「新自由主義に基づくグローバル化」への批判

 

私は、小泉構造改革をはじめとする「新自由主義に基づくグローバル化」を正当に批判し、新しい価値観に転換させることが必要だと思います。

 

従来、郵政民営化などの構造改革を批判すると「抵抗勢力」とレッテルを貼られ、議論を封じ込められる、という傾向がありました。新自由主義やグローバル化に対する批判や、新たな価値観は、まだ十分に世の中に広がっていないように思います。

 

このテーマについて書かれた記事をご紹介します。

 

グローバル化が進むと「封建的な世界」になる理由 ナショナリズムこそリベラルな社会の前提条件(東洋経済オンライン記事)

 

この中で、施光恒教授は「新自由主義に基づくグローバリズム」を次のように批判されています。

「日本は、ある意味、新自由主義に基づくグローバル化という目標を生真面目に受け止め、追求してきました。グローバル化を目指す構造改革を一生懸命やった結果、庶民層が貧しくなり、分厚い中間層と言われたものも没落し、結果的にGDPも伸びなくなったのではないかと思うんです。」

 

この30年で庶民が貧しくなり、国境を超えた外国資本が富を増やし、少子化までもたらしました。

だからこそ、「新自由主義に基づくグローバル化路線を改める必要」があり、そのために「資本の国際的移動に対する一定の規制を認めるような国際経済秩序をつくる」という提言をされています。

 

また、グローバル化を否定することと、国同士の交流を絶つことは全く異なることを指摘しています。

次の2つの考え方は、共に国際的な交流を前提にしていますが、前者が国境や文化をなくしてしまうのに対し、後者は国境や文化の存在を前提にしています。施教授は、日本人には、後者の方が好まれていると指摘しています。

 

●「グローバル化」型の「合理的で普遍的でグローバルな世界国家をつくり、全人類がそこにまとまって対等に暮らすように努める」

●「国際化」型で「多様な文化や伝統をそれぞれ担った様々な国々が存在し、国々が対等な共存共栄を図るように努める」


私も後者の価値観を進めていくことが重要だと思います。

そのためには、従来避けられていた「国境」「国の文化」の役割をきちんと正当に評価する必要があります。

 

こうした「新自由主義に基づくグローバル化」を批判し、改めて国境や文化の大切さを評価していくなかで、国民を守るための、新しい価値観が作られていくと思います。