国体法勉強会(第35回):源頼朝公 まとめ

 

本日は源頼朝公をテーマに勉強会を行いました。

頼朝公について書かれた平泉澄博士の「物語日本史」、頼朝公の墓所、水戸学とのつながり、天皇の役割や霊性など様々な話が出ました。

 

1 源頼朝公は、「朝の大将軍」と称し、武士の役割は朝廷を守ることにある、という大原則を身を以て体現し、武家の棟梁の始祖として、その後の武家社会の根本規範を確立した偉人です。
 

2 朝廷の守護神としての鶴岡八幡宮の整備、平氏との和平提案の中にも朝廷への尊崇がにじみ出ています。

頼朝公は、朝廷に対し、天皇に反逆する意志は一切なく、ただ、天皇の敵を討つことを考えている、それでも帝が平家を用いるならば、昔のように源氏・平氏を相並べ、源氏は東国・平氏は西国で仕えさせ、どちらが天皇をよくお守りするか比べていただいてはどうか、といった提案まで行っています。

 つまり、平家討伐自体が目的なのではなく、あくまで、帝(朝廷)を守ることにあったのです。

 

3 頼朝公は、東国の朝廷・公卿・社寺の所領だった場所を元の領主に返付し、武士が軍事・警察的機能を果たすことで、従来からの公領・荘園体制を維持しようとしました。

 さらに、「我朝は神国なり」とし、平家追討時も安徳天皇の身上を案じ神器確保を指示、裁判でも朝命に違背する者の追放を命じています。

 後白河院から自身が追討宣旨を受けた後、西国に守護地頭を設置させ、朝廷人事にも介入しましたが、院の地位は不問にした上、その後も伊勢神宮の式年遷宮の費用や朝命に従い、九条兼実に「朝の大将軍」と述べて帝を守る姿勢を鮮明にし続けました。
 

4 こうした源氏の棟梁の役目に対する確固たる信念が培われ、やむにやまれず決起した後も、一人一人の武士への情誼によって信頼関係を構築しつつ、威厳と感情の発露の両立、厳格な規律と親密な関係を両立させたとみられる。

 

5 天皇の地位が侵されずに永続したのも、頼朝公の築いた武家のあり方が後世まで引き継がれたからにほかなりません。

 御成敗式目、楠公、信長公、水戸学、そして最後の将軍の大政奉還・王政復古に至り、さらに近代軍人の規範(軍人勅諭等)にまで継承されたと考えるとき、朝廷を尊崇する頼朝公が武家の棟梁となり、国体法的な規範をつくり上げたことがその後の国史に与えた影響は、実に多大といえます。