者との会話
そのどれもが楽しい時間でした。

もっと言えば、
ぼくが一番広告の成功体験や失敗体験が多かったからこそ、
コミュニティでは、一番知識があって、
「最も知識がある人」と慕われ、
天狗になってしまいそうな時間でもありました。



ですが、
事業や広告に触れていない時間は、
正直、無味乾燥な日常
でした。

なぜなら、
ぼくが事業や広告に触れていない時間は、
人との関わりで言えば、

ぼくが知らない、
そもそも必要ないと判断している
会話や動作が飛び交うからです。

家族や友人とご飯を食べている時間も
広告の話題が出るはずもなく、
テレビで放送された世間話や、近況報告が9割以上だった訳で、
「広告に触れられない時間」だと感じていました。


だから、

気持ちいい時間とは思えなかった訳です。


特に芸能人やドラマや音楽など、
テレビを見ていたら一般教養ぽく見えるものが
ほとんど会話についていけない状態でした。

まさに、
気持ちいい時間とは思えなかった訳です。


ただ、ぼく自身が「日常会話も広告と同じだな」と気づいた瞬間がありました。

それが、ぼくが広告を作成して、友人の相談役をしていた時でした。

 



相談役になるということは、
相手以上に相手の可能性を信じて、
相手以上の未来を提案しないといけません。


つまり、
御用聞きではいけない、ということです。

すると、
友人にどんな言葉、単語を使えば響くのか、
どんな論法なら、納得して前に進めるのか
相手以上に考える理想の未来は何なのか
相手に目を向け始めました。

その時、
広告って、何かを発信したいという自己満足で創るものではなくて、
だれかとともに、創るものなんだな、と感じたんです。

つまり、
日常会話でも
言葉や単語選びや、
相手が響くストーリー、
相手に伝わる論法、
相手以上に考える理想の未来
が存在していて

会話1つ1つが「広告」だと感じるようになりました。

興味がないと思っていた、
ご飯を食べるなかでの世間話や近況報告、
テレビで放送されているドラマや芸能人や音楽でも

ぼくは、日々変わる「日常」という広告に触れ続けられる感覚を身に着けたことで、
これまで「興味がないし、意義もないし必要ないや」と感じていたことでも、
前向きに挑戦できるようになりました。

 


今までは遊びとして、
こだわりも持たす、価値を見出す必要がないものだと考えていた「釣り」も、
釣りの中にある「戦略」や「思考過程」も感じられるようになったし、

これまであまり関わらなかった、
「釣り」などレジャー系の人の会話にも
参加するようになったから、
新たな広告の切り口も見い出せるようにになりました。

また、他者への「貢献」に固執するがあまり、
「認めてもらいたい」という気持ちや、
「重要な存在でありたい」という気持ち、

いわゆる『承認欲求』があったことも気づけました。

貢献している自分が「カッコいい」と、
酔いしれていた部分があるんじゃないかと、
気づいた時には、「あぁー。。」と
後悔の念が押し寄せてきました。


だからこそ今は、

貢献するのも大切ですが、

 

自分が「気持ちいい時間」であることが前提で、

仲間が求めていること、詰まっている部分を察して、

「気持ちいい時間」を共に創り上げるようにしています。

 

 

私は事業仲間と共に過ごす中で、
釣りの成長戦略を決めることが多いのですが、
「釣り」もまた、
「成長戦略」を決めるのもまた、

 

「気持ちいい時間」を共に創り上げることでもあり、
「広告」的だとも感じています。


なぜなら、
「成長戦略」を提案して、
仲間がどんな反応をするのか、
それでいこう。と言ったり、
別の釣り場の方がいいよね。とか
釣りよりも優先することない?とか
相手が求めていることを感じられるわけです。

 




この構図は、先程触れた日常会話で感じたことと全く同じです。

ぼくが愉しみを見出している広告で
相手がどんな反応をするのか、
ここが、一緒なわけです。

ここに気づけたのは、
もちろん、「友人の相談役」をしていたときに感じたことがきっかけですが、


言いたいことは、
ぼくが興味がなかったこと、意義を見出だせず必要ないと
理解していなかったことを無自覚に遠ざけていたから、

こういった発見がなかったんです。

自ら、
意義を見出だせなかったことを
全力で飛び込みにいけば、

ドラマや芸能人の振る舞いなど、広告と同じ「言葉や単語遣い」があることに気づけたし
日常会話でも、相手が納得してしまう「論法」に広告と同じ部分を見出すことができたというわけです。

当時の「こだわり以外の時間」を必要ないと判断していた時間は、今思えばもったいなかったなーと、感じています。


結局、ぼくに足りなかったのは、
こだわりに固執するあまり、
ぼくが興味がなかったこと、意義を見出だせず必要ないと
理解していなかったことを無自覚に遠ざけてる、
という認識でした。

ぼくが広告や事業以外の時間に価値を見出だせていなかったことが、
広告や事業以外の時間で「仕方ない」と妥協していた時間を作り出し、
「気持ちいいとは思えない時間」を量産してしまっていました。

つまり、
ぼくがこの経験で見出したことは、
ぼく自身が何事も「意義を見いだせる」視点を持ち、
未経験の分野への挑戦や、理解できる範囲外に飛び込むことが大切です。

そして、「意義を見いだせる」視点を持つには
自分で経験する
自分が知覚する
自分の感情や思考過程を言語化することが必要です。


3.「仕方ない」という妥協を一切しないために

だからこそ、ぼくが伝えたいのは
「仕方がない」と妥協する瞬間が一秒でもない、

自分のこだわりに満ちた、「気持ちいい」と言える24時間を創るためには、
得意だけでなく、他ジャンルも、日常も、全てにこだわりを持つことであり、
こだわりの「深さ」を統一することです。


つまり、
「一切妥協しないことが普通である」
という自分に至り、
24時間気持ちいい時間と言うに値する生き方をする、ということです。



そうなると、
「全てにこだわる」の『全て』って何?と疑問が出ると思います。

ぼく自身が大切にしていることは、
一切妥協しないことが普通である、という自分に至ること。

それは、
他ジャンルのこだわりの「深さ」当然として受け止めることや
こだわりの「深さ」を統一することだけではなく、


「相手の心情など、変動する要素まで見抜くこと」だったり、
「自分と相手の人生を背負う覚悟」だったり、
ぼくやぼくの周りの人が「24時間気持ちいい」と言える日常を創り上げること。

 

そう考え方のスイッチがバチッっと切り替わった転機がありました。

その転機となった人の記事は、こちらのボタンからどうぞ。




今回の記事、少しでも役に立ったなーと感じたら、
ぼくがどんな人生を歩んできて、未来の仲間とこれからどうしたいのか、まとめています。
ぜひ見てくださいね。

ぼくのプロフィールはこちらから
しんの自己紹介


P.S

なぜ、ぼくが日常生活から学び、
成長し続けられる思考と行動を手に入れられるようになったのか。


結論を言ってしまうと、、
毎日、何事にも意義を見出して、
社会的には意味のないことにも挑戦し続けているからだと思います。


例えば、都会に住んで事業をする上で、
一切必要ではない「釣り」や、

ギャンブルや遊びの枠で見られがちだけど、

自分自身と向き合うことができる「麻雀」、

1つ1つ本気で取り組んでいます。


そんな、遊びも事業も全力でできる仲間と出会うために、
ブログという媒体は双方向でのやり取りが難しい。

 

なので、
『「願いは叶う」を当たり前にする実践場』を用意しました。

ぜひ、ぼくたちと「願いは叶う」のは当たり前なんだよ。と

人の心を軽くして笑顔にしていく仲間が集まれば!

ということで、LINE友だち追加はこちらから

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ありがとうございます。