昨今、学校の先生の良からぬ言動が時折、メディアで報道されています。

私が義務教育を受けていた今から50年近く昔も、そのようなことは日常茶飯事に起きていました。当時、学校の先生は地域社会の中では地位が高く、ある程度何かしても許される風潮がありましたね。

 

体罰も教育の一環でごく当たり前のこととして認識されていましたし、生徒にとってはとても文章に書けないような理不尽なこともありました。先生が朝からべろべろに酔っぱらっていたり、怒って生徒に唾を吐きかけたり等々。

 

(普通に書いてるやん)

 

でも、そのような昔と違って今の学校の先生はストレスが多くて色々と大変だと思います。今どきの学生は昔みたいに先生に絶対服従ではないでしょうし、学習の達成目標もありますからね。昔は皆無だったモンスターペアレントもいますし。やはり教員の方の不妊症にも仕事場での精神的肉体的ストレスの関与は少なからずあると思います。われわれも、われわれのできる患者様のストレス解消法は何かを今後も追求していきたいと思っています。

 

さて、 

 

よく、「小学校の恩師、中学や高校の恩師」という言葉を耳にしますが、私は常々、「そういう先生に出会えた人は幸せだな、うらやましいな」と感じながら聞いていました。

 

「小中高での恩師みたいな先生は?」と聞かれても残念ながら私には思い浮かばないからです。  

 

ところが、ついこの間、昔の大事にしていたものを整理していたら、小・中学校の時に通っていた英語塾の月謝袋(下図)が出てきました。

 

タルイ塾とみんな呼んでまして、タルイ先生(そういえば漢字を知りませんでした)というおじいちゃん先生が教えていました。

 

50年近く前の山間の超田舎でそんなハイカラなものがあったのか、中山は英才教育受けてるやん、と思われる方もおられるかもしれませんが、このタルイ塾は、私が生涯で月謝を払って通った唯一の学習塾です。そして、タルイ先生は尋常小学校が最終学歴の田舎のおじいちゃんです。

 

なんでも、先生は尋常小学校卒業後、進駐軍相手のバーテンで生計を立てていて、その時英語を見よう見まねで覚えたそうです。塾の机も寺子屋と同じ二人用の長机、座布団座りでした。

 

今になってよくよく考えてみれば「私の小中高大の恩師」は、このタルイ先生だったかなと思います。立派な恩師といっても過言ではない存在です。それでこの月謝袋も何となく無意識のうちに50年近く捨てることなく大事にとっていたのでしょう。 

 

タルイ塾の内容は昔としてはかなりの高水準で、先生は授業中、質問攻めでした。息つく暇がありません。1時間の授業でしたが、中身濃厚で終了後はいつも達成感がありました。

 

テストも頻繁にあり、採点後みんなの前で返されます。成績の良し悪しはすぐわかります。返す時に先生の顔が変わるからです。良い点数や良いアンサーをしたときはこの上なく嬉しそうにします。でも言葉は一切発しません。至福の表情だけです。

 

そして、成績が悪かったり、間違ったアンサーの時は、

 

決して怒りません。

 

ただ悲しそうな顔をするのです。やはり何も言いません。

 

そうしてその顔にはこう書いてあります。(一体どうした? 君だとこれくらいできるはず。自分の教え方が悪かった? 残念だ。)

 

ちなみに良い時の顔に書いてあるのは、

 

(よくやった。だいぶん実力つけたな。すごくうれしい。教師冥利に尽きる。)

目を細くしてとてもいい笑顔です。お地蔵さんのようです。

 

そういえば、特によくできた月はよっぽどうれしかったのでしょう、次月の月謝をタダにしてくれました。

 

私は、「このタルイ先生を悲しませてはいけない。」、「喜ばせてあげたい。」と思って一生懸命勉強しました。

 

今思えば、

 

「自分の成績が悪いことで先生を悲しませてはいけない」「成績を上げて先生を喜ばせてあげたい」と生徒に思わせ、その思いが勉強に対する強力なモチベーションになる先生って究極の先生ではないでしょうか。

 

私にも立派な恩師がいたということです。 

 

ところで、

 

世の中で、あと先生といえば、代議士、弁護士、、、そして医師ですね。

 

私もタルイ先生のおかげで「先生」の一人になりました。

 

今からでも、遅くない。タルイ先生のような理想の先生(医師)になりたいものです。

 

タルイ先生が医者だったら、不妊治療担当医師だったらどんな人物になっていたでしょうか、と考えました。

 

まず、自分の人生目標、生きている証を、無意識のうちに自分のことよりも患者様の幸福(妊娠・出産)実現に設定しているでしょう。そして患者様と同等以上に患者様の幸福を切望していると思います。そしてその思いは言葉に出さなくても、患者様にひしひしと伝わり、それが妊娠へ向けての治療の大きなエネルギーになるでしょう。「この先生の思いに応えないといけない」といったところでしょうか。ここまでくると、もうお地蔵さんというよりも地蔵菩薩の領域ですね。 

 

このように考えますと、若輩者の私は、その道を極める厳しさに気が遠くなりそうです。

まだまだ、タルイ先生の足元にも及びません。

恩師タルイ先生の姿を自分に重ね合わせて少しでもそれに近づけるよう今後も精進していきたいと思います。

                                  完

 

追記 

皆様、お気づきでしょうか?月謝袋に書いてある ”チャーリー” は、塾での私の英名でした。タルイ先生には塾以外でもチャーリーとしか呼ばれたことがありません。私はこの名前が好きではありませんでした。チャーリーというとチャーリーブラウンとかチャーリー浜(芸は好きですが)を連想させるからです。トムとかベンとかが羨ましかったです。過去に国外で「チャーリー!」との言葉に思わず振り向いたことが二回あります。たぶん国内でも後ろから「チャーリー!」と呼ばれたらまず振り向くと思います(笑)。