つい最近、仕事先の社員さんが歴史、とくに史跡分野に詳しい方だと知った。それも趣味で好きというレベルではなく、依頼があれば聴衆を集めて公民館で講演会を開いたり、歴史雑誌にも寄稿したりするセミプロだそうだ。
歴史や考古学の分野では、それ一本で食べていくには大学教授にでもなる他なく、大概は本業を別に持つ傍ら、休日を利用して好きな調査をするなどという話を聞いたことがあるけれど、まさかこんな身近に小さなシュリーマンがいようとは思いもよらなかった。
私の歴史知識といえば、大河ドラマと信長の野望で全部、みたいなところがあるので、見識を深めるためにも車で一、二時間くらいで行けるような近場のオススメ史跡はないか訊いてみたら、「杉山城趾」「菅谷館跡」「小倉城趾」は近接していて、しかも遺構がよく残っていて面白いとのことであった。
で、さっそく行ってみた。(今さら記事にしてますが、実際に行ったのは二週間くらい前なので、桜が咲いてたりします)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240505/09/adai-blog/2f/ab/j/o1080081015434578309.jpg?caw=800)
パンフレットは旅のお供にと、仕事先の社員さんから頂いたものです。入口に城跡全体の案内板はありますが、やはり手元に置いて見ながら歩けるのはありがたかった。
権力者の権威の象徴として建てられるようになった天守閣は戦国末期、いわゆる安土桃山時代から江戸時代初期に建てられますが、家康が移封前の後北条氏時代にはそういった築城はされなかったので、関東には何層もある天守閣をもった城はほぼ存在しません。(たぶん江戸時代前後に作ったか、観光目当てで後世に作られたような城くらいでしょう)
戦が始まれば、半農の兵が鎧を着こんで、えっちらおっちら山を駆け上がり、立て籠る。いわば砦に毛が生えたような姿が、当時を偲ばせます。
次に向かったのが、菅谷館跡。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240505/11/adai-blog/96/43/j/o0810108015434624279.jpg?caw=800)
こちらは杉山城と違い、都幾川から水を引いて、城の周囲に濠を巡らせていたそうです。
搦手門の方へ歩いて行くと、ドラミングが聞こえてきたので、よく眼を凝らすと、コゲラが木をつついていました。
この後、敷地内の歴史博物館を見学していたら、夕方になってしまい、残念ながら小倉城跡は見に行けませんでした。
小倉城は戦国期の関東の城では珍しい石垣のある城らしいのですが、それはまた別の機会にしようと思います。
戦国時代の花形といえば信長、秀吉、家康。それと信玄、謙信に政宗といったメジャーどころが中心で、他はあまり目を向けられませんが、今回城巡りをしていて、関東管領山内上杉と扇谷上杉家、古河公方の三者の争いに興味を持ちました。(今回見てきた城は、その争いの重要な地となった場所です)
お互いが権威と力を誇示しながら繰り広げてゆく三つ巴の争いは、やがて力を消耗してゆき、新興の伊勢宗瑞(北条早雲)がどさくさ紛れに力を増して関東の覇権を握ってゆくさまは、まさに戦国の下克上を体現しているように思うのですよ。
ちょっとこの辺の時代の関東争覇の歴史も調べてみたくなりました。