このブログからして、「本当に電車が好きなんですね」と言われます。
否定はしないけど、なんだかやはり、
いい年して電車ごっことはちょっと恥ずかしいこともあります。
というか、乗り物が好きなのです。
今日は亡き祖父の誕生日にかこつけて、ちょっと言い訳を。
祖父母の住んでいる母の実家は静岡県沼津市。
当時のブログ主の実家は国鉄の御殿場線に乗って12~13分程度にある駅でした。
(実家から駅は歩いて30分ぐらい掛かるので、
祖父母の家まで小学生の足ではトータルで1時間ぐらいかかりました)

御殿場線と同型車両の115系(画像のように、現在も群馬県高崎周辺で動いています)
母に連れられて、ほぼ毎週土曜日、
午前中で幼稚園や学校が終わったら御殿場線に乗って沼津の母の実家に行くのが楽しみでした。
「クモハ」と「モハ」と「クハ」がつながった電車。
「お母さん、今日は『モハ』で」などと、小生意気なことを言っていました。
小学校も2年生ぐらいになると、週によっては一人か、弟を連れて二人で電車に乗っていました。
ある日、御殿場線の車両の中に、見た目はほとんど同じなのに、
ドアが閉まるときに「プシュー」と音のする車両と、
静かに閉まる車両があるのに気づきました。
図鑑で調べると、これが、暖地・平坦線仕様の113系と、寒冷地・勾配線仕様115系の違いとわかり、
大人に対して得意になってしゃべりましたが、誰にもわかってもらえなかった。。。
唯一、祖父がお酒を飲みながらゆっくりと話を聞いてくれたのが印象的です。
このあたりから、どうやら電車が好きになってしまったようなのです。
祖父母の家に遊びに行くと、祖父がよく沼津の「機関庫」に連れて行ってくれました。
現在は用地整理によって駅北口ロータリーや「キラメッセぬまづ」になってしまった広大な用地に、
線路が並んでいて、国鉄の車庫があったのです。
祖父母の家の裏に住んでいるおじさんが、国鉄に勤めていたので、
祖父も国鉄職員を知っていたようで、顔パスで車庫に入れました。おおらかな時代でした。
物心ついたころには、既に機関車と触れ合っていました。
1年に一回ぐらい、地元とのふれあいのために機関区開放の時があって、
図鑑でしかみたことのない機関車や電車が、遠くは山形や福岡からやってきたこともありました。

2011年に引退した飯田線の119系も、
1984年の落成当時、沼津で展示されました。
当時の国鉄は画一的な塗装でしたが、
分割民営化を控えて、カラフルな車両が出始めました。
見たことのない形や色の電車に興味深々。
祖父が3ヶ月に一回ぐらい、東京日帰りに連れて行ってくれました。
新幹線はトンネルが多いからいやだ、と、いつも孫につき合わされていた祖父。

そこで、ある日、寝台特急に乗って行ってみようと、車掌さんに掛け合いました。
沼津→東京間はもう朝だから、寝台を使うわけではないので、特急料金だけで大丈夫だろうと。
結局、寝台券がなくては乗れないと諭され、
断念して、いつもの急行「東海」号で行きました。

たまに、熱海から当時最新鋭の特急「踊り子」号で。
斜めストライプが新しかった。

神田の交通博物館にもよく行きました。
必ず乗ったのが、オレンジ色の中央線です。
祖父が私をひざに乗せてお酒を飲みながら、
よく故郷の新潟県新発田(しばた)市の話をしてくれました。
上野駅から急行「佐渡」号や特急「とき」号に乗って、新潟駅まで。
途中にはループ線のトンネルもあるんだぞ、
国境の長いトンネルを抜けると、雪の積もった新潟県だぞ、
新潟に着く直前には、ふるつ駅(古津)と、にいつ駅(新津)を通るんだぞ、
と、得意になって説明してくれます。
新潟駅からは、祖父曰く「マッチ箱のような汽車」の白新線に乗って新発田まで行くと。
この話を聞くと、越後湯沢あたりの雪国が目に浮かんできます。

特急「とき」も、そんな話をしてくれている時には既に、上越新幹線「とき」になっていました。
現在、マッチの箱を見るたびに、白新線の話とダブり、雪国新潟を想います。
中学生ぐらいになると、思春期ということもあり、祖父母とは少々縁遠くなりました。
最後に祖父と出かけたのは、1991年にできたばかりの特急「あさぎり」号で。
沼津から新宿まで一緒に行って、都庁の展望台に登って、また帰ってくるというものでした。


タイムカプセルのような前面と大胆な2階建て車両。
そのすぐ後、癌で入院した祖父は、71歳で他界しました。
祖父は地元の小さな工場でこつこつ働いていて、頑固者だったと聞きます。
しかし、週末に孫が来ると、目を細めて迎えてくれたのがうれしかったです。
このようにして、列車に触れるうちに、
そしてお酒を飲む祖父のひざの上で、おこぼれの刺身やおつまみをもらっているうちに、
汽車好き、さらに成人した現在は酒好きになってしまいました。。。
あまり言い訳にはなりませんでしたが、
いつまでたっても根は、おじいちゃん子おばあちゃん子の男の子です。
否定はしないけど、なんだかやはり、
いい年して電車ごっことはちょっと恥ずかしいこともあります。
というか、乗り物が好きなのです。
今日は亡き祖父の誕生日にかこつけて、ちょっと言い訳を。
祖父母の住んでいる母の実家は静岡県沼津市。
当時のブログ主の実家は国鉄の御殿場線に乗って12~13分程度にある駅でした。
(実家から駅は歩いて30分ぐらい掛かるので、
祖父母の家まで小学生の足ではトータルで1時間ぐらいかかりました)

御殿場線と同型車両の115系(画像のように、現在も群馬県高崎周辺で動いています)
母に連れられて、ほぼ毎週土曜日、
午前中で幼稚園や学校が終わったら御殿場線に乗って沼津の母の実家に行くのが楽しみでした。
「クモハ」と「モハ」と「クハ」がつながった電車。
「お母さん、今日は『モハ』で」などと、小生意気なことを言っていました。
小学校も2年生ぐらいになると、週によっては一人か、弟を連れて二人で電車に乗っていました。
ある日、御殿場線の車両の中に、見た目はほとんど同じなのに、
ドアが閉まるときに「プシュー」と音のする車両と、
静かに閉まる車両があるのに気づきました。
図鑑で調べると、これが、暖地・平坦線仕様の113系と、寒冷地・勾配線仕様115系の違いとわかり、
大人に対して得意になってしゃべりましたが、誰にもわかってもらえなかった。。。
唯一、祖父がお酒を飲みながらゆっくりと話を聞いてくれたのが印象的です。
このあたりから、どうやら電車が好きになってしまったようなのです。
祖父母の家に遊びに行くと、祖父がよく沼津の「機関庫」に連れて行ってくれました。
現在は用地整理によって駅北口ロータリーや「キラメッセぬまづ」になってしまった広大な用地に、
線路が並んでいて、国鉄の車庫があったのです。
祖父母の家の裏に住んでいるおじさんが、国鉄に勤めていたので、
祖父も国鉄職員を知っていたようで、顔パスで車庫に入れました。おおらかな時代でした。
物心ついたころには、既に機関車と触れ合っていました。
1年に一回ぐらい、地元とのふれあいのために機関区開放の時があって、
図鑑でしかみたことのない機関車や電車が、遠くは山形や福岡からやってきたこともありました。

2011年に引退した飯田線の119系も、
1984年の落成当時、沼津で展示されました。
当時の国鉄は画一的な塗装でしたが、
分割民営化を控えて、カラフルな車両が出始めました。
見たことのない形や色の電車に興味深々。
祖父が3ヶ月に一回ぐらい、東京日帰りに連れて行ってくれました。
新幹線はトンネルが多いからいやだ、と、いつも孫につき合わされていた祖父。

そこで、ある日、寝台特急に乗って行ってみようと、車掌さんに掛け合いました。
沼津→東京間はもう朝だから、寝台を使うわけではないので、特急料金だけで大丈夫だろうと。
結局、寝台券がなくては乗れないと諭され、
断念して、いつもの急行「東海」号で行きました。

たまに、熱海から当時最新鋭の特急「踊り子」号で。
斜めストライプが新しかった。

神田の交通博物館にもよく行きました。
必ず乗ったのが、オレンジ色の中央線です。
祖父が私をひざに乗せてお酒を飲みながら、
よく故郷の新潟県新発田(しばた)市の話をしてくれました。
上野駅から急行「佐渡」号や特急「とき」号に乗って、新潟駅まで。
途中にはループ線のトンネルもあるんだぞ、
国境の長いトンネルを抜けると、雪の積もった新潟県だぞ、
新潟に着く直前には、ふるつ駅(古津)と、にいつ駅(新津)を通るんだぞ、
と、得意になって説明してくれます。
新潟駅からは、祖父曰く「マッチ箱のような汽車」の白新線に乗って新発田まで行くと。
この話を聞くと、越後湯沢あたりの雪国が目に浮かんできます。

特急「とき」も、そんな話をしてくれている時には既に、上越新幹線「とき」になっていました。
現在、マッチの箱を見るたびに、白新線の話とダブり、雪国新潟を想います。
中学生ぐらいになると、思春期ということもあり、祖父母とは少々縁遠くなりました。
最後に祖父と出かけたのは、1991年にできたばかりの特急「あさぎり」号で。
沼津から新宿まで一緒に行って、都庁の展望台に登って、また帰ってくるというものでした。


タイムカプセルのような前面と大胆な2階建て車両。
そのすぐ後、癌で入院した祖父は、71歳で他界しました。
祖父は地元の小さな工場でこつこつ働いていて、頑固者だったと聞きます。
しかし、週末に孫が来ると、目を細めて迎えてくれたのがうれしかったです。
このようにして、列車に触れるうちに、
そしてお酒を飲む祖父のひざの上で、おこぼれの刺身やおつまみをもらっているうちに、
汽車好き、さらに成人した現在は酒好きになってしまいました。。。
あまり言い訳にはなりませんでしたが、
いつまでたっても根は、おじいちゃん子おばあちゃん子の男の子です。

































































