元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」~「吉田調書事件」とは何だったのか 現代ビジネス

---------- 「鮫島が暴露本を出版するらしい」「俺のことも書いてあるのか?」――いま朝日新聞社内各所で、こんな会話が交わされているという。元政治部記者の鮫島浩氏が5月27日に上梓する『朝日新聞政治部』は、登場人物すべて実名で綴る、内部告発ノンフィクションだ。 戦後、日本の左派世論をリードし続けてきた、朝日新聞政治部。そこに身を置いた鮫島氏が明かす政治取材の裏側も興味深いが、本書がもっとも衝撃的なのは、2014年に朝日新聞を揺るがした「吉田調書事件」の内幕をすべて暴露していることだ。 今日から7回連続で、本書の内容を抜粋して紹介していく。 

夕刊紙に踊る「朝日エリート誤報記者」の見出し

 2014年秋、私は久しぶりに横浜の中華街へ妻と向かった。息苦しい都心からとにかく逃れたかった。  朝日新聞の特別報道部デスクを解任され、編集局付という如何にも何かをやらかしたような肩書を付与され、事情聴取に呼び出される時だけ東京・築地の本社へ出向き、会社が下す沙汰を待つ日々だった。蟄居謹慎(ちっきょきんしん)とはこういう暮らしを言うのだろう。駅売りの夕刊紙には「朝日エリート誤報記者」の見出しが躍っていた。私のことだった。  ランチタイムを過ぎ、ディナーにはまだ早い。ふらりと入った中華料理店はがらんとしていた。私たちは円卓に案内された。注文を終えると、二胡を抱えたチャイナドレスの女性が私たちの前に腰掛け、演奏を始めた。私は紹興酒を片手に何気なく聴き入っていたが、ふと気づくと涙が溢れている。  「なぜ泣いているの?」  二胡の音色をさえぎる妻の声で私はふと我に返った。人前で涙を流したことなんていつ以来だろう。ちょっと思い出せないな。これからの私の人生はどうなるのだろう。  朝日新聞社は危機に瀕していた。私が特別報道部デスクとして出稿した福島原発事故を巡る「吉田調書」のスクープは、安倍政権やその支持勢力から「誤報」「捏造」と攻撃されていた。政治部出身の木村伊量社長は、過去の慰安婦報道を誤報と認めたことや、その対応が遅すぎたと批判する池上彰氏のコラム掲載を社長自ら拒否した問題で、社内外から激しい批判を浴びていた。  「吉田調書」「慰安婦」「池上コラム」の三点セットで朝日新聞社は創業以来最大の危機に直面していたのである。特にインターネット上で朝日バッシングは燃え盛っていた。  木村社長は驚くべき対応に出た。2014年9月11日に緊急記者会見し、自らが矢面に立つ「慰安婦」「池上コラム」ではなく、自らは直接関与していない「吉田調書」を理由にいきなり辞任を表明したのである。さらにその場で「吉田調書」のスクープを誤報と断定して取り消し、関係者を処罰すると宣告したのだ。  寝耳に水だった。  その後の社内の事情聴取は苛烈を極めた。会社上層部はデスクの私と記者2人の取材チームに全責任を転嫁しようとしていた。5月に「吉田調書」のスクープを報じた後、木村社長は「社長賞だ、今年の新聞協会賞だ」と絶賛し、7月には新聞協会賞に申請した。ところが9月に入って自らが「慰安婦」「池上コラム」で窮地に追い込まれると、手のひらを返したように態度を一変させたのである。

私がどんな「罪」に問われていたか

巨大組織が社員個人に全責任を押し付けようと上から襲いかかってくる恐怖は、体験した者でないとわからないかもしれない。それまで笑みを浮かべて私に近づいていた数多くの社員は蜘蛛の子を散らすように遠ざかっていった。  私は27歳で政治部に着任し、菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝ら与野党政治家の番記者を務めた。39歳で政治部デスクになった時は「異例の抜擢」と社内で見られた。その後、調査報道に専従する特別報道部のデスクに転じ、2013年には現場記者たちの努力で福島原発事故後の除染作業の不正を暴いた。この「手抜き除染」キャンペーンの取材班代表として新聞協会賞を受賞した。  朝日新聞の実権を握ってきたのは政治部だ。特別報道部は政治部出身の経営陣が主導して立ち上げた金看板だった。私は政治部の威光を後ろ盾に特別報道部デスクとして編集局内で遠慮なく意見を言える立場となり、紙面だけではなく人事にまで影響力を持っていた。それが一瞬にして奈落の底へ転落したのである。  ああ、会社員とはこういうものか――。そんな思いにふけっているところへ、妻の声が再び切り込んできた。二胡の妖艶な演奏は続いている。  「なぜ泣いているの?」 「なんでだろう……。たぶん厳しい処分が降りるだろう。懲戒解雇になると言ってくる人もいる。すべてを失うなあ……。いろんな人に世話になったなあと思うと、つい……」  妻はしばらく黙っていたが、「それ、ウソ」と言った。続く言葉は強烈だった。  「あなたはこれから自分が何の罪に問われるか、わかってる? 私は吉田調書報道が正しいのか間違っているのか、そんなことはわからない。でも、それはおそらく本質的なことじゃないのよ。あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」  紹興酒の酔いは一気に覚めた。妻はたたみかけてくる。  「あなたは過去の自分の栄光に浸っているだけでしょ。中国の皇帝は王国が崩壊した後、どうなるか、わかる? 紹興酒を手に、妖艶な演奏に身を浸して、我が身をあわれんで涙を流すのよ。そこへ宦官がやってきて『あなたのおこなってきたことは決して間違っておりません。後世必ずや評価されることでしょう』と言いつつ、料理に毒を盛るのよ!」  中国の皇帝とは、仰々しいたとえである。だが、妻の目に私はそのくらい尊大に映っていたのだろう。そして会社の同僚たちも社内を大手を振って歩く私を快く思っていなかったに違いない。私はそれにまったく気づかなかった。  「裸の王様」がついに転落し、我が身をあわれんで涙を流す姿ほど惨めなものはない。そのような者に誰が同情を寄せるだろうか。  私は、自分がこれから問われる「傲慢罪」やその後に盛られる「毒」を想像して背筋が凍る思いがした。泣いているどころではなかった。独裁国家でこのような立場に追い込まれれば、理屈抜きに生命そのものを絶たれるに違いない。今日の日本社会で私の生命が奪われることはなかろう。奈落の底にどんな人生が待ち受けているかわからないが、生きているだけで幸運かもしれない。  そんな思いがよぎった後、改めて「傲慢罪」という言葉を噛み締めた。「吉田調書」報道に向けられた数々の批判のなかで私の胸にストンと落ちるものはなかった。しかし「傲慢罪」という判決は実にしっくりくる。そうか、私は「傲慢」だったのだ!   政治記者として多くの政治家に食い込んできた。ペコペコすり寄ったつもりはない。権力者の内実を熟知することが権力監視に不可欠だと信じ、朝日新聞政治部がその先頭に立つことを目指してきた。調査報道記者として権力の不正を暴くことにも力を尽くした。朝日新聞に強力な調査報道チームをつくることを夢見て、特別報道部の活躍でそれが現実となりつつあった。それらを成し遂げるには、会社内における「権力」が必要だった――。  しかし、である。自分の発言力や影響力が大きくなるにつれ、知らず知らずのうちに私たちの原点である「一人一人の読者と向き合うこと」から遠ざかり、朝日新聞という組織を守ること、さらには自分自身の社内での栄達を優先するようになっていたのではないか。  私はいまからその罪を問われようとしている。そう思うと奈落の底に落ちた自分の境遇をはじめて受け入れることができた。  そして「傲慢罪」に問われるのは、私だけではないと思った。新聞界のリーダーを気取ってきた朝日新聞もまた「傲慢罪」に問われているのだ。

日本社会がオールドメディアに下した判決

 誰もが自由に発信できるデジタル時代が到来して情報発信を独占するマスコミの優位が崩れ、既存メディアへの不満が一気に噴き出した。2014年秋に朝日新聞を襲ったインターネット上の強烈なバッシングは、日本社会がオールドメディアに下した「傲慢罪」の判決だったといえる。木村社長はそれに追われる形で社長から引きずり下ろされたのだ。  「吉田調書」報道の取り消し後、朝日新聞社内には一転して、安倍政権の追及に萎縮する空気が充満する。他のメディアにも飛び火し、報道界全体が国家権力からの反撃に怯え、権力批判を手控える風潮がはびこった。安倍政権は数々の権力私物化疑惑をものともせず、憲政史上最長の7年8ヵ月続く。  マスコミの権力監視機能の劣化は隠しようがなかった。民主党政権下の2010年に11位だった日本の世界報道自由度ランキングは急落し、2022年には71位まで転げ落ちた。新聞が国家権力に同調する姿はコロナ禍でより顕著になった。  木村社長が「吉田調書」報道を取り消した2014年9月11日は「新聞が死んだ日」である。日本の新聞界が権力に屈服した日としてメディア史に刻まれるに違いない。  私は2014年末、朝日新聞から停職2週間の処分を受け、記者職を解かれた。6年半の歳月を経て2021年2月に退職届を提出し、たった一人でウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊した。  私と朝日新聞に突きつけられた「傲慢罪」を反省し、読者一人一人と向き合うことを大切にしようと決意した小さなメディアである。自らの新聞記者人生を見つめ直し、どこで道を踏み外したのかをじっくり考えた。本書はいわば「失敗談」の集大成である。  世の中には新聞批判が溢れている。その多くに私は同意する。新聞がデジタル化に対応できず時代に取り残されたのも事実だ。一方で、取材現場の肌感覚とかけ離れた新聞批判もある。新聞の歩みのすべてを否定する必要はない。そこから価値のあるものを抽出して新しいジャーナリズムを構築する材料とするのは、凋落する新聞界に身を置いた者の責務ではないかと思い、筆を執った。  この記事は大手新聞社の中枢に身を置き、その内情を知り尽くした立場からの「内部告発」でもある。 ---------- 次回は「新人時代のサツ回りが新聞記者をダメにする」​を公開! 明日更新です。 ---------- ---------- 登場人物すべて実名の内部告発ノンフィクション『朝日新聞政治部』は5月27日発売。現代ビジネスでは紹介しきれない衝撃の事実も赤裸々に綴られています。第一章 新聞記者とは?  1994―1998 第二章 政治部で見た権力の裏側 1999―2004 第三章 調査報道への挑戦 2005―2007 第四章 政権交代と東日本大震災 2008―2011 第五章 躍進する特別報道部 2012―2013 第六章 「吉田調書」で間違えたこと 2014 第七章 終わりのはじまり 2015― 終章 ---------- 鮫島 浩(ジャーナリスト)

吉田調書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

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本人の上申書に基づいて非公開とされていた[注 1][3]。

国会事故調が内部で調査のために用いる限りにおいて承諾するものであり、本件資料が、国会事故調から第三者に向けて公表されることは望みません。(平成24年5月29日付け上申書より引用)

朝日新聞はこの誤報問題に関して14年12月5日付で6人に処分を下し、記事を執筆した記者2名は減給処分となっている[33]

一方で、処分と同時に発表された西村陽一取締役の談話では、「社内調査の結果、取り消した記事は、意図的な捏造でなく、未公開だった吉田調書を記者が入手し、記事を出稿するまでの過程で思い込みや想像力の欠如があり、結果的に誤った記事を掲載してしまった過失があったと判断しました」とされており、社内調査でも必ずしも「虚報」とは結論付けられていなかったことが伺える。

新聞労連による吉田調書スクープの肯定的評価[編集]

また、翌年1月末には日本新聞労働組合連合が「非公開とされていた調書を公に出すきっかけになったという点で、昨年1番のスクープと言っても過言ではない。特定秘密保護法が施行され、情報にアクセスしにくくなる時代に、隠蔽された情報を入手して報じた功績は素直に評価すべきだ」としてジャーナリズム大賞の特別賞を宮崎・木村による吉田調書報道に贈り、両名も授賞式に出席した。選考委員の鎌田慧・柴田鉄治(元朝日新聞社会部長)・北村肇青木理は、いずれも「朝日新聞が報じた『吉田調書』は虚報ではなく、取り消しは不適切」という趣旨の発言をしている[33]

 

吉田調書とは…何だったのか!

「吉田調書」報道の取り消し後、朝日新聞社内には一転して、安倍政権の追及に萎縮する空気が充満する。他のメディアにも飛び火し、報道界全体が国家権力からの反撃に怯え、権力批判を手控える風潮がはびこった。安倍政権は数々の権力私物化疑惑をものともせず、憲政史上最長の7年8ヵ月続く。  マスコミの権力監視機能の劣化は隠しようがなかった。民主党政権下の2010年に11位だった日本の世界報道自由度ランキングは急落し、2022年には71位まで転げ落ちた。新聞が国家権力に同調する姿はコロナ禍でより顕著になった。元エース記者が暴露