タコノキはうまく踊れない -37ページ目

直ったミ^。^彡っ

遅くて遅くて、もう、どうしましょう状態だった、あめぶろ。


直ったよ!!すごいよ!!


で、スタッフブログ みたら、

>7月5日午前2時17分

>作業を完了いたしました。

>午前2時15分よりサービスを再開しました。


こんな時間まで作業なさってたのねぃ・゚・(ノД`)・゚・。  


今回は素直に賞賛しときます。


まだ、バグはあるみたいだけど。このパフォーマンス改善で、信じて待つ気になったユーザーは多いと思われる^^

重い!!

7/2-4まで、バージョンアップのため、アメブロサーバーが止まっていたわけですが。

再開してみたら、

重い!!


アップしてないよ、ダウンだよ。ただで使ってるんだから文句いうな>自分

速度への不平は、すでにたーんまり出ている模様なので、いまさら、アメブロサイドに出すつもりはありませんが。
見に来てくださったお客様には、お詫びを申し上げます。こんな駄文読むために待たされてちゃ、ワリがあいませんなぁ。

面目なしm(_'_)m


いま、アメブロサイドが対応中(のはず)ですので、これに懲りずにまた遊びに来てくださいまし。

a part [リライトバージョン]

私が最初に出会ったEB、《北斗》が、7月2日午前2時少し前に、WEB上から消去されました。閉鎖、ですね。6月初旬に閉鎖予告があり、最後の夜は賑やかな大戦をして、閉鎖を迎えました。

2年4ケ月にわたり、EBを公開し、管理なさってきた、管理者サマお二人に、ステキな遊び場を提供してくださったことを感謝いたします。不正があり、アラシがあり、プレイヤー同士のイサカイがあり(主犯の一人σ(゚-゚;))、いろいろなことがありました。おつかれさまでした&お世話になりました。

一緒に遊んでくださった、プレイヤーの皆様にも、御礼を申し上げます。m(_'_)m

 ■■■

私をゲームの世界に引き込んだのは、ゲーム好きが嵩じて、ある有名企業を辞め、ゲームメーカー(企業)に勤めているネット友達だった。彼女とは、ある小説系のサイトで知り合った。CG描きであるはずの彼女が、初めて書いたという小説は、読者の目線にたった「読みやすい」文体、エンターテイメント性のしっかりした筋立て、小説を十ウン年書いているはずの私が、「これはすごい…」と目をぱちくりするようなシロモノだった。

……少し、話がそれた。

ゲームメーカー(作り手)である彼女に、最初の手ほどきを受けたせいかもしれない。ごくごく初心者のうちから、私は、ゲームのプレイヤーとしてだけでなく、システム設計やゲームバランスといった「作り手側の視線」でも、ゲームを見るようになっていた。…ナマイキな話である。

彼女が紹介してくれたゲームの、ファンサイトで知り合ったのが、私がこのブログで「師匠」と呼んできた男性。
「師匠」が紹介してくれたのが、北斗EBである。

Endless Battle Sateliteは、改造自由ということで配布されたCGIスクリプトを、各EBの管理者が改造して、自分のサイトに設置する。元のスクリプトには重大なバグがあり※、そのままで遊ぶには難点があるらしい。

 □

スクリプトに対して「作品」という言い方が、一般的かどうか、私はよく知らない。けれど、私にとって、EBは、Amaama氏(NET GAME Communications)の作品であり、改造なさった管理者の作品でもある。プレイヤーは、作品が「面白いか」「つまらないか」、「バランスが取れているか」を鑑賞する鑑賞者であると同時に、作品の一部でもある。

人間が人間でないものの一部である、というと、すぐには抵抗がある方もいらっしゃるかもしれないので、言葉を足しておく。

どんな美しい街も、住む人なしでは、街ではない。どんな整った学校も、生徒なしでは、学校ではない。どんなに優れたネットワークゲームも、遊ぶ人なしでは、ゲームではない。そういう意味で、住人は街の一部であり、生徒は学校の一部であり、プレイヤーは…と言って悪ければ、プレイヤーキャラクターはゲームの一部なのだ。

誤解を恐れずにいえば、陳腐なプログラムであっても、そのゲームを楽しくしようという優れたプレイヤーが複数いて全体を牽引すれば、楽しいゲームの場になってしまうことが、ありうるような気がする。もちろん、現実はそんなに甘くない。優れたプレイヤーはだいたいにおいて優れた鑑賞者でもあり、そのゲームプログラムがつまらないと判断すれば、他のプログラムを探しだす。

 □

私は、けっこう長い間、アマチュア小説を書いてきて。小説を書くほかのメンバーとも交流があった。そのなかで知ったのは、「作品には、作者の性格が出る」ということだ。絵にも、やはり性格はでると思う。冒頭に書いた彼女の小説が面白かったのは、ゲームバランス=受け手の身になって考える、というコトを叩き込まれた人間が書いた作品だった面もあるのだろう。

そして、スクリプトにもやっぱり、作者の性格は出るように思うのだ。私は、自分(あるいは自キャラ)をEBの一部としながら、EBに現れる作者の個性のようなものも感じてきた。

独断と偏見が入ることを承知のうえで、あえて書いてしまえば…。

《北斗》は、優しかった。1代目のMAXまで行けば総帥をはって活躍でき、転生を重ねればそれなりに強くなって、楽しめる期間が長い。戦記なぞ書いていたために大量のログがあるので、古い戦闘記録を見直したりもできたのだが…、私が開始してからも、1度得たゲームバランスを壊さないよう微妙な範囲で、メンバー構成の変化(長く存続すれば強いキャラが増えていくので)にあわせた調整が行われていたと思う。

《竜》(《竜EB2》)は、サービス精神が旺盛。多機能で複雑なゲームシステムが、ときに劇的な変化を遂げる。…劇的すぎて、プレイヤーが戸惑うこともあったりするのだけれど。応えられるがゆえに、プレイヤーからの要望も多く、要望は、不平不満の形をとりがちで。……一度、全電に、あるプレイヤーから流れた「竜EBは、甘やかされてる」という声に、ひそかに同意したり(m(_'_)mGOMEN)。

《GR》は、3つのなかで一番クールだ。「楽しみたければ、強くなれ! 以上」…そんな感じ。そのかわり、MP回復が速く、「回復待ち」の必要が少ない。やろうと思ったら、えんえんと長時間プレイして、自キャラを鍛えることができる。一番クールなEBに、「管理者に負担をかけるな」と声をかけあうプレイヤーが付いている、というのは、考えてみると面白い。

 □

話題はまた少しそれるのだが。

自社の情報システム部の人間に、こういわれたことがある。
「不具合があるときは、みんなが言ってくる。けれど、改良して良くなったときには、良くなったと伝えてくる人はほとんどいない」

 □
 
たしかに「不具合報告」は書きやすい。しかし、何かを誉めるとか、感謝を表すということは、意外に難しいのだ。そもそも照れくさいし、「媚びてるように見えないかなー」とか余計なことを考えるのが、オトナというもの。

だが。

小説は、絵は、作り手にその質の良し悪しをフィードバックしない。質をうんぬんするのは、鑑賞者であって、鑑賞者は小説の一部でも絵の一部でもない。

けれど、EBという作品は、…大規模な商業ゲームと異なり、管理者とプレイヤーの距離が近いという意味でも…、作品の一部ともいえるプレイヤーが、そのEBの設計者(改造者)に、伝えることが可能だ。
「せっかく伝えられるものはさぁ…。伝えようよ、やっぱり」
これを読んでくださった方に、申し上げてみたいんである。───どうか…。その作品が消えうせてしまう前に。

私がサポートサイトやブログを始めたのは、そういう意味もあった。別の意味も、あったのだけれど。それはまた、稿を改めて。

 □

さらに、もう少し話題がそれることをお許し願いたい。

ネット上には、数多くのEBがある。そのなかで、あるEBを選んでプレイする以上、その作品(EB)のファンでありたい。…他プレイヤーに対しても、「ファンであってほしい」と思うのは、私一人だろうか?

これは、何度も全電やBBSを荒れさせてきた自戒をこめて書くのだけれども。

小説や絵であれば、一人でも多くの相手に読んでほしい/見てほしいと思うのが、普通だ。せっかく手間隙をかけて書き上げた/描き上げたのだから。

EBだってそうなのではないだろうか? せっかく手間隙をかけて改造し作りあげてきたのだから、サーバーの容量が許す範囲で、多くのメンバーがプレイしたほうが、管理者サマたちだって、心楽しいのではないだろうか?

全電やBBSの議論も、時には、必要だと思う。しかし、それが過剰になれば、「このEB、なンか、荒れてる」と、プレイをやめるメンバーが出てくるかもしれない。そうやって、「作品の一部であるプレイヤー」が抜けていくとき、ファンとして、「遊ばせてもらっている」立場として、責任がとれるか? 論戦をしかけるときは、そこまで考えてみたい。

荒れる/荒れないの基準のほかに。
人間の、あまり美しくない本音として、「他人のケンカは面白い」
どうしてもやるというなら、見物人を面白がらせるくらいレベルの高い、洒脱なケンカをしたいもんである。

……繰り返すが。これは、あくまで、自戒をこめて書いている。

[羅星庵/ふみのはこ「a part」(2004/11)より、リライト]

※《北斗EB》逆引きリファレンスより