こんにちは!
ニューヨークから千寿です。
(プロフィールは、こちらから)
9月28日水曜日の朝を迎えたマンハッタン。
晴れ。12度。
だんだんと、肌寒くなり
街に秋色が増えていく季節となりました。
どの季節のニューヨークが一番好き?
そう聞かれると、
秋♡
街の空気感が
ぐっと大人な感じになり
セントラル・パークや
新婚時代に住んでいた
ブルックリンの
プロスペクトパーク
アップステートニューヨークなどなど
紅葉がとっても美しい季節へ
変化していく様がたまらない。
友人の子供たちと
街ブラ
『岩崎弥太郎』
今朝、夢でこの方が
登場してくださった。
フリーマーケットで
ある1枚の写真をいただいて以来、
幕末あたりのことを考える機会が
増えたからかなあ。
昔から、夢で
大事なことを見る癖があり、
枕元には、忘れないように
ノートを置いています。
寝ぼけながら書くから
あとでみたら何書いてるのか
さっぱりわからないことがたくさんだけど。笑
私の生まれ育った高松から
車で行ける距離の高知県。
子供の頃から
太平洋の見える
高知のエネルギーがすごく好きで
よく高知へ遊びに行っていました。
一度、道に迷い
そのまま進んでいると一つの看板が
出てきました。
せっかくだから
進んで見よう。
そうやってたどり着いたのが
岩崎弥太郎さんの生家。
1835年生まれ。50歳という
短い生涯を生きられた方。
三菱財閥の創業者の岩崎弥太郎さんは
学生時代に習ったけれど
正直、当時は
ほとんど興味がありませんでした。
凛々しい❣️画像はお借りしました。
生家にたどり着くと、
ガイドさんが説明をしてくれました
岩崎弥太郎さんは武士の
身分がかなり低い家に生まれたということ。
貧困と差別の中で育ったということ。
幼い頃から勉学のチャンスがあったこと。
いいひとに巡り合わせがご縁が
繋がって行ったこと。
江戸での入塾のために
貧しかった両親が
先祖伝来の山林を売ってまで
入塾費用を工面したこと。
ある事件があり父親が投獄され
塾をやめて帰国。その後、自身も
投獄されたこと。
その獄中で、同房の商人から
商いや算術を学んで
そのことがのちの商業に進むきっかけになったこと。
弥太郎さんの生家の裏庭には
小さい頃に彼が日本を模したという
石が置かれています。
子供の頃から日本を世界を心に見ていた。
それを自らつくり
よく眺めていたのだそうです。
画像はお借りしました。
実際に行って見ると
まわりはのどかな山と田んぼだけの場所。
もしもじっとしていたら
誰とも知り合わずに
一生を終えるような場所です。
今なら、ネットがあるので
家から出ずにでも
PC一つで世界中とすぐ繋がれますが
時代は1800年代。。。
それでも
50年という短い生涯で
望んだら、
人はどんなことだって可能にしていく
ちからを持っているのですね。
失敗や成功にとらわれずに
今、目の前の
できることをひとつ一つ。
世界とつながるには
またとない時代に生まれてきたわたしたち❤️
今日もブログを読んでくださっているあなたが
元気でありますように
ニューヨークから、愛とエールを送ります
“Blue Earth”
わたしたちのあおい地球
https://www.etsy.com/shop/ChizuOmoriArtPrints
大森千寿・原画
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