続きー景気は通貨の量が決定的

 

前の記事(https://ameblo.jp/adachi-kyoto/entry-12865041420.html)の続きですが、世の中の景気が良くなるとか、経済が上向くとか、要は皆が豊かになっていくために、決定的な要因となるのは、通貨の「量」です。

 

これは、経済学を学んだ方ほど、拒否感が強いかもしれません。

このような話をすると、専門的な方、持論を持たれている方や勉強された方から、激しく反発されることもあります。

しかし、私がいろいろ調べた末、この方が正しそうだなあ、と思っている考え方を紹介するだけですので、そういう物の見方もあるのかーという程度に聞いていただけると幸いです。

 

経済学では、経済を見る見方として、主に次の3つがあります。

1 需要と供給のバランス 

2 マルクス経済学(資本の動き)

3 通貨の供給量

 

1が主流派経済学で、2はマルクス経済学として未だに根強く、3はどちらかというと少数派・異端的にみられています。

1の主流派経済学では、景気は需要と供給のバランスで決まるので、需要を増やすために、生産価格を下げたり、購買意欲を高めよう、という発想になりがちで、「価格」や「購買意欲」などが決定的だと見ます。

 

2のマルクス経済学では、資本の動きを見ていきますが、私はこの経済学は、どこにお金がどう流れていくかを追うには面白いのですが、景気の問題に対しては根本的解決策に至りにくいように思います。

 

3は少数派かもしれませんが、私は国内にあって国民に流通している通貨の量が、その国の景気や経済にとって決定的だと思います。

 

一つの例を挙げますと、10人の村があったとします。そして10人とも床屋をしていて、今の物価水準と同一で、価格は5000円だったとします。

では、その村の一人当たりの所持金が5000円しかなかった場合、みんなは床屋に行くでしょうか?

ほとんどの人が行かずに、自分で髪を切ってすませるでしょう。

また、皆の収入が月1万円しかない場合も、同じ結果になるでしょう。

こうして、その村に流通している通貨量が乏しいと、村の皆の髪はぼさぼさになります。

 

今度は、その村の一人当たりの所持金が100万円だった場合はどうでしょうか。

喜んで月1回は床屋に行くと思います。

皆の収入が月20万円であったとしても、行くでしょう。

こうして村の通貨量が十分にあれば、村のみんなの髪がきれいになり、皆が豊かになります。

 

もちろん、通貨の量だけでなく、価格や購買意欲も多少は影響します(8:2くらいでしょうか)。

たとえば価格が少し下がったり、広告や美意識が上がったら、なけなしの5000円をはたいて床屋にいく人も出るかもしれません。しかし、現実に価格が極端に下がることはなく、いくら購買意欲を持っても、金がなければ行きません。

 

これほどまでに、国民の手元にある通貨の「量」は、景気(取引の循環)にとって、決定的な要因となります。

 

ある銀行家の言葉で、「その国の通貨の量をコントロールする者が、その国の経済を支配する」

というものがありますが、その国の「通貨量」が経済にとって決定的であることを正しく言い当てていると思います。

 

したがって、国民の手元に流通している通貨の「量」をベースに、その国の経済を見ていくと、

非常にすっきりと分かることも多いと思います。

 

通貨量が増えれば、景気がよくなりますし、インフレ(物価の上昇)が起こることもあります。

逆に、通貨量が減れば、景気が悪くなります。デフレ(物価の下落)もありえます(極端には起きませんが)。

 

また、日銀がいくら通貨供給量を増やしても、銀行で止まっていて企業や国民に貸し出さなかったり、実体経済と異なる「金融経済」(金融商品への投資など)に回っていては、あまり意味がありません。

あくまで、国民の手元にある通貨の量が大切なのです。

 

だから、前回の記事となりますが、民間銀行が貸し出すか、政府が財政出動して公共事業を行ったり国民に配ったりすることが、通貨の量を増やし、景気を良くし(取引を循環させ)、国を豊かにすることになるのです。